夢が教えてくれる その2

自分で自分をコントロールするのは難しい

 高校生の頃、催眠に興味を持った私は催眠から派生した自律訓練法を会得しようと幾度となく挑戦しました。でもその心身の訓練方法の成果をいっこうに感じることができませんでした。なんでそうなれないのか。その当時は全くわかりませんでした。その後、いくども挫折を繰り返しながらも次第に、どうしてうまくいかないのか、いったいどこがまずいのか。ということがやっとわかってきました。

 かなり苦労はしましたが、ここで明確になったことはおもしろいことに、現代に生きる多くの人の悩みの根本原因と同じものでした。そしてそれらは当相談室に来談されるクライアントのお手伝いに今でも役立っています。それは、何ごとも自分の思考や理性(頭脳)中心でコントロールしていこうとするあり方から、あるがままの心と身体の(無意識的な)メッセージ(睡眠中に見る夢に教えてもらうなど)を大切にするあり方への変化だったといえます。

自己コントロール法における意識的努力の勘違い

 はじめに言いましたが、私は本に書いてある自律訓練法のやり方にのっとって、トレーニングをはじめました。自律訓練法では、第一公式で手足の重さ、第2公式で手足の温かさを得られるように自己暗示します。でも私はいっこうに手足の重さを感じられなかったのです。

 ところで、心理技法や精神修行技法に限らず心の問題は目には見えないために、だれでも暗中模索に陥らざるを得ないのです。それゆえに心のことに関しては頭で想像を巡らしてしまうのが当たり前ともいえるでしょう。私も自律訓練法を会得しようとした時「これで良いのかしら。もっと良いやり方があるのではないかしら」などと常に頭を働かせて自分を疑いながら暗中模索で本にある理想の状態に自分を持って行こうと挑戦していたのです。おまけに、自律訓練法の公式は学術的な理論化を狙っているために、細かく定義されています。そんな本を読めばどうしても理論的にならざるを得ないともいえますね。

 そこに私自身の性格傾向が加味されて、悪循環が倍増されてしまったのです。私は若い頃「自分には物事を達成する意志力が弱いのでは」との劣等感を持っていました。また完全主義で、何事もできるだけ合理的に要領よくやろうとする性格でした。完璧を目指すために、自分がこうなりたい、こうしたいと願う理想を高く持つ傾向があったのです。そしてそこに到達するために合理的に要領よくできるだけまるでボタンを押せば電気が繋がるみたいに最短でそこに到達したいと頭で考えるのです。

 そんなやり方を心にまで当てはめようとしていた私は、科学万能時代の申し子だったわけです。要するに、何事もすぐに頭に持っていって考えて何とかしようとしてしまう癖ができあがっていて、それもって頭で描いた理想「絵に描いた餅」の方を追い求めてしまうのです。このあり方は、現代人で心の悩みの問題で困っている人の根本原因として普遍的にいえることです。

夢(潜在意識)に教えてもらう!

 私は、自律訓練法の公式暗示が一つもできず、行き詰っていしまいました。でもその懲りない熱心さに打たれたのでしょうか。そんな私に『夢は全てを知っている 自律訓練法とヨーガと夢の活性化』の章で述べたようにヨガをやってから自律訓練法のトレーニングをやるという方法を試みた時、私は夢の中で両手の指先から自己放電するという強烈な夢を見たのです。それは、ヨガと自律訓練法によって、お前はこの夢のように自分の身体や脳から放電解放しているよ。お前のやり方でうまくいっているんだよ。と伝えてくれた感じがしました。

 その後は私が何かに真摯に取り組んでいると、それに合わせるかのように「あぁ夢が教えてくれたなぁ」というような思いがする夢を時々送ってくるようになりました。すごく不思議で、おもしろいので、それから今現在に至るまで、印象的な夢を見たら夢日記をつけてきました。

 私がものごとに真摯に熱心に取り組んでいるとき、そのことに対して私の無意識的な心が受け止めた事を、夢のメッセージとして送ってくれるようです。おもしろいことにそれは通常の夢よりリアルで印象が強いのです。夢が教えてくれるだけでなく、癒してくれたこともあります。また私の過去から引きずっている未解決の思いを、決着つけてくれたこともあります。その他、私を褒めてくれたことさえあります。参照ページ:『カウンセラーを捜す時に気をつける事の最後の方

 夢は科学万能主義に染まった私の自我意識の独り相撲にくさびを打ち込んでくれました。それまで切れていた、私の心と身体の通路を繋げるきっかけとなり、ひいては私のヒーロー幻想を打ち砕きました。そして私がいかに無力であるかをしつこいまでに根気よく知らしめてきました。でもおかげで、そんなありのままで良いのだという、とても楽で肩の力が抜けた生き方を知ることができました。

問題は「窮すれば変じて、変じれば通ず」でクリエイトできる

 ところで創造性が発揮される過程には、あるパターンがありますね。まず自我意識が物事に真しに取り組んでいて答えが出なければ次第に行き詰まります。そして次に、お手上げ状態で無為に過ごす事になります。忘我状態です。するとそこに自我意識以外から新しいものが入り込んでくる。そして問題解決に至る。という過程です。創造性発揮の過程は、実は何も特別な心の動きではなくて、中国で発生した易経にある「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」ということなのです。事態がどん詰まりの状態にまで進むと、そこで状態の変化(忘我状態など)が起こります。変化が起こることで、活路が見いだされ通ずることができるのです。

 夢はこの今までの自我意識にはなかった新しいものの一つといえます。夢が発明発見のきっかけとなったという話しはとても多いです。上記の過程の中の「無為に過ごす時」がないように見えますが「眠っている時」がそれに相当するでしょう。

 心理療法のようにカウンセラーに手伝ってもらえば料金を払わねばなりませんが、夢は自分が見るのですから無料だし便利です。夢に教えてもらうことは、なにしろ「果報は寝て待て」の言葉通りなのです。でも夢先生は気むずかしいというか、通常の言葉で言ってはくれないし、そもそも私たちの盲点であるところを教えようとしてくるわけで、こちら側の解釈や受け止めが、すんなりとはいかない場合が多いわけですね。

 でも夢に対して畏怖する思いは持ちながらも、夢に振り回されないで、真摯に向き合うと夢先生の方もとても喜んでより積極的に教えようとしてくれるようです。夢は本当に情感豊かにその雰囲気を現実以上に生々しく強く現してきます。眠っているこちらはそれに圧倒されて、ただただそれらを感じ取らざるを得なくなるわけですが。

夢に取り組む際の注意点

 ただし夢が役立つからといって、全ての夢を記録しようと無理をしたり、夢を信奉し過ぎて夢のお告げや予知夢などを鵜呑みにして、冷静な判断力をなくしたりすると、無意識のエネルギーを受け止めかねてしまう場合もあります。夢占い的なものを当てはめたりするやり方は問題外ですね。また、心理学や象徴などの知識で一方的に夢を解釈して決めつけていくようなやり方も、まずいのです。それは自我の知識欲を満足させるだけであって自我意識に新たなものをもたらすことにはなりません。また知的に夢解釈しすぎると逆に、せっかく生き生き生々しかった夢が形骸化して生命力を失ってしまう場合もあります。

 心理臨床家の訓練のための教育分析などでない限り、まとまりのある印象的な夢以外は無理に掘り起こさないほうが良いかもしれません。あと重度の神経症などを患っている時などには、夢自体もとても苦しいものだったり、逆に楽しい夢でも目覚めた時にギャップを感じて落ち込んだりしかねませんから、自分一人では受けとめかねるような場合も出てきます。そのような時には夢に造詣が深いカウンセラーに協力してもらいながら夢に取り組むのが良いでしょう。

 私は、かなり印象的だった夢を中心にして記録しておいて、あとで夢の中に入って意味を考えたり、イメージを膨らませたりするのが好きです。夢の心理技法としてはゲシュタルトセラピーのドリームワークやフォーカシングの夢アプローチが体験中心で役立つと思います。

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