心の問題の解決に取り組む時の協力関係
心の問題を一人で抱えるのが辛くなってきた時に心の専門家に相談して一緒に考えてもらおう、助けてもらおうとするのは現代社会では当たり前のことになりました。けれども一般的にはそうでも、いざ自分自身の悩みを打ち明けてその解決を心理療法家に手伝ってもらおうとすることは気軽にはできませんよね。それは例えば体の不調で病院に行くような時より何倍もの勇気がいるものです。
悩みを他人に話すことは自分の問題に向き合うことになるのでそれ自体できついことだし、またせっかく話しても解ってもらえなくてかえって傷つくかもしれない、と不安も出てきます。また真面目な人の中には「こんな事くらいで苦しんでいるなんて自分が弱いからだ。人に頼るなんていけない事だ」などと思うこともあるので、よけいに相談することを躊躇します。
おまけに悩みを自分一人では抱えきれなくなっているときは、自分に自信をなくしています。そして人と接する事が辛いのでカウンセラーに会うことさえも大変なストレスに思えるのです。もし悩んでいることをカウンセラーに話したなら「なんだあなたはそんなくだらない事で悩んでいるのか、しょうがない人だなあ」などと否定されそうにさえ思えてくるものです。
このような不安や心配がありながらも、あえて来談したクライアントで「会ってみたらそうでもなくて、思った以上に話ができた」とか、時には「ここだとホッとします」と言われる方もいます。それは私が「この方がこんな大変な目にあっているのはよほど深い事情があるのではないだろうか。この方の身になってみたらどんな感じだろう」などと思いながら話を聞かせてもらおうとしているので、自分を否定されそうな感じがしなくなってくるからだと思います。
心理療法家、カウンセラー、サイコセラピストなどというと先生などと呼ばれていて、上に見えたりするかもしれません。もちろんカウンセラーは心のことには詳しくないとなりません。でも、なんでも見抜けるわけではないし、上から目線でカウンセリングすることはありません。悩んでいる方に依頼されてその人の味方となって協力するのですからクライアントとは対等な関係ですね。協力者の立場であるので、どこまでもその人の味方として、その人の身になって考えていこうとするのがカウンセラーの基本です。
心理療法の原点
釣りの世界には「釣りはフナに始まってフナに終わる」といわれる格言があります。その意味は、フナ釣りは近所の池に行って簡単に始められるような釣りだが、実は釣りの楽しみや極意が全部含まれた奥深いものなので、様々な釣りを巡りめぐっても行き着くところはフナ釣りにある。とのことのようです。
私はこれを心のケアの世界に当てはめて、心理療法は「カウンセリングに始まってカウンセリングに終わる」といえそうだなと思いました。どういうことかを具体的に考えてみると。例えば心理療法では、悩んでいる人が心理療法家にその悩みを打ち明けることからスタートします。その際にクライアントは自分の問題を解決してもらうためにカウンセラーに解ってもらおうと話をし始めるのですが、カウンセラーにアドバイスや良い解決策を教えてもらわなくても、その話をすること自体がすでにそのクライエントを良くしていくところがあるのです。
時には、初回相談を終えて帰ってから、とても眠気が出たのでそのまま一日中寝ていました。などという方もいます。初回の心理面接で思った以上に深く安心するところがあったのでしょうか。その方の自然治癒力大きく然働きだしたようです。
人にわかって(共感して)もらうことは、心地良いものです。ピッタリわかってもらったりすると「そうなんだよ!」と、知らぬ間に声がはずんだりします。また今まで張りつめていた気持ちが、ホッとして肩の力が抜けたりします。なんだか立ち向かう勇気さへ出てきたりもします。共感はすごいパワーを秘めているのです。それが常に基本にあるのがほんとうのカウンセリングといえるでしょう。それによって悩み苦しんでいる場合でも、それと意識しない心と体の深部で働自然治癒力の働きが増大しはじめます。また、カウンセラーに打ち明け話をしたことをきっかけに、今まで閉じ気味だった心が開放的になって、日常でも知らぬ間に、人に自分のことをよく話すようになったりする事もあります。すでに人間関係が改善されはじめているのです。
この共感を基本にしたカウンセリングは、その創始者であるカール・ロジャーズが1930年代に非支持的療法をというやり方を提唱してはじめたのでした。それまでは心のことを何でも知っている精神分析医などが、上から目線でクライアントの解釈をしたり、説得をしたりするやり方が普通だったのです。ロジャーズはそれまでの精神分析的な治療者がクライアントを解釈して治療するというようなやり方でなくて、クライアント自身の中の良くなっていく力を信じてとにかく話を聴く(傾聴する)ことを提唱したのです。
見守ってもらう方がより力がつきます
現代においても一般的には心理に関する専門家は心のことをよく知っているのだから、ちょっと話したらもうそれで全て分かったりして的確なアドバイスをしてくれるだろう(それが専門家である)と思っている人が多い気がします。そこからすると外見上で、頼り甲斐がありそうだったり、カリスマっぽい人が治療者としても良いように思えます。それに自分が頼りない感じになっている時は、強くて頼りがいがある人に支えてもらいたくもなります。
でも治療者からこうしろああしろと指示してもクライアントのペースにマッチしない場合が実に多いのです。心が弱っている時は、しっかりした指示や支えが必要だったりする場合があります。でも、クライアントはいつまでも指示に従うだけでは自立はできませんね。支えられながらも成長して行く必要があります。ここで指示的な治療者は行き詰ってしまいます。クライアントを育てる方ができないわけです。そこのところをロジャーズは、クライアント自らが良くなっていく力(心と体の自然治癒力)を持っていることを信じてもっと傾聴していくことで、それができることを発見したのです。
これは例えば、子どもを育てる時のことを考えれば一目瞭然です。子供にいろいろ教えることは親や教師の大切な役目ですが、一方的に教えるばかりでは自信を持てません。教えられてばかりの子供は「親や先生はいろいろ知っていてすごいなぁ、何も知らない自分はダメなぁ」との域から出ることができません。子供はまず無条件に、あるがままに認められる必要がありますね。その上で子供自身のペースでの工夫や努力を認められ、時には逆に親や先生に教えることもあったりしながら自信をつけていくのです。
本物の心理療法は癒しの場であると共に、人がのびのび育つていける豊かな土壌でもあるのです。それはまず、ホッとしたり、楽な感じがしたり。安心できるような居心地の良さがあるかどうかですぐわかります。