人はどのようにして挫折や苦悩を乗り越えて変化・成長するのか その1 同一化と脱同一化

見た目の格好良さを支えにする現代人

 近代ネット社会におけるマスメディアの発達やSNSのビジュアル化の流行などの影響からか、何時の時代にも増して見た目に格好良いことが強調、エスカレートしています。その行き着く先は人としての倫理観や心の中身などはどうでも良くて、学歴や肩書き、美容整形や画像整形、ドーピングやフェイクニュース、嘘など表面的に良ければ全てよしという社会でしょう。(学歴や肩書き美容整形などこれらを全てを良くないものと否定しているのではありません)

 しかしこのような傾向は実は、内的な自己肯定感のなさ(自己否定)と裏腹なのです。社会の中で適応して活躍したい。居場所を持ちたい。勝ち組になりたい。社会的地位を得たい。などと望むのは人として当然の願望です。けれども内心に強い自己否定や空虚感があってそれを他者に認められることで埋め合わせようとしてしまう時は、より体裁にのみこだわるようになってしまうのです。

人は価値観を支えに生きている

 人は自己に対する価値をともなった枠組を支えにして人生を生き抜いて行こうとします。例えば幼少の頃、怒りっぽい父親に怖い思いをした子供の心中に、あの様になりたくないとの思いが芽生える場合があります。それが高じていくと、父親を反面教師とする視点を元にして周りや世界を見たり、自分自身をもその観点から見てチェックしながら自我を確立していきます。そして時には怒って当然の事態に至っても、怒りを出さずに我慢するような性格になってしまうこともあります。次第にそれが当人のアイデンティティとなるのです。

価値観の盲点(同一化・一体化)

 ところでこのような価値観を持っている人の中で、はじめの頃にはそうなろうと意識して頑張ってやっていたことなのに、それをまったく意識しなくなって忘れてしまう人がいます。スポーツや技能訓練と同じ過程です。最後は意識しなくとも自然にできるようになるのです。その価値観に染まれば染まるほどそれが無意識的になってしまうのです。そうなるともうあえて「私はこの価値観を持っている」等とはめったに思わなくなります。その状態を心理学用語で同一化とか一体化と言っています。

 自らの持つ価値観があまりにも無意識的な癖となってしまった場合、それは当たり前で普通のこととして認識されています。同一化が完成してしまったわけです。そうなると自分が人として普通の(正しい)あり方なので、これ以外の(違った価値観を持つ)人は普通じゃない(ダメな)人として思えるようになるのです。

価値観の弊害

 イタリアの心理学者アサジョーリ氏はその著書「サイコシンセス」の中で、ある価値観に同一化が強くなってほとんど一体となってしまっていると深刻な結果を招くといっています。それは、第一には本当の自分を知らないか、あるいは自覚しないことになる。第二には(パーソナリティの)一部分に対してだけ同一化してしまうと、他のすべての部分に対して同一化する能力が排除されたり、減少させられるようになる。(この第一と第二については今後にランダムに解説します)

 さらに第三に人生の過程そのものがその人の人生の存続を不可能にしてしまう。と書かれています。例えば美人であることに同一化し過ぎてしまうと年老いることは恐怖となります。また母親の役割に強く同一化してそれが当人のアイデンティティとなってしまっていると、子供が自立していっただけでも自分が生きていく意味がなくなったように感じられます。

 同一化が強くなった人は自分と違った価値観を持った人とは対話ができません。当人の(正しい)価値観と違う価値観を持っている人は、間違っている人、ダメな人となるので対話の余地などないわけです。そのうえに以前のブログで自我の防衛規制として説明した「投影」という心の動きが重なります。自分が我慢し抑え込んできたものを(投影した)相手は、それを丸出しにしてまるで勝手気ままに生きているように見えるのです。それによって内心を揺さぶられるので、怒りさえ起こってきます。よくある悪口は、他人を否定することで自分の方がいかに良いあり方をしているかを秘かにアピールしている言動であるのが、この同一化と投影の心理機制から了解できます。『参照文献:人間関係の理解と改善に役立つ「投影」という自我の防衛機制

 働き者であることに同一化し過ぎていると、休むことや遊ぶことは怠け者のやることだと否定することになります。そして働かない人は悪であるか必要でない人となり、時には障害を持った人など、働くのが困難な人はいらないとさえ思えます。

 同一化と投影によってなるその多様性を認められない世界は、争いに満ちてくるわけです。それが極端化した場合の実例が、ナチズムにおける「世界史上最も偉大な民族であるゲルマン人」というドイツ民族主義的価値観です。この価値観に同一化することによって他人種への弾圧は当然のこととなってアウシュビッツの悲劇が引き起こされてしまったのです。

他者との対立争いとなるだけでなく自己(の内界)とも対立葛藤する

 このような対立や争いはもちろん、一個人の内界でも起こります。ある価値観に強く一体化してしまうと、それを外すと自分が無価値になると思えるので内面に対しても守り『参照:人間関係に働く自我の防衛機制の具体例』に入るようになるのです。

 先に紹介したアサジョーリ氏のいう、強い同一化の深刻な結果の第二である「パーソナリティの一部分に対してだけ同一化してしまうと、他のすべての部分について同一化する能力が排除されたり、減少させられたりします」という状態になってきます。

 前の章で「働き者」と言う価値観に強く一体化した人は、休むことや遊ぶことは怠け者のやることだと否定していて、働かない人はこの世に必要でない人とまで思うようになる。と言いましたが、それが自分にも向かうので、おちおち休息したり遊んだりできなくなるわけです。

 また自分が強く同一化した価値観に反するような思いや感情が、自己の内から湧いてきそうになった時には、それを否定、抹殺しなければならないので葛藤や悩み苦しみが起こります。そしてさまざまな神経症的状態に陥ったり、心身症などの症状になったりもします。

 例えば結果を出してる強い自分しか認められない場合、結果を出せなかった弱い自分を認められなくなります。そして実際に自分が結果を出せなかった時には、そんな弱い自分を自分で強く批判したり責めたりします。そして対立、葛藤が常態化して自分の存在までもが無価値に思えたりもします。個人の内界もまた争いに満ち満ちて悩み葛藤するのです。

 この問題は素直で一途な人ほどその価値観に一生懸命に感情移入する傾向があるために、よりそうなりやすいという悲劇でもあるのです。

悩んだ時こそ、より良い生き方ができるチャンス

 人が難しい問題を抱えてどうして良いかわからなくなっているということは、今まで持っていた価値観では、直面している問題を乗り越えられなくなっているということなのです。けれども苦しんでいる当人からしたら、真逆に思えます。問題を乗り越えるには、自分の今までのやり方をより強化すればよい。それで問題を乗り越えられるだろうと思えるのです。または突き当たった大きな問題そのものが消えてほしいと思うでしょう。

 かなり昔ですが「催眠療法で嫌な思い出(記憶)を消すことができないか」との問い合わせがよくありました。これは苦しい時に自然に出る思いです。でも、もし消すことができても本当の解決にはならない場合がほとんどなのです。問題は嫌な記憶にはありません。その出来事を嫌だと受け止めてしまう(価値観を持った)部分こそが変化せねばならないのです。

 くり返しになってしまいますが、行き詰まってどうして良いかわからなくなったということは、逆にいうと今までより柔軟性のある価値観を持って生きていくチャンスであるのです。どうにかしなくてはならないのは、その辛い記憶を受け止めかねて苦しんでいる部分の方にあります。なぜかというと、この章の最初に述べてきたように、ある価値観に同一化していて、その価値観の枠組み以外のことは受け止められないところからくる苦しみだからです。

本格的な心理療法である影の統合

 この問題を真に解決するには自分が否定してきた反対の価値観を受け入れる必要があります。本格的なカウンセリングや心理療法で取り組むメインの課題がこれです。これはユング心理学でいえば「影との対決」という、自分の生きてこなかった反面とどのように向き合うか。という課題であり、根が深い場合のその過程は古い自我が死んでより柔軟な新たな自我が生まれる「死と再生」といわれるような過酷な心の成長過程でもあるのです。

よく観察することが必須です

 ところで何か問題が起きた時にはそれを解決するためには、まずその問題を良く見極めることが必要ですね。良い悪いなどと価値判断をする前にまずは客観的な観察です。自己の内面を「見る」という作業です。これはわかりきったことのように思えますが、徹底できずにそこを飛び越して良し悪しの判断や意識的な自己コントロールを急いでしまいがちです。

 ハウツー的なアドバイスなどによって自己コントロールしていこうとする解決策は一時しのぎにはなっても本当には役立だたないことが多いものです。それは客観視を徹底しないで(物事の本質を見抜かないままに)表面的な出来事から、良し悪し的な判断をして対処しようとするためです。このブログの冒頭に述べたと同じように表面的に上塗りをしただけでよしとする対処法だからです。

 敵を知り己を知れば百戦あやうからずです。自己を内省すること、自分を客観視することで、自分がどのような価値観にこだわって生きてきたか、縛られているかをより詳しく知ることになります。それによって偏った価値観から抜け出し広い視野に立つこと(脱同一化)が可能となります。

内省的作業とカウンセラーの共感力

 カウンセリングや心理療法は自己の内面を内省することが主な作業です。アメリカの心理学者カール・ロジャーズは「カウンセラーの方が価値判断をしない受容的な雰囲気を作り出すことで、クライアントは自身の持つ価値の枠組みを少しずつ弛め再検討することができる」といって来談者中心のカウンセリング療法を提唱しました。

 心理面接場面で、偏った価値観を押しつけることのない共感的なカウンセラーに付き合ってもらうことで、それまで自分が持っていた枠組よりもっと広い視野から自分を眺めることができます。良い悪いに縛られない、何を出しても安心な場所であってこそ自分を根本から見直すことができるようになるのです。

 もちろんカウンセラーも自分の価値観は持っているわけですが、それはいったん脇に置いてクライアントに寄り添わねばなりません。そこで必要なのはカウンセラーの共感力です。クライアントのみでは受け止めきれない感情や思いを、共に受け止め分け持とうとする。それによってクライアントは安心して、自らの持つ価値観の枠組みを弛めながら、自分の内界を探索することを始められるのです。

参照ページ

『悟りと無条件の自己肯定感』
2017年11月に「今のありのままの自分で行くしかない。というか、ありのままの自分で良いのだ。と決着はついた」とこのブログに書いてからあっという間に2年半が過…

 

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