カウンセラーを捜す時の着眼点

 ある著名な文筆家のカウンセリングに関する著書に、自分に合ったカウンセラーを見つけるには五年かかるとありました。ちょっとビックリですね。五年したら治ってるよ、と突っ込み入れたくなりますが。でも確かに自分に合うカウンセラーを見つけるのはそうそう簡単にはいかなそうです。

 普通はごくシンプルに「こんなカウンセラーが良いなぁ」と思い浮かべるような人を探す事になります。そしてそれに近い人が居ればそのカウンセラーと心理面接に取り組むことになります。けれども、残念なことに力量のあるカウンセラーばかりではないのです。心は見えないせいもあって、一見頼りになりそうな人でも、それは表面的なものに過ぎない場合もあります。

 カウンセラー選びに限らず、他の例えば自分に合う靴や、自分のやりたいことに見合うパソコンを選ぶ際にもよりピッタリしたものを欲しいなら、時間や足をかけて探す必要がありますね。そして靴でもパソコンでも、自分にあったものを選ぶ際には失敗しないようにチェックポイントをわきまえて調べていくべきです。それと同様にここではカウンセラー選びをする際に気をつけるべきチェックポイントを述べてみようと思います。

 まずはじめに、悩んでいる当人に親身になってくれる人でなければ話ははじまりませんね。そして次に話がしやすい人です。特に反論がしやすく、そこをしっかり受けとめ聞いてくれるカウンセラーだったら、もうかなり良いカウンセラーに出会ったといっても良いでしょう。ここで注意しなくてはならないのは、悩み苦しんで「どうしたら良いかわからなくて早く答えが欲しい」と思っている場合は「こうしなさい」などとハッキリしたことを言ってくれる力強いカウンセラーが良いように見えることです。もちろんあまりにも自分が頼りない場合にはカウンセラーにしっかり支えてもうことが必要な時もあります。でも何時までもそれだと自立できなくなってしまいますよね。

 それでなくても私たちはカウンセラーの所に相談に行こう思うと、ちゃんと話しできるかしらなどと気が引けたりするし、ましてや反論など思いもつかないくらいに自分が下に見えたりもしてきます。ですからあまりにもカリスマ性が強いようなカウンセラーだと頼りがいあって良いようだけど、ずっと上下関係のままになってしまってほんとうの意味でよく(自立)なれないのです。

 その逆の、会うと話がしやすくて反論などもできそうなカウンセラーはカリスマ性がなくて普通のただの人に見えたりします。おまけに自分の悩みを早く良くしてもらいたいとの期待が強かったりすると、そのカウンセラーがなんだか頼りなく見えてくる場合さえあるのです。でもそんなカウンセラーの中にも意外に力量のある人がいるのです。ですから「こうしたら良いとか、すぐには答えがでなかったけど、なんかよく話ができたし気持ちをわかってもらえたな」などと思えたなら、そのカウンセラーの所にしばらく通ってみるのが良いでしょう。

 やはりカウンセラーに最も必要不可欠なものは、なんといっても共感能力です。わかってもらえそうな感じがしないカウンセラーや心理療法家は、はなから避けた方がいいと思います。知名度が高くカリスマ性があったりして説得力があるので、カウンセラーとしての力量がとてもありそうに見える心理療法家がいます。でもその中には自分の考えをアピールするには長けていても、悩み苦しむ人の心に寄り添うことはできない人がいるのです。

 なぜかというと、一面的で断定的な物言いをするほうが一見すると説得力がでます。そのような表現をする人は、割り切った考えが身についてもいるでしょう。それで本人は確かに葛藤したり悩んだりすることはないかもしれません。けれどもその分、様々な葛藤を抱えたりして悩み苦しんでいる人をわかることもできません。思慮深くなればなるほど明解な言い方はしにくくなるものです。その意味ではあまりに明解な言いをするカウンセラーもよした方がよさそうですね。

 共感能力をもう少し詳しくいうと「悩み苦しむ人に寄り添ってそこを共にしていける能力」といえます。河合隼雄先生は作家小川洋子との対談本『生きるとは、自分の物語をつくること』の中でそこを「悩み苦しむ人のいる世界の内側にとどまるということが大切」「望みを失わずにピッタリ傍に居れたらもう完璧なんです」などと表現しています。

 河合先生はとてもわかりやすい言い回しで述べていますが、これがなかなか至難の業なのです。カウンセラーは自分の心の器を広げ深めるために、心理学の勉強はもちろん、その他、人の心に関するあらゆる勉強をしなければならないとも河合先生は言っています。ホントの意味で器の大きな人というのでしょうか。「望みを失わずに悩み苦しむ人の傍にいる」というのは結構命がけだったり、フラフラになったりと大変な心の作業なのです。

 昔、カウンセリングに長い間通ってきていたクライアントから「先生は紙のお皿くらいの器だ」と言われたことがあります。その当時、私はそのクライアントが面接の中では全く自分に向き合った話をしないことにイラついていました。そのクライアントを内心では「何で肝心の所を話そうとしないのだろう」と責めてもいたのです。そしたらちょうどそのクライアントが登場する夢を見ました。

 その夢の中で、クライアントは高い高い崖の上の道の、直角に近いカーブの出っ張りの所から崖下の川に向かって釣り糸をたれていました。私はそのクライアントの傍に行こうとしましたが、あまりにも崖が高くて下を見て怖くなりました。みっともないことに、すぐに私は一人で這いずりながら安全な場所に逃げました。

 この夢で、私は意識の上でクライアントを責めていたけど、実は私自身が逃げていたことに気付かされました。ちゃんと釣りをして獲物を得ようとしているクライアントなのにそこは全くわかっていなかったのです。私はそのクライアントの居る、ギリギリの崖っぷちの世界が怖すぎて一時も一緒には居られませんでした。恥ずかしながら、これでは「紙のお皿くらいの器」と言われても当然ですね。

 この辺りの感じは、真摯に悩んでいる状態でしたら「このカウンセラーわかってないなぁ」とかすぐにピンとくるのでそう感じたら「先生の器は紙のお皿くらいですね」とそのカウンセラーに言ってみるか、他を当たるかした方が良いでしょう。後もうひとつ、心理面接にはカウンセラーとの相性も大事です。といっても相性が良いか悪いかなどを深く考えるとよくわからなくなってきますよね。このところは「このカウンセラーは何か感じがいいな」などの閃きというか直感的な感覚の方が当たっている場合が多いようです。

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