インナーセルフ療法とは

インナーセルフ療法

 「インナーセルフ療法」は心の悩みを解決したいと思っている人(クライアント)で、自分に向き合うだけの余裕の持てる人ならほとんどの人に適応できる心理技法です。かなりシンプルなので治療者側にとっても会得しやすく用いやすいものです。ブリーフセラピーとして用いるととても有効で、慣れてくればユングの能動的想像法の簡易版的に自分一人で内界の自己イメージとやりとりしながら自分を癒やしたり自己肯定感を強めたりできます。

 この心理技法は過去に既存の催眠療法に飽きたらず何かもっと手応えのある万人に役立つことのできる催眠療法はないかと工夫している中からまとまってきたものです。そして催眠療法を希望するクライアントに、自分の否定してきた部分をイメージ化して、向き合いコンタクトをとる技法としてまとめあげました。

 「インナーセルフ療法」と名づけたのは私ですがその中身はすでにある三種類の心理技法をくっつけてまとめたものです。名前以外で私のオリジナルなところはほんの少しです。その三種類の心理技法とは「催眠イメージ面接法」と「インナーチャイルド療法」と「フォーカシング」です。

インナーチャイルド療法との違い

 インナーチャイルド療法は着眼点がとてもよくて、わかりやすい心理療法です。今現在の心の問題をたどっていけばその原因やきっかけの根本は幼少時代に遡ることは、ちょっと本格的な心理療法となれば必然ともいえる過程です。またインナーチャイルド療法でない普通のカウンセリング場面でも、自分の内面に向き合ってもらおうとした場合に、クライアント自らが自然に過去にさかのぼっていき、そこに子供イメージが登場する場合は多々あります。そして過去に傷ついた心(インナーチャイルド)を癒やすことが今現在のあり方を変えることに繋がるのです。自己の内面をインナーチャイルドとしてイメージ化することは自分の内面との関わり方に手応えがでます。癒したり、成長させたりがやりやすくもなります。

 でもインナーチャイルド療法は当人の実際の子供時代の自分に限定されていて、創造的な自由さがあまりありません。実際の子供時代に限定してしまうことで無意識の自然治癒力の働きを限定してしまのです。インナーセルフ療法はインナーチャイルド療法のように実際の幼少期時代の子供に限定したアプローチでありません。もちろんそれも含めてですが、内界のより自由な無意識的発想からの子供に限定しないイメージを見守っていこうとします。その方が自然治癒力が展開しやすくなります。自然に任せていると例えば、次の節で述べる鶴先生の催眠イメージ面接の事例では子供(インナーチャイルド)ではなくて大人の自分イメージが最初から登場したりもします。自己イメージを実際の子供時代のイメージに限定せず、もっと広くしつらえる狙いをもって「インナーセルフ療法」と名づけてみました。

 もうひとつ、インナーチャイルド療法は残念なことに自分の内面(インナーチャイルド)を自我意識の方から一方的にコントローしようとしています。インナーチャイルド療法の創案者ジョン・ブラッドショーの著作に『インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法』というのがあります。その中の交流分析と自己催眠イメージを使ったエクササイズを例にとってみると、そこには「インナーチャイルドに新しい許可を与える」などと、大人が子供をしつけていくパターンと同じ手法が述べられています。そこに現れたイメージをこちら側からコントロールしていこうとし過ぎなのです。インナーチャイルド療法には良い点がいっぱいあるのですが操作的すぎるので、下手をすると実際の親が子供を親自身の期待に沿うようにとコントロールしながら育っててしまった育て方の二番煎じなりかねないのです。

 その辺りを乗り越えるためにインナーセルフ療法では独自の心理技法であるフォーカシングを接し方の基本にして、過度に操作的にならないようにしています。また、そうすることでイメージの自律的な展開も出やすくなります。治療者やクライアントの側の「このようになっていくのでは・・」などというこだわりのある治癒過程に当てはまらない、ユニークな解決方法が自律的イメージの展開から出てきやすくなります。自然治癒力の働きを信じて待っていると、子供イメージ自体が治癒や解決に向かって変化していくのです。例えば、子供イメージが現れたにしても、はじめは色がなかったり銅像のように固まっていたりする場合だってあり す。それが次第に色がついてきたり柔らかく人間らしくなってきたりとイメージ自体で自律的に展開していくのです。

催眠イメージ面接法 鶴先生の事例から

 私がインナーセルフ療法を思いつくヒントになったもので催眠療法の権威である鶴光代先生が1992年に「現代のエスプリ」の中に出された事例があります。

 対人緊張に悩むOLのAさんに鶴先生は「自分がわかる」という暗示を与えます。彼女は自分は広い部屋のなかに一人でいて身を固くして座っている。自分であることはわかるが他人を見ているようでピンとこない。そんなイメージから次第に展開されて、確かに私自身だと実感が生じ泣きはじめた。とあります。また催眠の覚醒後に、自分のことはわかっているのだけど分かりたくない気持ちがあって、ずっと目をつぶってきた。初めて自分を見ることができたような気がすると語っています。鶴先生は論理性や合理性を要求しないイメージの世界で自己に向き会えたからこそ、理屈抜きの実感として自分がわかるという体験をなしていったと推察できる、とまとめています。

 鶴先生の暗示指定は「自分がわかる」というものですが、この事例ではその指定に対してちょっとズレた感じでクライアントの自分イメージが登場していますね。考えてみれば鶴先生の「自分がわかる」指定は漠然としていて自己イメージをストレートに呼び出すにはピッタリの言葉ではありません。そこで私は鶴先生の発言にもあるような「クライアントにイメージの世界で自己に向き合う」という体験をしてもらうために「心のなかにいる(もうひとりの)自分に出会ってみましょう」などと指定するようにしたのです。それにフォーカシング的接し方をプラスして心理療法のエッセンスである(自分と向き合う)ということを「催眠イメージ面接」で的確にやれるようにしつらえたのです。

フォーカシング的関わり

 催眠療法は基本的には指示的でクライアントを強くリードします。そのためクライアントの一番良い方向への治癒の流れや自立心を阻んでしまう危険性があります。また催眠の構造上から今までの自我のあり方を一旦ゆるめて自己の一部を再統合するような本格的な心理療法が成立しにくくもあります。成瀬吾作先生が提案した「催眠イメージ面接法」はクライアント自身のイメージ展開を基本にしていてその辺りを乗り越えようとしています。また水島恵一先生はより非指示的にクライアントのイメージに共感的についていくという「イメージ面接」を催眠を用いないままで開発しています。けれども両者ともに治療者側の対応に、これといった筋やまとまりがないので治療者個々人のセンスや裁量によってその成否に大きな差が出てしまうようです。

 この問題点を克服するのに最適なのがフォーカシング技法です。催眠療法家自身がフォーカシング的対応を用いることで、いたずらに指示的になりすぎたり、クライアント自身の自己治癒への適切な流れを阻む余計な介入などの危険性を乗り越えることができるのです。また、イメージ面接法ではクライアントのイメージ展開が拡散してしまって収集つかなくなる場合があるですが、フォーカシングの技法の中にはその事態にとても適切に対応できる技法があります。

 そのフォーカシングの一番の良いところは『見(守)る』フォーカシングでいう『プレゼンス』というところです。それは実は冷静な観察でもあります。ゲシュタルトセラピーの創始者パールズも彼の著作のどこかで言っていましたが、人は客観的な観察の直後に自我の価値観である「良い悪い、快不快」などの判断を即座に入れる癖を持っています。そのくせに陥らないために、具体的には「見るに徹する」ことにより思考が思考を呼ぶループが断ち切れます。自己の一体化している所から離れることができるのです。

 心理療法の壁としてまず乗り越えねばならないのは、この思考のループから抜け出ることです。言い換えると「~すべき」から「~したい」への転換です。ここを乗り越えないで心理学的な価値判断を知的に理解しただけの、身体の変化の乏しいレベルの心理療法が未だにあります。

 もうひとつの壁は、ある価値観に一体化してしまっているがために自分と向き合えないままループし続てしまうことです。これらを乗り越えるには非指示的なカール・ロジャーズのカウンセリングが一番よいのです。でもロジャーズのカウンセリングは非指示的すぎるためにハウツー的に用いることができません。でもそのカウンセリングから派生したフォーカシングには利便性があってハウツー的に用いやすいのです。ちょっとだけ指示的だがそのぶん人に教えたりも出来ます。先に述べた思考のループや自分に向き合えないループを乗り越えるための技法がシッカリとあります。

 フォーカシングでは言語化以前の感覚(フェルトセンス)を「からだの感覚」「感情的な特質」「生活への関わりまたは物語」「イメージまたはシンボル的なもの」というようにわけています。インナーセルフ療法はそのフォーカシングにおけるイメージ又はシンボル的なものである視覚イメージをメインに置いた手法です。自律的イメージには、操作的でないフォーカシング的な見守る係わり方が最適といえます。また、フォーカシング上での言葉になりますが「理想状態(Presence)」と「ある特定の所に一体化している(部分化)」の「感じへの一体化」「感じについての感じ」などというようにフォーカシング的捉え方をしていくことでセッションの様々な状況を乗り切っていけます。

 特に「感じについての感じ」という概念は、自分に向き合う時のコツとしてとても役立つものです。例えば「悲しそうな自分がいます。でもなんか優しく見守れないです」とクライアントが言うとしたら「ではそのなんか優しく見守りにく辺りを見てみましょうか」などと、感じについての感じに適切に対応していけます。インナーセルフ療法は自己イメージ中心ではありますがフォーカシング的に関わることで自己イメージだけにこだわりすぎないで対応していける柔軟さも持っています。

 フォーカシング的あり方がインナーセルフ療法の基本的態度ではありますが、時に、自己イメージとより良い関係を作れるように積極的に「抱きしめてみましょう」などとより強く働きかけることもいといません。また「自由に思いつくままに(自己イメージと)係わってみてください」とクラアント自身にやりたいようにしてもらうこともあります。

インナーセルフ療法の狙い「自己肯定感を高める」

 否定された自己の一部との再統合は元々心理療法の重要テーマです。その治癒過程を具体的にわかりやすく表現しているエピソードが東山紘久先生の『愛・孤独・出会い』という著書にあります。インナーセルフ療法の狙うところともちょうど重なる話なので骨子をピックアップして紹介します。

 「愛・孤独・出会い」の本には東山先生がラ・ホイヤ・プログラムのエンカウンター・グループに参加した体験談があります。そのエンカウンター・グループのメンバーの中年女性ジェーンがセッションの中で、自分の中にある子どもっぽさについて今までの多くの失敗体験を話します。それに対してメンバーの一人がゲシュタルト・セラピィの技法を使って、子どもっぽいジェーンと対決してはどうかと提案します。そこでジェーンは子供っぽい部分のジェーン二世としてクッションを相手にロールをやったのです。そしてその最後にジェーンは「お前とは訣別だ。私は一人で生きていく。おまえもどこへなりと行き、勝手に生きろ」とジェーン二世であるクッションを放り投げます。メンバーのみんなはジェーンの決意に拍手を送ります。ファンリテーターもその勇気を讃えました。ジェーンニ世のクッションはグループの真ん中に投げ捨てられたままで、話題は次のメンバーのことに移っていった。

 でも東山先生にはジェーンがジェーン二世を切り捨てるだけでは問題の解決にはならないことが見えていました。本によれば・・・「ジェーンの問題がジェーンニ世を切り捨てるだけではどうしようもないと感じていた。ジェーンニ世はジェーンの影であり、影を切り捨てただけでは問題の解決にはならないことは歴然としているからである。そのような理屈もあったが、何よりもグループの真ん中に捨てられたままのジェーン二世のクッションの寂しさが伝わってきた。次の人に話が進み始めた時に、先程あれほど元気だったジェーンがどことなく元気を失っているのも気にかかった。ファシリテーターの単純さに怒りを感じていた」・・・とあります。

 その後、東山先生は投げ捨てたクッションを拾って胸に抱き・・・「お前はジェーンから嫌われて、今は捨てられてしまった。お前はジェーンを離れて生きてゆけるのか。お前はお前なりにジェーンを愛していたと私は思う。ジェーンはお前の意味を本当に分かっていないと私は感じる。お前とジェーンは一緒になって、生きていかねばならないように思う。二人して、それぞれの良さと欠点を克服して行かねばならないのではないか。相手にだけ欠点や責任を押しつけていたのでは、二人の持つ良さは生きてこないと私は思う」と独り言のように話します。・・・そしてしばらくジェーンニ世を抱きじめていました。

 すると突然ジェーンが東山先生からジェーンニ世を奪い泣きながらジェーンニ世に詫び「私はお前の大切さを知っていながら、私の勝手でお前を捨てた。私はお前無しでは生きていけない。お前だってそうだ。今それが分かった。もう一生お前を見放さない。お前と二人で我々の人生を築いて、生き抜こう」とジェーンは長い間、働哭したのである。グループのみんなは自分たちの心に深く沈潜することができ。東山先生はジェーンニ世をジェーンに返せてホッとしたのです。

 ところで催眠療法に興味を持つクライアントにはその精神的な苦しさのあまり、もう藁をもすがるような思いで、早急な変化を求めている人がかなり多くいます。暗示でも何でも使って魔法のようにパッと早く楽になりたいのです。来談したクライアントは自分に無価値観を抱いています。理想的な自己象とありのままの自分とのギャップや比較から、そうでない部分をダメだと否定してしまっています。時にはそれが拡大していて、ありのままの自己全体を否定するまでにも至っています。性悪説の上に立っているためありのままの自分を押し出して生きることができません。催眠療法を望むクライアントは(暗示などによって)このダメな自分を理想的な自分へと変化させることが自信に繋がると思い、それを期待して催眠療法をやって欲しいと来談するのです。

 心理相談室に来談したクライアントは東山先生のエピーソードにあるジェーンと同様に、自己の一部を否定しています。理想的な自己と比較してそうでない自分をダメだと否定していのです。催眠療法を使ってでも自分のその否定したくなるところを無くしたいと思っています。レベルの低い催眠療法や心理療法ではその考えをそのまま後押しするだけになりがちです。クライアントの内にある認めがたい部分を強力な暗示によって排除する目的に催眠療法が用いられるのです。東山先生の事例で例えると、ジェーンがジェーン二世であるクッションを投げ捨て、メンバーのみんなが拍手を送った辺りまでで治療が終わってしまうのです。

 心理療法では大雑把に分けると、今現在の自我をとにかく強化する方向と、今現在の自我を一旦ゆるめて自己の一部を再統合する方向の治療と二通りの道があります。自分に厳しくして頑張って乗り越える。などというような自我を強化する方向の乗り越え方が役立つ場合もあるわけです。でもオーソドックスな心理療法では東山先生の事例と同様に、心理療法家の方はクライアントが本当に良くなるためには、当人が否定していた部分を統合してもらわねばならないと思っています。クライアントは先に述べたように心理療法の初期には、自分の否定したくなる弱いところを無くして強くなりたいと思っているのでクラアントと心理療法家との間にかなりギャップがあります。クライアントにそのところの考え方を変えてもらうための体験学習として、自らの内の自己像を見守ってもらおうとするのがインナーセルフ療法なのです。

 東山先生のエンカウンター・グループに例えてみると、グループの真ん中に投げ捨てられたままのジェーンニ世と同じに、クライアントの内界で打ち捨てられている自己の一部を探し出し、まず見守ってもらうのです。その後は、ジェーン二世に東山先生が係わったようなやり方を提示したりして、東山先生に触発されてジェーン自身がとった行動のような展開をクライアントに期待するのです。

 昔ある女性クライアントの報告してくれた夢がインナーセルフ療法を思いつく大きなヒントになりました。彼女の夢には市松人形にそっくりな小さな少女が登場して、どこまでも彼女についてこようとします。クライアントは夢の中でその少女が気味悪くて嫌でした。クライアントは夢の中で階段を上がりました。するとずっとついてきていたその市松人形のような少女は小柄すぎて階段を上がれません。階段の一番下の所で彼女の方に行こうと、なんとか階段を登ろうともがいています。それを見かねた彼女は夢の中で思わずその少女を抱き上げました。抱き上げてみるとその人形は不思議に、なんともいえない暖かい感じがしたと言ってました。

 夢の中と現実(エンカウンター・グループ内)での違いがあるにもかかわらず、先に述べた東山先生の本にあるエンカウンター・グループでのジェーンの体験と、市松人形の夢を見たクライアントとの体験が共通しているのがわかりますね。

インナーセルフ療法の進め方

 インナーセルフ療法は、クライアントに自分自身に適切な(他人をみる、観察する)距離感(親友に対するような)を持てるようになってもらうことを最重要の目標としています。これはフォーカシングの理想とするあり方をです。この距離感はフォーカシングでいう「プレゼンス」の状態であって「見守り寄り添う」態度といえます。それによって自分を責めてしまう癖や常にそこに陥りがちなループからの脱却できるようになれます。自己否定や無価値観に至っている部分にインナーセルフ療法で向き合い救いだしたりもできます。それは自分で自分を癒やせるようになることでもあるのです。

 セッションの際にはフォーカシングでいう「感じについての感じ」を見逃さないのが治療者側のコツです。フォーカシングの達人であるアン・ワイザー・コーネルさんは「フォーカシングでは迫害者と被害者がいたらまず迫害者の方に同情を寄せる」といっています。それは被害者を救わねばという価値観にこだわりすぎない内面への向かい方の良い例えです。パールズのゲシュタルトセラピーで言えばかわいそうなアンダードックの言い分だけでなく、トップドックの言い分もよく聞くということになります。

 クライアントにインナーセルフ療法を勧める時には指定イメージで「自分の中のもう一人の自分に会ってみましょう」といって内的イメージを喚起してもらうようにします。より丁寧にやる場合は、できるだけリアルで自律的なイメージが出現しやすくなるように前もって軽い催眠誘導などをして下準備します。次にそこに現れる自律的イメージの自然な展開に任せながら治療者側は基本はフォーカシング関わりで順次対応していくのです。セルフイメージはできるだけリアルで自律的(勝手に動く)イメージが望ましいわけです。でもそれよりもっと大切なのは、内面と向き合っている当人の実感です。

 簡単にやる場合は「公園などに座っているともう一人の自分が向こうから近づいてくる」という指示をあたえたりもします。より丁寧なイメージ誘導である「地下室に降りていくと部屋があってそこにもう一人の自分がいる」というやり方は、先の章で述べた鶴光代先生が1992年に現代のエスプリの中に出された事例から思いついたやり方です。クライアントにより感情移入してもらいたい時には丁寧に時間をかけてイメージが活性化するようリードします。

 はじめに自己イメージに向きあうような指定イメージをしたら、次にそれに対する態度を「今だけでも親友に接するような感じで」とか「良い悪いと判断しないで、ただよくわかってみようとしてみましょう」などとフォーカシングのプレゼンス的なあり方でイメージと接してもらうようにします。

 普通のカウンセリングの途中で、クライアントの心に自己イメージが自然に浮かんでいる場合や、それに近い感じの体感があることをクライアント自ら話題にする時があります。そんな時には「そこをもう少し見てみましょうか」と提案して一旦閉眼してもらい「ではそこをよく見守ってみましょうか」とリードしたりしてインナーセルフ療法に入ったりもします。また時にはフォーカシングの途中などでも、ある感じに対して「物事をその人なりに受け止めている辺り」をインナーセルフ療法的に人格イメージ化してみることを提案して関わってみることでより良い展開になることもあります。

 指定イメージの例としては「地下室に入ってみましょう」「ベンチで腰掛けていると、もうひとりの自分が近づいてきます」クライアントが内的な部分を話題にしたら「自分の体の中にそれがあると思ったらどこら辺にありそうですか」「どんな雰囲気のイメージでそこに居るか見てみましょうか」などとか。部屋の中なら「部屋のどのあたりに居そうですか」「どんな気持ちで居るみたいですか」「姿勢や顔つき目つきはどんな感じですか」などを聞いていきます。「どんな思いでいるのか、わかろうとしてみましょうか」「(彼、彼女が)何か言うとしたら何て言いそうか聞いてみる感じで、、」「じっと見守って感じ取ってみましょう」などと介入します。

 イメージとの体感的な距離感はとても大切で「どれくらい近づけそうですか」「近づいても大丈夫そうですか」「背中を擦ったり抱きしめたりできそうですか」などと聞いて確認します。それでクライアント(彼、彼女)とインナーセルフとの距離感が見極められます。「寄り添うような距離に近づいてみて」「背中を撫でたりさすったりしてみて」「手を握ったり、できそうだったら抱きしめてみては」などとより積極的に提案する場合もあります。

考察

 インナーセルフのイメージ展開にはよく登場する共通したイメージが見いだせます。否定的イメージでは、体育座りしている。うつむいてる。顔が見えない。など。接しているうちにそれらが変化した時の肯定的なイメージでは、笑ってきた。落ち着いてきた。などがあります。また、近寄りがたい。触れない感じ。距離を取りたがっている。などもよく登場します。

 自分の問題となる部分とどれだけの距離にあるかを、出現するイメージとの間合いから計ることがでます。地下の部屋に降りてみたが誰もいない。などはまだ直に向き合える状態ではないと推測できます。また、近寄れない。見守ろうとしても批判的な部分があってそうできない。などいうことで、すんなりとはいかない感じが見て取れることもあります。

 そのように内的自己像と自我意識との距離感、内界に対する距離感が把握できることでインナーセルフ療法だけでなく心理療法全体としての容易さ困難さが読み取れます。他に距離感の具体例としては、近寄れない。部屋にいない。隣の部屋にいそう。どこかに隠れていそう。部屋に居なかったのに部屋を去る段になって名残惜しい感じがしてきた。影のようなイメージ。距離を取りたがっている。触れたり抱きしめたりできない感じ。などがあります。

 内面に浮かんでくる自己像と向き合うことはクライアント自らの自分への気づきの大きなきっかけとなります。インナーセルフ体験をしてもらうことでクライアントが今まで無意識的で気づかなかった部分や否定していた部分を知ることもできます。またセッション直後の話し合いで、自分の内面をより掘り下げることができるようになります。

 インナーセルフ療法の短所としては、やはり指示的な心理技法の部類に入るので、クライアント自身の気持ちの流れやペースをねじ曲げてしまう危険性があります。自分に向き合うことも容易でない、ギリギリいっぱいのクライアントの場合などには適応できません。カウンセラーから働きかけが多くなることで「わかってもらえた」という感じがしなくなる場合もあります。またフォーカシング技法が未熟だと自律的イメージが出現、展開しにくい場合に対処ができなくて行き詰まってしまうでしょう。インナーセルフ療法だけでなく閉眼しての心理セッション全てに言えることですが、間のとり方のコツを会得するのが難しくもなります。

★参考文献:『インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法』『愛・孤独・出会い エンカウンター・グループと集団技法』内界の子供イメージについては網谷由香利氏がその著書『子供イメージと心理療法』でユング分析心理学的な立場からクライアントの内界とともに治療者側の内界にも立ち現れてくる子供イメージの治癒力について考察しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました