初めに
等身大で生きるとは、良いも悪いもひっくるめた、今の「ありのまま」の自分を大切にして生きていくことです。この生き方はカウンセリングの創始者カールロジャーズの自己一致という「自分の弱さやネガティブな感情(怒り、悲しみ、不安など)も含めて、自分の中で否定せずに受け入れている状態」のあり方を基礎にしています。
これから述べることは、私がロジャーズのカウンセリングを学ぶ過程で体験学習したことや、カウンセラーとして実践を行ってきた中でクライアントに教えてもらったことが元となっています。
等身大でいられない事情
カウンセリングや心理面接場面で自分の性格などの話題になると「ありのままの自分はなまけもので……」「元の自分は普通以下なので」などと言われる方がいます。家庭や学校、社会で人間としての理想像である優秀な人と比べて、ありのままの自分は価値のないダメ人間だと思っているようです。
心理的な症状や悩みがない人の中にも無条件の肯定感については充分持ちえていない人がいます。人間社会には良い結果を出す人が認められ賞賛されるという風潮があります。学校では成績の優秀な子供が高く評価されます。プロスポーツ界でトップクラスの結果を出す選手には破格の契約金が支払われ話題になります。そんな社会の中で一生懸命仕事を頑張り、定年退職をした男性で、過去の会社での苦労話や武勇伝をよく話題にする人がいます。推測ですが、年老いてしまった今の自分には生き甲斐や価値を見出せないようです。だからついそんな過去の話を持ち出して、今の何もない自分を支えなおそうとしてしまうのではないでしょうか。
未熟で欠点もある、ありのままの自分を肯定できない事情は他にもいろいろあります。日本人は現代でも「ほら、人が見てるでしょう」「みっともないようにしないと」などといって、他人の目を借りて子供をしつけます。他人に良いように見られることが重要な価値判断の基準となっているのです。
おまけに最近はルッキズムという言葉も登場したように、ネット社会の発達などによっていつの時代にも増して、見た目に格好良いことが第一です。その行き着く先は「結果が全て」であって、肩書きや美容整形や画像整形などに頼ってでも、見た目良ければ、結果良ければ全てよしというあり方でしょう。(学歴や肩書き美容整形など、これらを全てを良くないものと否定しているのではありませんが)
このような傾向は、内的な自己肯定感のなさ(自己否定)と裏腹なのです。心の深いところに強い自己否定や空虚感があって、でもそれに向き合い解決に取り組むことはかなり大変な心の作業です。そのせいなのかそれを他者に認められること(承認欲求)で埋め合わせようとした結果、他者にどう写るかという見た目、外観の格好良さにこだわるようになってしまったといえそうです。
理性で自分を正しくコントロールすること
近代的な合理・科学主義的教育は「よく考えて判断し、自分を正しくコントロールすること」を良しとします。もちろん向上心はとても大切ですが、私たちは自分を「向上させなければならない存在」と見なすあまり、今の自分の弱さや至らなさを「欠陥」と見てしまいがちです。
私自身、思い起こせば中学生の頃読んだ本に「自分が理想的な人間になろうと思ったらそうなるように努力していればそうなって行く」とありました。その後そのように意識して努力したりしました。その結果、先生には「正義感が強すぎる」と言われ、同級生には「お前は何を考えているかわからない」と言われたりしました。意識的努力によってより良くあろうとすることは、一歩間違うと今のありのままの自分を否定して押さえ込むことになります。これは表面的な見た目の自己改革になりがちなのです。私もご多分に漏れずいい格好しいになってしまっていました。
条件付き(する)価値観と無条件(ある)という基本の価値観
心は動きが早いことと目に見えないうえに複雑に動き回るので、それを解ったり、見抜いたりすることがなかなか困難だったりします。ここではそんな心の動きを理解するために今まで述べてきた自己に対する価値観を条件付きと条件なし(無条件)の二つに区別して考えてみます。
条件付きの価値観
条件付きの価値観とは、(何か行動して)結果を出す。というような条件・枠組みのあるものです。例えば「優秀である」という価値観だと勉強ができたりやることが人より抜きん出ていなければならないわけです。頑張ること、ある物事を努力して結果や成果を出す事で、自分はできるんだと自信を持つことは大切なことであり、社会で生きて行くには不可欠なものですが、それが価値観・枠組みとなってくると、常にそうでなければならず、その反対の「劣等」になることが許されなくなります。
条件付きの価値観は比較で成り立っています。子供の前で、他人のことを話題にして「あの人は勉強ができる、スポーツが得意、美人だ、仕事ができる、社会的地位が高い」などと親がつい口を滑らします。子供達はそれらを取り入れ、他と比較してそれらの価値観に適合しない自己の部分に対して否定感を持つことになってしまいます。
この「条件付きの価値観」に縛られると、失敗した時に自分自身を丸ごと否定してしまい、とても苦しくなります。地元の高校ではとても優秀で、都会の大学に受かった子供の両親が来談しました。大学から登校していないと言われて、両親が下宿に見に行ったら疲れ切った様子で「大学に入ってみたら優秀な人達ばかりで自分はたいしたことがないのがわかった。もう死ぬしかない」と言って息も絶え絶えだったようです。母親が抱えてお水を飲ませたら子供のようにその水を飲んだ。と言われていました。
無条件の肯定的価値観
条件付きの価値観に反して「ある」という言葉で表される無条件の価値観は、結果を出す出さないは関係なくて「居ればよい。存在すればそれで良い」という最低限の枠組みですから社会的な枠組みにとらわれない無条件の価値観といえます。
真の自己肯定感を育むためには条件つきでない「無条件の自己肯定感(等身大の自分を肯定する)」を再構築する必要があります。それは何かができるから価値があるのではなく「居るだけでいい」という感覚です。それは建物を建てる時の地盤の基礎のようなものです。家族の絆に必須なものなのですが、でも親はそれを横に置いて、つい子供に条件付きの価値観の方を押しつけがちです。親としては子供により良い生き方をしてもらいたいと期待してそうするのですが。でもそっちのメッセージの方が多いようだと子供は無条件の肯定感の方を感じられなくてうちにはそれがないものと思えてきます。
何か失敗した時、どこが悪かったか、どうすればよいかなどをしっかりと反省することはするにしても真の自信を育むためには、この「あるだけでよい」という価値観(無条件の自己肯定感)が土台として必須です。
無条件の肯定感という土台がないまま人生を歩むと、どんなに高い目標を達成しても、心の底に空虚感や不安が残ります。逆に、無条件の自己肯定感が備わっていれば、失敗しても自分自身を丸ごと否定することには至りません。「今は失敗したが、それも自分の一部である」と受け止め再挑戦する力も生まれるのです。
価値観を変えることの難しさ
ある価値観に強く一体化してしまうと、それを外すと自分に価値がなくなると思えるので内面に対しても守りに入るようになります。「働き者」と言う価値観に強い一体化をした人は、休むことや遊ぶことは怠け者のやることだと否定していて、働かない人はこの世に必要でない人とまで思うようになるのですが、それが自分にも向い、おちおち休息したり遊んだりできなくなるわけです。
自らの持つ価値観と一体化して長年に渡って無意識的な癖となってしまった場合、それは当たり前で普通のこととして思えてきます。そうなるとそれが人として普通のあり方なので、違った価値観を持つ人は普通じゃない、ダメな人として見えるようもになります。それはある意味、アイデンティティ(同一化・一体化)の完成ともいえるのです。
そこまでいくと、それをなくすることは自分が死ぬような(自我の死)感じさえしてくるので、それを変えるのは中々の大仕事となるわけです。
挫折で始まる変化 無条件の自己肯定感の再発見
無条件の自己肯定感を再獲得するためには、限界あるただの人間としての自分を好きになったり、今の格好つけないありのままの自分を大切にする必要があります。
この感覚を体験するためのきっかけは、意外にも「行き詰まり」や「挫折」の中にあります。人生が思い通りにいかなくなった時がより良い生き方に変わるチャンスでもあるのです。挫折したということは、今まで持っていた条件付きの肯定的価値観がいき詰まったり通用しなくなったからです。苦しいこの時に人として土台となる無条件の肯定感への道が開かれています。私たちは「理想の自分」ではない、足元の「等身大の自分」と向き合うチャンスを得るのです。
うつ病の中年女性は来談してカウンセリングを積み重ねていく中で少しづつ回復に向かっていました。そのころ、同年代の女性で不登校の子供のことで悩んだことのある友人と電話で話している際に「居るだけでいいのよ」という話題がでました。それが心に響いた彼女はそのことを夫に話してみました。すると夫も「そうだよ」とそれに賛同してくれたのです。それをきっかけにして彼女の回復に一段と弾みがついたのでした。「居るだけでいい」というのは無条件の肯定感(愛情)といえるでしょう。
今のありのままの自分を好きになるには
子供時代に様々な事情からありのままの自分に充分な自信を持ちえなかったという事情があったとしても大人になった今、それを回復する道もちゃんとあります。
「等身大で生きる」には、良いとか悪いとか、できるとかできないなどと、自分を評価することを一旦横に置いて、「正直な今の格好つけないありのままの自分こそが素敵なんだ」「自分はこれで良い。こんな自分もあり
だ」などと、限界ある自分でも愛情を持って大切にできるようになることが始まりです。
もし今、行き詰まりを感じているなら、それは「今の自分を大切にしてね」という心のサインかもしれません。そんな時は、今の自分がどうなっているか、まず自分を知ろうとすることです。自分が自分の心身をどう思っているかを見直したりして、自分の勘違いや思い込みを剥がしていきましょう。
信頼できるカウンセラーに手伝ってもらうことでそれがより進みます。また自分自身で内省してそれを書きだしていていくことでもそれは深まります。
理想の自分(こうあるべき)の方は一旦横に置いて、今の自分の弱さや至らなさや、ありのままの感覚を素直に認められるように自分に正直になってみるのですが、それには共感力が必要です。内なる自分に寄り添い見守るのです。落ち込んでいる友達にいろいろ話しかけて励ますのでなくて、余計なことを言わないで傍に居るだけという支え方があります。それを自分に対して実践するのです。するとそれまで否定してダメに見えていた自分がとても愛おしく大切に見えてきたりします。
また時には自己否定する自分を見守ったり、自己否定されて辛くなっている部分の方を見守ったりなど、自分をそのままに「今はこうなんだね」と認めていくのです。その詳しいやり方は参照ページの『フォーカシング』や『共感力と自己コントロールやマインドフルネスのコツ』や『インナーセルフ療法とは その2』などに載っています
参照ページ
コメント