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インナーセルフ療法とは

インナーセルフ療法

 「インナーセルフ療法」は心の悩みを解決したいと思っている人(クライアント)で、自分に向き合うだけの余裕の持てる人ならほとんどの人に適応できる心理技法です。かなりシンプルなので治療者側にとっても会得しやすく用いやすいものです。ブリーフセラピーとして用いるととても有効で、慣れてくればユングの能動的想像法の簡易版的に自分一人で内界の自己イメージとやりとりしながら自分を癒やしたり自己肯定感を強めたりできます。

 この心理技法は過去に既存の催眠療法に飽きたらず何かもっと手応えのある万人に役立つことのできる催眠療法はないかと工夫している中からまとまってきたものです。そして催眠療法を希望するクライアントに、自分の否定してきた部分をイメージ化して、向き合いコンタクトをとる技法としてまとめあげました。

 「インナーセルフ療法」と名づけたのは私ですがその中身はすでにある三種類の心理技法をくっつけてまとめたものです。名前以外で私のオリジナルなところはほんの少しです。その三種類の心理技法とは「催眠イメージ面接法」と「インナーチャイルド療法」と「フォーカシング」です。

1, インナーチャイルド療法との違い

 インナーチャイルド療法は着眼点がとてもよくて、わかりやすい心理療法です。今現在の心の問題をたどっていけばその原因やきっかけの根本は幼少時代に遡ることは、ちょっと本格的な心理療法となれば必然ともいえる過程です。またインナーチャイルド療法でない普通のカウンセリング場面でも、自分の内面に向き合ってもらおうとした場合に、クライアント自らが自然に過去にさかのぼっていき、そこに子供イメージが登場する場合は多々あります。そして過去に傷ついた心(インナーチャイルド)を癒やすことが今現在のあり方を変えることに繋がるのです。自己の内面をインナーチャイルドとしてイメージ化することは自分の内面との関わり方に手応えがでます。癒したり、成長させたりがやりやすくもなります。

 でもインナーチャイルド療法は当人の実際の子供時代の自分に限定されていて、創造的な自由さがあまりありません。実際の子供時代に限定してしまうことで無意識の自然治癒力の働きを限定してしまのです。インナーセルフ療法はインナーチャイルド療法のように実際の幼少期時代の子供に限定したアプローチでありません。もちろんそれも含めてですが、内界のより自由な無意識的発想からの子供に限定しないイメージを見守っていこうとします。その方が自然治癒力が展開しやすくなります。自然に任せていると例えば、次の節で述べる鶴先生の催眠イメージ面接の事例では子供(インナーチャイルド)ではなくて大人の自分イメージが最初から登場したりもします。自己イメージを実際の子供時代のイメージに限定せず、もっと広くしつらえる狙いをもって「インナーセルフ療法」と名づけてみました。

 もうひとつ、インナーチャイルド療法は残念なことに自分の内面(インナーチャイルド)を自我意識の方から一方的にコントローしようとしています。インナーチャイルド療法の創案者ジョン・ブラッドショーの著作に『インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法』というのがあります。その中の交流分析と自己催眠イメージを使ったエクササイズを例にとってみると、そこには「インナーチャイルドに新しい許可を与える」などと、大人が子供をしつけていくパターンと同じ手法が述べられています。そこに現れたイメージをこちら側からコントロールしていこうとし過ぎなのです。インナーチャイルド療法には良い点がいっぱいあるのですが操作的すぎるので、下手をすると実際の親が子供を親自身の期待に沿うようにとコントロールしながら育っててしまった育て方の二番煎じなりかねないのです。

 その辺りを乗り越えるためにインナーセルフ療法では独自の心理技法であるフォーカシングを接し方の基本にして、過度に操作的にならないようにしています。また、そうすることでイメージの自律的な展開も出やすくなります。治療者やクライアントの側の「このようになっていくのでは・・」などというこだわりのある治癒過程に当てはまらない、ユニークな解決方法が自律的イメージの展開から出てきやすくなります。自然治癒力の働きを信じて待っていると、子供イメージ自体が治癒や解決に向かって変化していくのです。例えば、子供イメージが現れたにしても、はじめは色がなかったり銅像のように固まっていたりする場合だってあります。それが次第に色がついてきたり柔らかく人間らしくなってきたりとイメージ自体で自律的に展開していくのです。

2, 催眠イメージ面接法 鶴先生の事例から

 私がインナーセルフ療法を思いつくヒントになったもので催眠療法の権威である鶴光代先生が1992年に「現代のエスプリ」の中に出された事例があります。

 対人緊張に悩むOLのAさんに鶴先生は「自分がわかる」という暗示を与えます。彼女は自分は広い部屋のなかに一人でいて身を固くして座っている。自分であることはわかるが他人を見ているようでピンとこない。そんなイメージから次第に展開されて、確かに私自身だと実感が生じ泣きはじめた。とあります。また催眠の覚醒後に、自分のことはわかっているのだけど分かりたくない気持ちがあって、ずっと目をつぶってきた。初めて自分を見ることができたような気がすると語っています。鶴先生は論理性や合理性を要求しないイメージの世界で自己に向き会えたからこそ、理屈抜きの実感として自分がわかるという体験をなしていったと推察できる、とまとめています。

 鶴先生の暗示指定は「自分がわかる」というものですが、この事例ではその指定に対してちょっとズレた感じでクライアントの自分イメージが登場していますね。考えてみれば鶴先生の「自分がわかる」指定は漠然としていて自己イメージをストレートに呼び出すにはピッタリの言葉ではありません。そこで私は鶴先生の発言にもあるような「クライアントにイメージの世界で自己に向き合う」という体験をしてもらうために「心のなかにいる(もうひとりの)自分に出会ってみましょう」などと指定するようにしたのです。それにフォーカシング的接し方をプラスして心理療法のエッセンスである(自分と向き合う)ということを「催眠イメージ面接」で的確にやれるようにしつらえたのです。

3, フォーカシング的関わり

 催眠療法は基本的には指示的でクライアントを強くリードします。そのためクライアントの一番良い方向への治癒の流れや自立心を阻んでしまう危険性があります。また催眠の構造上から今までの自我のあり方を一旦ゆるめて自己の一部を再統合するような本格的な心理療法が成立しにくくもあります。成瀬吾作先生が提案した「催眠イメージ面接法」はクライアント自身のイメージ展開を基本にしていてその辺りを乗り越えようとしています。また水島恵一先生はより非指示的にクライアントのイメージに共感的についていくという「イメージ面接」を催眠を用いないままで開発しています。けれども両者ともに治療者側の対応に、これといった筋やまとまりがないので治療者個々人のセンスや裁量によってその成否に大きな差が出てしまうようです。

 この問題点を克服するのに最適なのがフォーカシング技法です。催眠療法家自身がフォーカシング的対応を用いることで、いたずらに指示的になりすぎたり、クライアント自身の自己治癒への適切な流れを阻む余計な介入などの危険性を乗り越えることができるのです。また、イメージ面接法ではクライアントのイメージ展開が拡散してしまって収集つかなくなる場合があるですが、フォーカシングの技法の中にはその事態にとても適切に対応できる技法があります。

 そのフォーカシングの一番の良いところは『見(守)る』フォーカシングでいう『プレゼンス』というところです。それは実は冷静な観察でもあります。ゲシュタルトセラピーの創始者パールズも彼の著作のどこかで言っていましたが、人は客観的な観察の直後に自我の価値観である「良い悪い、快不快」などの判断を即座に入れる癖を持っています。そのくせに陥らないために、具体的には「見るに徹する」ことにより思考が思考を呼ぶループが断ち切れます。自己の一体化している所から離れることができるのです。

 心理療法の壁としてまず乗り越えねばならないのは、この思考のループから抜け出ることです。言い換えると「~すべき」から「~したい」への転換です。ここを乗り越えないで心理学的な価値判断を知的に理解しただけの、身体の変化の乏しいレベルの心理療法が未だにあります。

 もうひとつの壁は、ある価値観に一体化してしまっているがために自分と向き合えないままループし続てしまうことです。これらを乗り越えるには非指示的なカール・ロジャーズのカウンセリングが一番よいのです。でもロジャーズのカウンセリングは非指示的すぎるためにハウツー的に用いることができません。でもそのカウンセリングから派生したフォーカシングには利便性があってハウツー的に用いやすいのです。ちょっとだけ指示的だがそのぶん人に教えたりも出来ます。先に述べた思考のループや自分に向き合えないループを乗り越えるための技法がシッカリとあります。

 フォーカシングでは言語化以前の感覚(フェルトセンス)を「からだの感覚」「感情的な特質」「生活への関わりまたは物語」「イメージまたはシンボル的なもの」というようにわけています。インナーセルフ療法はそのフォーカシングにおけるイメージ又はシンボル的なものである視覚イメージをメインに置いた手法です。自律的イメージには、操作的でないフォーカシング的な見守る係わり方が最適といえます。また、フォーカシング上での言葉になりますが「理想状態(Presence)」と「ある特定の所に一体化している(部分化)」の「感じへの一体化」「感じについての感じ」などというようにフォーカシング的捉え方をしていくことでセッションの様々な状況を乗り切っていけます。

 特に「感じについての感じ」という概念は、自分に向き合う時のコツとしてとても役立つものです。例えば「悲しそうな自分がいます。でもなんか優しく見守れないです」とクライアントが言うとしたら「ではそのなんか優しく見守りにく辺りを見てみましょうか」などと、感じについての感じに適切に対応していけます。インナーセルフ療法は自己イメージ中心ではありますがフォーカシング的に関わることで自己イメージだけにこだわりすぎないで対応していける柔軟さも持っています。

 フォーカシング的あり方がインナーセルフ療法の基本的態度ではありますが、時に、自己イメージとより良い関係を作れるように積極的に「抱きしめてみましょう」などとより強く働きかけることもいといません。また「自由に思いつくままに(自己イメージと)係わってみてください」とクラアント自身にやりたいようにしてもらうこともあります。

4,インナーセルフ療法の狙い「自己肯定感を高める」

 インナーセルフ療法の治療目標は自己肯定感を高めることにあります。その狙うところは、否定されたり受け容れがたい自己の一部や、ありのままの自己全体との関係改善です。インナーチャイルド療法でいえば、幼少時代の自分です。ロジャーズのパーソナリティ理論でいうなら(理想的)自己概念から外れた部分です。ユング心理学でいえば「生きてこなかった半面」。ゲシュタルトセラピーでいえばトップドックやアンダードックに相当します。

 否定された自己の一部との再統合は元々心理療法の重要テーマです。その治癒過程を具体的にわかりやすく表現しているエピソードが東山紘久先生の『愛・孤独・出会い』という著書にあります。インナーセルフ療法の狙うところともちょうど重なる話なので骨子をピックアップして紹介します。

 「愛・孤独・出会い」の本には東山先生がラ・ホイヤ・プログラムのエンカウンター・グループに参加した体験談があります。そのエンカウンター・グループのメンバーの中年女性ジェーンがセッションの中で、自分の中にある子どもっぽさについて今までの多くの失敗体験を話します。それに対してメンバーの一人がゲシュタルト・セラピィの技法を使って、子どもっぽいジェーンと対決してはどうかと提案します。そこでジェーンは子供っぽい部分のジェーン二世としてクッションを相手にロールをやったのです。そしてその最後にジェーンは「お前とは訣別だ。私は一人で生きていく。おまえもどこへなりと行き、勝手に生きろ」とジェーン二世であるクッションを放り投げます。メンバーのみんなはジェーンの決意に拍手を送ります。ファンリテーターもその勇気を讃えました。ジェーンニ世のクッションはグループの真ん中に投げ捨てられたままで、話題は次のメンバーのことに移っていった。

 でも東山先生にはジェーンがジェーン二世を切り捨てるだけでは問題の解決にはならないことが見えていました。本によれば・・・「ジェーンの問題がジェーンニ世を切り捨てるだけではどうしようもないと感じていた。ジェーンニ世はジェーンの影であり、影を切り捨てただけでは問題の解決にはならないことは歴然としているからである。そのような理屈もあったが、何よりもグループの真ん中に捨てられたままのジェーン二世のクッションの寂しさが伝わってきた。次の人に話が進み始めた時に、先程あれほど元気だったジェーンがどことなく元気を失っているのも気にかかった。ファシリテーターの単純さに怒りを感じていた」・・・とあります。

 その後、東山先生は投げ捨てたクッションを拾って胸に抱き・・・「お前はジェーンから嫌われて、今は捨てられてしまった。お前はジェーンを離れて生きてゆけるのか。お前はお前なりにジェーンを愛していたと私は思う。ジェーンはお前の意味を本当に分かっていないと私は感じる。お前とジェーンは一緒になって、生きていかねばならないように思う。二人して、それぞれの良さと欠点を克服して行かねばならないのではないか。相手にだけ欠点や責任を押しつけていたのでは、二人の持つ良さは生きてこないと私は思う」と独り言のように話します。・・・そしてしばらくジェーンニ世を抱きじめていました。

 すると突然ジェーンが東山先生からジェーンニ世を奪い泣きながらジェーンニ世に詫び「私はお前の大切さを知っていながら、私の勝手でお前を捨てた。私はお前無しでは生きていけない。お前だってそうだ。今それが分かった。もう一生お前を見放さない。お前と二人で我々の人生を築いて、生き抜こう」とジェーンは長い間、働哭したのである。グループのみんなは自分たちの心に深く沈潜することができ。東山先生はジェーンニ世をジェーンに返せてホッとしたのです。

 ところで催眠療法に興味を持つクライアントにはその精神的な苦しさのあまり、もう藁をもすがるような思いで、早急な変化を求めている人がかなり多くいます。暗示でも何でも使って魔法のようにパッと早く楽になりたいのです。来談したクライアントは自分に無価値観を抱いています。理想的な自己象とありのままの自分とのギャップや比較から、そうでない部分をダメだと否定してしまっています。時にはそれが拡大していて、ありのままの自己全体を否定するまでにも至っています。性悪説の上に立っているためありのままの自分を押し出して生きることができません。催眠療法を望むクライアントは(暗示などによって)このダメな自分を理想的な自分へと変化させることが自信に繋がると思い、それを期待して催眠療法をやって欲しいと来談するのです。

 心理相談室に来談したクライアントは東山先生のエピーソードにあるジェーンと同様に、自己の一部を否定しています。理想的な自己と比較してそうでない自分をダメだと否定していのです。催眠療法を使ってでも自分のその否定したくなるところを無くしたいと思っています。レベルの低い催眠療法や心理療法ではその考えをそのまま後押しするだけになりがちです。クライアントの内にある認めがたい部分を強力な暗示によって排除する目的に催眠療法が用いられるのです。東山先生の事例で例えると、ジェーンがジェーン二世であるクッションを投げ捨て、メンバーのみんなが拍手を送った辺りまでで治療が終わってしまうのです。

 心理療法では大雑把に分けると、今現在の自我をとにかく強化する方向と、今現在の自我を一旦ゆるめて自己の一部を再統合する方向の治療と二通りの道があります。自分に厳しくして頑張って乗り越える。などというような自我を強化する方向の乗り越え方が役立つ場合もあるわけです。でもオーソドックスな心理療法では東山先生の事例と同様に、心理療法家の方はクライアントが本当に良くなるためには、当人が否定していた部分を統合してもらわねばならないと思っています。クライアントは先に述べたように心理療法の初期には、自分の否定したくなる弱いところを無くして強くなりたいと思っているのでクラアントと心理療法家との間にかなりギャップがあります。クライアントにそのところの考え方を変えてもらうための体験学習として、自らの内の自己像を見守ってもらおうとするのがインナーセルフ療法なのです。

 東山先生のエンカウンター・グループに例えてみると、グループの真ん中に投げ捨てられたままのジェーンニ世と同じに、クライアントの内界で打ち捨てられている自己の一部を探し出し、まず見守ってもらうのです。その後は、ジェーン二世に東山先生が係わったようなやり方を提示したりして、東山先生に触発されてジェーン自身がとった行動のような展開をクライアントに期待するのです。

 昔ある女性クライアントの報告してくれた夢がインナーセルフ療法を思いつく大きなヒントになりました。彼女の夢には市松人形にそっくりな小さな少女が登場して、どこまでも彼女についてこようとします。クライアントは夢の中でその少女が気味悪くて嫌でした。クライアントは夢の中で階段を上がりました。するとずっとついてきていたその市松人形のような少女は小柄すぎて階段を上がれません。階段の一番下の所で彼女の方に行こうと、なんとか階段を登ろうともがいています。それを見かねた彼女は夢の中で思わずその少女を抱き上げました。抱き上げてみるとその人形は不思議に、なんともいえない暖かい感じがしたと言ってました。

 夢の中と現実(エンカウンター・グループ内)での違いがあるにもかかわらず、先に述べた東山先生の本にあるエンカウンター・グループでのジェーンの体験と、市松人形の夢を見たクライアントとの体験が共通しているのがわかりますね。

5,インナーセルフ療法の進め方

 インナーセルフ療法は、クライアントに自分自身に適切な(他人をみる、観察する)距離感(親友に対するような)を持てるようになってもらうことを最重要の目標としています。これはフォーカシングの理想とするあり方をです。この距離感はフォーカシングでいう「プレゼンス」の状態であって「見守り寄り添う」態度といえます。それによって自分を責めてしまう癖や常にそこに陥りがちなループからの脱却できるようになれます。自己否定や無価値観に至っている部分にインナーセルフ療法で向き合い救いだしたりもできます。それは自分で自分を癒やせるようになることでもあるのです。

 セッションの際にはフォーカシングでいう「感じについての感じ」を見逃さないのが治療者側のコツです。フォーカシングの達人であるアン・ワイザー・コーネルさんは「フォーカシングでは迫害者と被害者がいたらまず迫害者の方に同情を寄せる」といっています。それは被害者を救わねばという価値観にこだわりすぎない内面への向かい方の良い例えです。パールズのゲシュタルトセラピーで言えばかわいそうなアンダードックの言い分だけでなく、トップドックの言い分もよく聞くということになります。

 クライアントにインナーセルフ療法を勧める時には指定イメージで「自分の中のもう一人の自分に会ってみましょう」といって内的イメージを喚起してもらうようにします。より丁寧にやる場合は、できるだけリアルで自律的なイメージが出現しやすくなるように前もって軽い催眠誘導などをして下準備します。次にそこに現れる自律的イメージの自然な展開に任せながら治療者側は基本はフォーカシング関わりで順次対応していくのです。セルフイメージはできるだけリアルで自律的(勝手に動く)イメージが望ましいわけです。でもそれよりもっと大切なのは、内面と向き合っている当人の実感です。

 簡単にやる場合は「公園などに座っているともう一人の自分が向こうから近づいてくる」という指示をあたえたりもします。より丁寧なイメージ誘導である「地下室に降りていくと部屋があってそこにもう一人の自分がいる」というやり方は、先の章で述べた鶴光代先生が1992年に現代のエスプリの中に出された事例から思いついたやり方です。クライアントにより感情移入してもらいたい時には丁寧に時間をかけてイメージが活性化するようリードします。

 はじめに自己イメージに向きあうような指定イメージをしたら、次にそれに対する態度を「今だけでも親友に接するような感じで」とか「良い悪いと判断しないで、ただよくわかってみようとしてみましょう」などとフォーカシングのプレゼンス的なあり方でイメージと接してもらうようにします。

 普通のカウンセリングの途中で、クライアントの心に自己イメージが自然に浮かんでいる場合や、それに近い感じの体感があることをクライアント自ら話題にする時があります。そんな時には「そこをもう少し見てみましょうか」と提案して一旦閉眼してもらい「ではそこをよく見守ってみましょうか」とリードしたりしてインナーセルフ療法に入ったりもします。また時にはフォーカシングの途中などでも、ある感じに対して「物事をその人なりに受け止めている辺り」をインナーセルフ療法的に人格イメージ化してみることを提案して関わってみることでより良い展開になることもあります。

 指定イメージの例としては「地下室に入ってみましょう」「ベンチで腰掛けていると、もうひとりの自分が近づいてきます」クライアントが内的な部分を話題にしたら「自分の体の中にそれがあると思ったらどこら辺にありそうですか」「どんな雰囲気のイメージでそこに居るか見てみましょうか」などとか。部屋の中なら「部屋のどのあたりに居そうですか」「どんな気持ちで居るみたいですか」「姿勢や顔つき目つきはどんな感じですか」などを聞いていきます。「どんな思いでいるのか、わかろうとしてみましょうか」「(彼、彼女が)何か言うとしたら何て言いそうか聞いてみる感じで、、」「じっと見守って感じ取ってみましょう」などと介入します。

 イメージとの体感的な距離感はとても大切で「どれくらい近づけそうですか」「近づいても大丈夫そうですか」「背中を擦ったり抱きしめたりできそうですか」などと聞いて確認します。それでクライアント(彼、彼女)とインナーセルフとの距離感が見極められます。「寄り添うような距離に近づいてみて」「背中を撫でたりさすったりしてみて」「手を握ったり、できそうだったら抱きしめてみては」などとより積極的に提案する場合もあります。

6,考察

 インナーセルフのイメージ展開にはよく登場する共通したイメージが見いだせます。否定的イメージでは、体育座りしている。うつむいてる。顔が見えない。など。接しているうちにそれらが変化した時の肯定的なイメージでは、笑ってきた。落ち着いてきた。などがあります。また、近寄りがたい。触れない感じ。距離を取りたがっている。などもよく登場します。

 自分の問題となる部分とどれだけの距離にあるかを、出現するイメージとの間合いから計ることがでます。地下の部屋に降りてみたが誰もいない。などはまだ直に向き合える状態ではないと推測できます。また、近寄れない。見守ろうとしても批判的な部分があってそうできない。などいうことで、すんなりとはいかない感じが見て取れることもあります。

 そのように内的自己像と自我意識との距離感、内界に対する距離感が把握できることでインナーセルフ療法だけでなく心理療法全体としての容易さ困難さが読み取れます。他に距離感の具体例としては、近寄れない。部屋にいない。隣の部屋にいそう。どこかに隠れていそう。部屋に居なかったのに部屋を去る段になって名残惜しい感じがしてきた。影のようなイメージ。距離を取りたがっている。触れたり抱きしめたりできない感じ。などがあります。

 内面に浮かんでくる自己像と向き合うことはクライアント自らの自分への気づきの大きなきっかけとなります。インナーセルフ体験をしてもらうことでクライアントが今まで無意識的で気づかなかった部分や否定していた部分を知ることもできます。またセッション直後の話し合いで、自分の内面をより掘り下げることができるようになります。

 インナーセルフ療法の短所としては、やはり指示的な心理技法の部類に入るので、クライアント自身の気持ちの流れやペースをねじ曲げてしまう危険性があります。自分に向き合うことも容易でない、ギリギリいっぱいのクライアントの場合などには適応できません。カウンセラーから働きかけが多くなることで「わかってもらえた」という感じがしなくなる場合もあります。またフォーカシング技法が未熟だと自律的イメージが出現、展開しにくい場合に対処ができなくて行き詰まってしまうでしょう。インナーセルフ療法だけでなく閉眼しての心理セッション全てに言えることですが、間のとり方のコツを会得するのが難しくもなります。

★参考文献:『インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法』『愛・孤独・出会い エンカウンター・グループと集団技法』内界の子供イメージについては網谷由香利氏がその著書『子供イメージと心理療法』でユング分析心理学的な立場からクライアントの内界とともに治療者側の内界にも立ち現れてくる子供イメージの治癒力について考察しています。


催眠とはどのようなものか(催眠は日常の現象の凝縮版)

 催眠で起こる一見不思議な心理現象は全て日常で起こる通常の心理現象となんら変わりがありません。ここでは、その日常にある催眠状態と共通の心理現象をピックアップしながらそれらがどのように催眠状態と同等なのかを述べてみます。

感情移入と自我放棄

 催眠に入った状態を「催眠トランス状態」と言いますがこの状態は「感情移入状態」と「自我放棄状態」の二つの言葉でほとんど説明がつきます。トランス状態とは「その気になったり夢中になって、我を忘れてしまった」状態であるといえるのです。

 日常で何かに夢中になり我を忘れていく状態と、催眠誘導によってトランス状態に入っていく流れは先に述べた「感情移入」と「自我放棄」の言葉を使えば同じものとして説明ができます。それはまず注意集中状態からはじまり、感情移入が強まると同時に自我放棄状態が高じてくる。そしてそれがもっと深まってくると自我放棄の強い形の解離(ある心的傾向を意識外に保つ作用)に至る。などといえるのです。

 我を忘れたというよりも我がなくなってしまった状態といえるこの強い解離状態はとても不思議な感じを起させます。この極端な自我放棄状態は催眠でいうと記憶支配と言われる状態と同じレベルです。そこでは時に、覚醒後に催眠時の記憶を自然に失っている場合もあります。それは二重人格的状態といえるでしょう。

 催眠トランス状態はお酒を飲んで酔っぱらって次の日に、昨日どのようにして帰ってきたのかよく思い出せないのとも同じです。催眠の方はそのような状態を人為的、意識的に誘導者がリードして作っていくというだけの違いです。でもだれでもが催眠に入るとこの状態に直ぐなるわけではありません。お酒の酔っぱらい方と同様に個人差があるわけです。

 このような極端な例でなくて、何かに夢中になってあっという間に時間が過ぎていた、などというようなちょっと我を忘れている状態(浅いトランス状態)は日常に頻繁に起こっていますね。例えばコンサートのライブに参加して夢中になっている状態などは催眠トランス状態と全く同一の心理状態であるのですが、より日常的なところでテレビドラマを夢中で見ている時を考えてみましょう。

 テレビドラマの物語がフィクションであると分かっていても、私たちはいつの間にかそれに感情移入して半無意識的にその主人公になったつもりでいます。そしてその主人公が様々な困難や試練を受けるときには、主人公が感じるであろう所の辛さや悲しみや怒りなどの感情、その他様々な感覚が見ている私たち自身の心身にもわき起こってきます。時にはテレビドラマが終了してもその余韻が強く残る場合があります。多くの人が子供時代にヒーロー、ヒロイン物のテレビドラマを好きになり、そのヒーロー、ヒロインの真似をして遊んだ経験があると思いますが、それは催眠で言われる「暗示効果」と全く同等の心の動きによるものなのです。

 また格闘技中継を見ている時に思わず自分の身体が、まるで自分が戦っているかのように動いてしまっているのに気づく場合があります。でももっともっと自分で気づいていない微妙な心身の動きは非常に多く起こっているのです。そしてこれらの無意識的な心身の活動は感情移入の程度が高くなるに従ってより強大となっていきます。

 好きなことに没頭して徹夜してしまう人もいますが、夢中で小説を読んでいて気がついたら夜が明けていたなどというように時間の感覚が変わってしまいます。催眠を体験したその直後に催眠を行っていた時間はどれくらいだったと思うか確かめると、多くの人が正確な時間よりも短く感じたと言います。ここには通常の自我意識の働きが薄れている点が伺えるのですが、人は我を忘れる度合いが強くなるにつれて通常の時間に関する感覚はなくなってしまうのです。

 お酒には元々自我意識を麻痺させて自己解放を即すところがあります。例えば同じ様にお酒を飲むにしても、気心の知れた仲間とだと良い感じに酔っぱらえて楽しいのに、接待の席や気の使う上司とだと全く酔わなかったりする場合があります。誰でも日常的に我を忘れて夢中になれる心の働きは持っているけれど、その働きは時と場合によって変化するのが普通なわけです。これと同じに催眠状態に入る入らないや、またそのトランス状態の深い浅いは、時と場合でかなり違いのあるものです。

 学術的な催眠に関する著作では被暗示性テストと言って催眠状態に入りやすい人と入りにくい人の統計を取って個人差があることを結論づけています。確かに生まれつきの個人差はある程度否定出来ませんが、基本的には、生まれてから今現在までの生活の中で、感情移入や自我放棄することに慣れている人と、それに慣れていない人がいるということが事実のようです。

 役者さんの映画作りや舞台での演技にしても、素人や下手な役者の場合にはセリフの棒読みになってしまいますが、上手な役者だと本当に気持ちがこもっています。昔流行った映画「極道の妻たち」で役を演じている女優の岩下志摩は、その撮影期間中プライベートにおいても、自分の演じる役柄のように男言葉がつい出てしまう、と言っています。名優と呼ばれる人は役になりきる(感情移入)にたけているようですが、そのような役に気持ちを入れ込む(感情移入する)能力は日々の努力や訓練によって高めることもできるのです。

 この点は催眠講座などで定期的に催眠について学んだり催眠に入れるように訓練していくうちに催眠状態に深く入れる人の割合が急速に増えてくることからもうかがえます。

 逆に極端な例として、全くといっていいほど催眠状態に入れない人がいます。イメージすることや感情や感覚を感じることなどが、どうもピンとこないタイプの中にそのような人が時々います。意識的自我の働きがとても強いようで、いざ催眠をやろうなどと思うと、その意識がさっと頑張りはじめてしまうようです。自我放棄状態に入ろうと意識を働かせてしてしまう動きが、逆に自我意識を強化してしまうのです。

 めったにないことですが、その反対にあまりにも催眠に早く入りすぎる人がいます。催眠で無く日常でも外界の影響を受けやすく、それによって意識状態もいろいろ切り変わる感じで、その時々によって人格もかなりハッキリと切りかわるようなタイプの、多重人格的(これは良い意味のところもあります)な人がいます。我を忘れやす過ぎる人と言えるのかも知れません。

 はじめて催眠を体験した人でそれも浅い催眠状態だと、体験する前に想像していたのと違って、催眠にかかっても意識はなくならないのですね、と言われたりします。我を忘れても意識はなくならないともいえるのですが、日常において「その気になっている」時や「我を忘れている」ことに気がつくのは常にその状態から抜け出している時なわけです。夢中になっているときにはそれと気づかないのが普通だし、浅いトランス状態では感情移入して我を忘れたり、我に戻ったりと行ったり来たりが頻繁になるようです。

 催眠状態が深くなればなるほどに意識はなくならないにしても自我意識的な働きは弱まっていくといえるでしょう。我にかえることが少なくなるのです。それは睡眠中に夢を見ている状態に似ているのではないでしょうか。深い催眠から醒めるときにまるで夢から覚めたように感じる人もいるのです。

イメージ活動の活発化

 小説を読んでいて優れた描写に出会った時や、その文章が自分の経験にうまく合致したとき、その場面や景色がありありと思い浮かびます。そして時には、あたかもその風景の中に立っているかのように、風景の美しさやその雰囲気まで感じられる場合さえあります。

 この様な時のイメージ状態と、催眠トランス状態にあって風景などをイメージしている場合の違いは小説か催眠誘導者の暗示言葉かの違いだけであってイメージしている当人の内界では、リアルさはそれぞれ違っていても、イメージ活動としては同じ働きなのです。

 催眠状態にうまく深く入れた体験を「夢のようだった」という人が時々いますが、催眠トランス状態にある人は非常にイメージ活動が活発であることが、当人の報告やその状態における眼球活動の観察などからも良く分かっています。同じように睡眠中の夢の観察結果からでも、レム睡眠期といわれる時には、夢をよく見ているらしく、眼球活動もとても活発になっている事も報告されています。

 また睡眠から目覚めた後、当人が夢を覚えているかどうかは別にして、リアルな夢の場合だと、それにともなって身体の活動も活発になり、体を大きく動かしたり、寝言をハッキリ言ったり、時には起きあがって行動して、また寝てしまう人までいます。この様な行動はまるで深い催眠トランス状態で起こるところのものとそっくりなのであって、イメージをリードする誘導者がいるのといないのの違いだけなのです。

 イメージ自体のことについてはここでは深く立ち入りませんが、このようなイメージ活動の中でより強力なリアルなイメージが心理療法や能力開発にとって非常に役立つのです。ということはリアルイメージが出現しやすい状態が得られるなら何も催眠でなくとも良いとも言えます。例えばスポーツ界で常識となっているイメージトレーニングにしてもより良い感情移入状態が起るならば自然と強力なイメージトレーニングが出来るのです。

 ここで注意しなければならないのは、より強力なイメージを理想として、それにこだわり過ぎると、そのような状態にならなければ、とか、これは違うのではないか、などと意識的な働きが強くなりがちな点です。一番大切なのは我を忘れて感情移入することであって、その気になっているから自然にイメージ活動が活発化するわけだしリアルにもなっていくのです。

 自己催眠やイメージ・トレーニングなどをする時、人にそれを手伝ってもらうと自分だけでやるよりも数倍集中がしやすくなります。信頼できる催眠誘導者にリードをしてもらってイメージ練習などの手続きをふめば、通常より、よりリアルなイメージが得られやすくなり、そのコツも会得しやすくなるのです。

★参照ページ:『催眠療法


催眠療法とはどのようなものか その長所と短所

いろいろある催眠状態

 催眠状態を説明するのに、例えば電車の中でウトウト状態にある時と同じだといいます。もちろんそれもひとつの催眠状態です。催眠誘導者のリラックス中心の暗示効果で、リラックスが深まってウトウトしてきたのです。催眠にはほとんど入ってないのに、催眠誘導者がゆっくりゆっくり穏やかに声をかけてくるので、ついウトウト眠くなってしまう被験者も結構いるかもしれませんね。

 催眠状態はウトウト状態だけではありません。深い催眠状態に入ってしまって誘導者に「あなたは鳥だ。空を飛んでいる」と暗示されたとします。信頼できる誘導者には安心して自分を委ねられますから、素直にその気になって空を飛びます。より深い催眠状態になればなるほど、まるで全身鳥になってつい手を羽のように羽ばたかせてしまいます。もちろん身体は空中には浮きません。でも心は飛んでいます。

 活動的な催眠暗示に反応すれば活動的になるのが催眠トランス状態です。催眠暗示によって導かれれば、ウトウト状態にも、その反対の活動状態もにもなるわけです。 それがあるので、催眠療法によって、今までうまくできなかった心と身体の一体感を会得したり、日常の自分の枠を越えて自分の内にある感情を発散したりもできるのです。

 催眠状態を説明するときに、催眠に入っている時はちゃんと意識もあり、周囲の物音や人の声も聞こえ、話すことはもちろん質問に答えることや、それに答えることを拒否することもできると説明されている場合があります。でもこれも、そう暗示すればそうなるというようなものです。深い催眠状態に入るほどに我を忘れてしまうので時には催眠状態の時の記憶がすぐには戻らない場合もあります。

深く入るにしたがって我を忘れていく催眠状態

 また催眠は催眠誘導者の暗示を受け入れることを望まない限りは成立しない。と説明されていたり、結局は催眠に入る人が自らどこかでそれを望んでいるからこそ催眠に入れるのだと言われていたりもします。 もちろんどんなに深い催眠状態に入っても意識が全てなくなるわけではありません。倫理観も残ってはいます。けれども催眠に深く入った人でその体験を、まるで夢のようだったと言う人もいます。催眠状態が深まるほどに自我意識のコントロール力は弱くなるのです。

 これはお酒で酔っぱらうのと同じことなのです。お酒を飲んで上手に酔っぱらうと開放的になります。言いかえると通常の自我意識の判断力や思考力がアルコールの力によって麻痺してくるわけです。催眠はアルコールの力は借りてませんが、同じに通常の自我意識の判断力や思考力を失わせるようにしていくわけです。両者の心理現象は随分似通っています。

トランス状態

 催眠トランス状態といわれと何か特別の意識状態のように思えてきます。でもトランスと言われる状態は、何も催眠術の専売特許ではありません。人は皆、日常生活でトランス状態と同じような体験をしているのです。先に例えに述べた、お酒を飲んでいい感じに酔っぱらった時にも似ていれば、何かに夢中になっている時。例えばテレビに集中していたり漫画や、小説を時を忘れて読んでいる時などとほとんど同じ状態なのです。催眠状態に入った人を外から見ると、まるで魔法にでもかけられたように見えて不思議です。でもコンサートで盛り上がっている聴衆も似たような心理状態だし、ウルトラマンになったつもりで遊んでいる子供も同じ心理状態なのです。

 人はそんなふうに何かに我を忘れて夢中になっている時、自然に無意識でストレス発散、解消などの心の調整を行っています。我を忘れて自己解放することは人の心身の調整や生き甲斐に必須のものなのですね。信頼できる催眠誘導者にリードしてもらうと、とてもスムースにその状態に入れます。これが催眠が役立つ一番の理由です。

催眠療法の長所と短所

 催眠療法ではクライアントにできるだけ深い催眠状態に入ってもらって、療法を行うことが一番役立ちそうにみえます。確かに深い催眠状態に入ったクライアントに治療者が、心強い暗示を送り込んでクライアントを支えることは治療的にとても役立つものです。 ただこのやり方の欠点は、浅い催眠状態では効果がほとんどないことです。また深く催眠状態に入ることで強く支えられる分、クライアントが自立ができにくくなる場合があります。催眠療法に限らずともカリスマ的な治療者に支えられたままになってそこから抜け出せないでいるクライアントもいるのです。

 またそのような心理治療のあり方では、無意識の方は変わったけど自我の方の癖になっているパターンは昔のまま残っている場合があります。それだけでは同じようなことをくり返してしまって最終的な解決にならないのです。 そこで心理療法では、クライアントはカウンセラーに支えられながらも、でも全面的に頼るのではなく、自分自身も冷静な意識を持って、自分の心に向き合うようになることがとても大切だったり必要だったりします。その点『インナーセルフ療法』は催眠イメージを用いながらも「自分対内なる自分」という形で自分に向き合えるのでとても有効です。

治癒に役立つ創造的な催眠状態

 上手に催眠状態に入ると意識が思いつかないような自律的な、それもリアルなイメージが現れたり、それが展開しはじめます。それらは時にとても苦しかったり、おもしろかったり、不思議だったりもします。 クライアントの心の深層からそのように現れてくるイメージに、クライアントと治療者の二人で向き合って取り組んでいくことがクライアントの問題解決や治癒に非常に役立ちます。これは催眠療法以外の心理療法とも根幹では共通です。これによって心がより成長するので心理的な問題が解決に至るのです。

 このように自分もしっかり保ったうえで深い催眠状態に入れる(イメージの世界に没入していける)というような矛盾したあり方は、創造性を発揮するための秘訣でもあります。その両方の能力をより持てば持つほどに創造性を最大限発揮できるのです。

 クライアントの心の深層からそのように現れてくるイメージに、自分を見守るクライアントと治療者の二人で向き合って取り組んでいくことがクライアントの問題解決や治癒に非常に役立つのです。これは先に述べたように本格的な心理療法では共通する基本のやり方です。

 ※このように自分もしっかり保ったうえで深い催眠状態に入れる(イメージの世界に没入していける)というような、相矛盾したあり方は創造性を発揮するための秘訣でもあるのです。その両方の能力をより強く持てば持つほどに創造性を最大限発揮できるわけです。

催眠療法が得意とする心理技法

 催眠療法ではクライアントを催眠状態に導いた後に様々な心理技法を用いて治療をします。応用がきくのでその分、技法の数が多くなります。主な催眠技法をピックアップしてみましょう。

 ①ただ単純に暗示を入れる古典的な暗示療法。②できるだけ深い催眠状態に導いてそこで深いリラクゼーションを体験してもらうリラックス療法。③訓練的な行動療法やメンタルリハーサル法。④潜在意識から自律的に浮かんでくるイメージと向き合っていくイメージ面接法。⑤過去のトラウマを探す退行催眠法。⑥内なるもうひとりの自分と向きあうインナーセルフ療法。⑦私はほとんどやりませんが生前まで遡る前世療法もありますね。

 これらの技法はそれぞれに持ち味があります。そのどれもが万能選手とはいえませんが、適材適所で用いればとても効果的です。けれどもこれら以外に催眠だからこそできる、といえる素晴らしい技法が催眠にはあります。催眠状態を体験していると自然発生的に、物事を成し遂げようとするさいに必須の集中力が倍増します。ですから催眠状態を気持よく体験するだけでそのコツが会得できます。さまざまなことに取り組む時、自分の能力を最大限発揮できるコツがつかめるわけです。

 例えば勉強する時でも、我を忘れて夢中で勉強できた時にはアッという間に時間が過ぎています。没頭する力によるものです。スポーツの場合にメンタル面の大切さがよく強調されます。それがこの没頭力(集中力)です。 集中力は、もちろん自分一人でも養うことはできます。けれども信頼できる催眠誘導者にリードしてもらうと、自分一人でトレーニングを行うより何倍もイメージ力がアップします。その体験からより深く強く集中できるコツが会得できるわけです。

 ところで、悩み苦しんで来談されるクライアントのほとんどの方が、心と体がバラバラ状態になっています。来談以前に、問題を解決しようと一人で考え、自分をコントロールして乗り越えようと頑張るだけ頑張ってきたのです。でもうまくいかず、疲れや焦りが増すばかりの悪循環に陥ってしまっています。 まじめで健気な人ほど小さいころ両親や大人からしつけられたように、理想の自分になるために自分を強くコントロールします。また学校で「よく考えて答えを出しましょう」と学んだように、頭を使って一生懸命考えます。その分、葛藤が増え心と身体が解離してしまったのです。

 ここを乗り越えるためには、今までの人生で癖になっていた、何ごとも頭(意識)や意志力で頑張って乗り越える。というやり方を横に置いて「本来のありのままの自分や、からだ自体の持つペースでやっていく」というあり方への転換が必要です。

 もう二十年以上昔の話なのですが、ある演劇学校に通う青年は、講師の前で演技をすると必ず緊張して上手く演技ができなくなるという悩みで来談しました。彼の悩みを聞いた後、心身相関の説明をしてから、シュヴリゥルの振り子運動という、催眠の前によくやる被暗示性テストというのをやってみました。

 シュヴリゥルの振り子運動では、糸の先につけた重りを目の前にかざして動く動くと念ずると、糸に吊るした重りが勝手に動き出すのです。そのことに彼はとても驚き不思議がっていました。その後に「私たちの意識は勘違いしている。身体は常に意識でコントロールしなくてもそのほとんどを身体自らが勝手にやってくれている」ということを説明し、軽い催眠も試して初回の面接を終了したのです。

 二回目に来た時には彼の悩みはもう解決していました。彼の言うには、初回面接に来談した後日、テレビでフィギアスケートの放映を観たそうです。フィギアスケートでは周りに観客がいてスケートの演技を行う選手を応援します。彼はテレビでそれらを観ていて大きな気づきがあったのでした。 それをまとめていえば「そうか、実際に演技をする時にはそれは身体に任せよう。自分(意識)はフィギアスケートを周りで見ている観客のように、見守り応援する側にいれば良いのだ」ということだったようです。

 その気づきの後に彼は演劇学校に行き講師の前での演技さいに、身体にまかせるような感じでやってみたのです。すると、その役の感情まで立ち起こってくる感じでうまくやれたのです。それまでの彼は、演技を完璧にこなそうと思うあまり、そのいちいちを意志の力でコントロールしようとし過ぎていたのでした。

 あがり症のために、音楽の発表会でお手本の演奏をすることが恐怖になっていたある楽器の先生がいました。その方は心理面接の中で自分自身と向き合われて、長年親しんできたその楽器が、ただ好きという以上のものであることに気づきました。子供のころから大好きなその楽器と触れ合い演奏することが、思っていた以上の大きな支えとなっていたことを再認識したのです。 そこで催眠を用いて、その楽器と触れ合い演奏できる喜びを再認識しながら、楽器と一体になって演奏しているイメージトレーニングを行ったのでした。その成果として何よりも素敵だったのは、その後に自宅で演奏練習をしていた時に「心からこの楽器が好きだ」と思えて涙が止まらなくなったことです。

 大きな支えとそれとの一体感があればもう怖いものはなくなりますね。「人がどう思おうと私は私の道を行く」というようなあり方が自然に強くなります。人目など気にならなくなるのです。このような一体感は楽器にだけとは限りません。「自分と一体になる」というのもあります。それは自分を信じるということであって「自信」ということに繋がる話です。

 ただ単に自信を持ちなさいといわれてもそれだけで自信を持てるようにはなれませんよね。でも催眠イメージトレーニングを用いれば、スポーツでも楽器演奏でも、または自分自身とでも、心身一体となって、本物の自信を持ってのびのびやっていくコツを会得することができるのです。

★参照ページ:『催眠療法』『インナーセルフ療法


リラクゼーションと自然治癒力

 こころとからだのリラックスがとても大切なことは万人の知るところです。

 ではなぜリラックスが大切なのでしょう。それはリラックスすればするほどに生命体の働き(自然治癒力など)が活発になるからです。緊張することは逆にこの働きを滞らせてしまうのです。

 例えば被災地を復興するには、復興するに必要なものをそこに持ち運び、被災して不必要になったものは持ち去って破棄します。ところが時に、被災地までの道路が分断されていてトラックがそこまでたどり着けず復興がおくれてしまうということが起こります。緊張するということは、この被災地に通ずる道路を分断はしなくとも狭めてしまうことになるのです。荷物を積んで被災地までを往復するトラックは渋滞に巻き込まれてしまい身動きできなくなるのです。リラックスすることは、この大切な被災地までの道路を広々としたものにしつらえることになるのです。

 リラックスすればお腹も胸ものびのびと動きます。胸やお腹の辺りにある様々な内臓器官も楽にスムースに動き、働くことができるるようになります。例えば食べ物を食べれば、リラックスしてのびのび動きやすくなった胃や腸やその他が必要な栄養素だけを速やかに吸収してそれ以外はスムースに排泄するように働きます。滞りが無いために体内を常に新鮮に活き活きと保てるのです。

 深いリラックスによって身体(筋肉)が緩むと血液の流れ道である血管も広がります。そうなればまるで渋滞のない広々した道路のように血管の中を血液がスムースに流れます。体のあちこちにたまった老廃物を血液トラックさんがさっさと持ち去ることができます。またその逆に必要な栄養素を速やかに体の隅々まで配達しやすくなります。流れがスムースになればなるほど自然治癒力は働きやすくなるのです。他のリンバや神経の流れや、東洋医学でいう経絡の流れ、はたまたインド発祥のヨガでいうクンダリーニの流れなど「体内の様々な流れ」も同様です。

 心も同じです。「心を開放する」といいますが、緊張があるところで解放はスムースに行きません。リラックスすることによって心的エネルギーものびのび活き活き流れるのです。

 「ストレスが溜まる」と言いますが、緊張によって流れがせき止めら否定的な感情や情動が鬱積している状態です。でも、深くリラックスして眠れば睡眠中に、この溜まったものが開放、調整されます。それと意識しなくとも目覚めた時にはもうスッキリと調整が終わっている場合だってたくさんあるのです。睡眠中に見る夢は、この脳の自己調整作用の働きのモニターのような役目をしているようです。

 泣くこと、涙を流すことはヒトの大切な営みのひとつです。カウンセリング場面で苦しく辛かった思いを話す時、涙が溢れます。また時にはフォーカシングで自分を見守ろうと目を閉じ、内面に目を向けただけで、なぜだかわからないけど涙が溢れて止まらなくなる場合もあります。そのようにして涙を流しきった後には、涙でお化粧は剥がれていても不思議に眼はパッチリクッキリとしてきます。まるで使用前使用後のように、つやつやいきいきとした顔つきに変化する人も多いです。涙とともに心の閉ざされていた部分が開放されて道が広く繋がり流れが良くなることで心も身体も新鮮に蘇ったのでしょう。

 ところで深いリラクゼーションを得るためには「ほっと安らぐ」ことがなければなりません。そのためにはできるだけ居心地の良い環境になるようにしつらえる工夫が必要です。例えば家族や友人に余計なことは言われないで、ただ寄り添ってもらったり、共感してもらえればそれは大きな(心の)支え環境となります。また人間よりもペットの方がより気持をわかってくれて支えになる場合もありますね。自然に包まれることもその大きな一つです。先月永眠された「森のイスキアの佐藤初女」さんは「食事をして美味しいと感じた時に心が開放されるんですよ」とNHKアンコール アーカイブス「心をわかちあう」の対談で話されてていました。またお風呂に気持よく入れたなら、それもかなり深いリラクゼーションとなります。

 リラクゼーションに導かれるきっかけをいろいろ述べてきました。それら全ては、いろいろ心配だったりして苦悩したり、焦ったり、一人でいろいろ考え続けて(頭が)一時も休まることもなく頑張り続けている部分をピタッととめる効果があるのです。人はホッとすると何も考えなくて良いようになります。想像力がある人ほど悪いことを想像すると、まるで本当にそうなったかのように身体までそれに反応してしまうのですが、それも止まってしまうので心身ともに楽になるわけです。

 逆にいうと、頭が思い煩い考え続けてしまっているうちは周りがとてもよい環境になったとしてもそれが内面まで響かず深いリラクゼーショが得られない場合もあるのです。また強い自己否定が癖になっていると、周りからのよい働きかけさえも自己否定の回路と結びつき、結局最後はいつものように自分を責めることになりかねないのです。このあたりのことは次回に「リラクゼーションと自然治癒力その2」でもう少し詳しく述べてみます。



野田式催眠理論

 野田式催眠では、実は催眠状態の方が普通であって、覚醒しているとか意識している状態のほうが特殊なのであるといいます。普通の催眠のとらえ方とは正反対で、まやかしっぽい言い方ですよね。でもこれ、いがいと真実なのです。

 この考え方が正しいかどうか?まずは催眠とはどのようなものか、という基本のところから考えてみましょう。催眠療法は心理療法の歴史の中で一番古くからある治療技法です。でもそれほど古くからある催眠なのにちゃんとした理論はありません。みなそれぞれに催眠とはこういうものだといってはいますが、それらは部分的なものであって、催眠の全てをひっくるめたような理論がないのです。

 でも、私に言わせれば、催眠は『感情移入(集中)』と『自我放棄(移譲)』の二つであっさり説明できるのです。催眠(トランス)状態とは「その気になったり夢中になって、我を忘れて(誘導者にあけ渡して)しまった」状態ということです。一部ではこれと似たようなふうにいわれることはあったのですが、このとらえ方をメインにして催眠の理論としたものは今までありませんでした。

 例えば、日本の学術的な場では成瀬悟策氏の「催眠とは人為的に引き起こされた状態であって、いろんな点で睡眠に似ているが、しかも睡眠とは区別でき、被暗示性の高進および、ふだんと違った特殊な意識性が特徴で、その結果、覚醒に対して運動や知覚、記憶、思考などの異常性が一層容易に引き起こされているような状態を指していう」などといわれています。

 これを読んでいると、催眠状態ってよほどの特別な意識状態なんだなぁ、、と思えてきますよね。催眠トランス状態は「変性意識状態」とも名付けられています。この言葉だけでも催眠状態は特別な意識状態なのだとの思い込みができあがってしまいます。でも実は催眠と同じ心理状態は日常でしょっちゅう起こっているのです。成瀬先生のいうような「ふだんと違った特殊な意識性」ではなくてその逆に、ふだんに頻繁にある意識状態なのです。例えば何かに没頭しているときは、その全てが催眠状態と同じく我を忘れた(我をなくした)意識状態なわけですが、そんなことは日常にしょっちゅうありますよね。

 脳神経学者の ベンジャミン・リベット『マインド・タイム  脳と意識の時間』にいわせれば、その実験結果からすると、人間の意識は実際の行動より0.5秒遅れてあたかも今それをやっていると思い込んでいるというのです。この論を推し進めていくと、人の日常はそのほとんどを無意識的行為が占めていて、意識はただそれらを自分でコントロールしていると思い込んでいるだけということになります。もちろん意識もいろいろやってはいるでしょうけど、その量たるや、ビット数に換算すると人の心身の情報は1100万ビットという凄い量なのに、意識の方にあがるのは50ビットという微量なのです。

 ベンジャミン・リベットの実験結果や、意識の働きはたかだか50ビットということから更に考えを推し進めていくと、人は、催眠状態と同じようにその日常のほとんどを無意識的な行動で過ごしていることになります。このことが冒頭に書いた、催眠状態の方が普通であるということです。意識って、身体とは別に頭で四六時中考え続けているせいか、いつのまにか自分が全てを統制しているように思い込んでしまったのですね。

★参照ページ『催眠の正しい理論