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面接室と箱庭療法道具の写真

 最近の面接室のお部屋の様子と、箱庭療法道具の写真をアップしました。ブラインドを新調したので、お部屋が少し明るくなりました。

 面接室の様子をご覧頂いて、安心してご来談頂く助けになればと思います。

 地図・住所のページにアップしましたので、もしよろしければご覧ください。

★参照ページ:『地図・住所


心も休まるリラックス体操

自分でする治療技法

 自分自身の努力で自分を良くしていきたい、変えていきたいと思っている人にお勧めの方法です。リラックス体操を根気よく続けていれば心身ともに必ずよい変化が現れてくる、と言い切れます。

 でも毎日やらなくとも、また怠け者にも役立つ体操でもあります。

 テレビを見ながらやっても良いし、身体に深く深く集中して瞑想のようにやってもどちらでもそれなりに役立ちます。とにかく気持ちよい感じやすっきり感が出る範囲でやること。すると気持ちよいので自然にまたやりたくなるのです。これが野田式リラックス体操のポイントです。

 まず強調したいのは、体をほぐすこと(ゆるめる、柔らかくする)が人間の心身の健康にとって非常に大切であることです。身体がほぐれることによって体内の血液の流れを筆頭に様々な流れがスムースになります。もちろん脳内も同様です。

 それによって人間生命体の自己治癒力が最大限に発動されます。

 最近のヨガブームだけではなく、一般的な雑誌でマッサージやアロマテラピーその他のさまざまなリラクゼーションの特集をよく見かけます。けれどもそんな癒しブームの中でも精神的な面では相変わらず頑張ることや、より早く、より強くあることが理想とされ目標となりがちです。もちろん行動する時や、緊張する時には強くしっかりと堅くなる筋肉がよいわけであり、がんばり抜く意志力が大切なのは当然なのですが、、、

 生きていく上で安らぐこと、リラックスすることはやはりおまけ程度のものとなりがちです。リラックスの重要さとその理解はまだまだ遅れています。出来れば学校教育の中に、上手に深く休む(やすらぐ)ことを学ぶ授業を取り入れるくらいになってほしいものです。

 はじめに、体をほぐすことがどうして役に立つのかを簡単に解説します。次に自分で自分の体をバランス良く、効率よくゆるめ、ほぐしていくためのポーズとその時の心構えや注意点をあげ。最後にほぐれた体とともに心もリラックスして深く休息するコツを学びます。

 気軽にできる範囲でからだ全体をバランス良くほぐしていける最低限のポーズでコンパクトに構成してあります。背骨を中心に前後に、曲げる。反らす。左右に曲げる。ねじる。またもう一つは、股関節を中心に下半身を屈伸して、柔らかくしていきます。

 また、ただやみくもに柔らかさを追求したり、また、のんべんだらりと行うのでなく、意識のもって行き方を工夫することで、心身一如の効果をねらっています。

A: 体を柔らかくほぐすことがどうして役立つのか。

 体がほぐれることによって、血管も開き血液の流れもスムーズになります。又他のホルモンや神経系の流れもスムーズになるでしょう。圧迫された内臓ものびのびと働き出します。呼吸が楽に深々と出来るようになります。たぶん脳内細胞のシナプスの連絡もスムーズになるでしょう。

 逆に言うと日頃は緊張すること、堅くなることで、様々な身体内の流れや連絡網を中断したり、押さえたりして心身をコントロールしているといえそうです。

B: 各ポーズを行うことのねらい。

 体の構造上から、背骨と股関節を基本にして体全体をまんべんなくほぐし、伸ばしていくポーズを取り上げました。要するに頭のてっぺんから足先までを一本の棒と思って、それを柔らかくすることと、もう一つ股関節に関して、二本の棒がV字型につながっていて、そのつながった部分をどのようにでも動かせるように柔らかくしていくと言うことです。

 もう一つ肩関節が残っていますが、肩にかんしては背骨と股関節を伸ばすポーズを行っているうちに、ある程度ですが付随的に伸ばされていきます。

 背骨、頸椎を前後左右に曲げたり伸ばしたり、又ねじったりします。

 股関節関連では、開脚したり、膝の後ろを伸ばしたり、正座をして上体を後ろに倒して、膝の前側を伸ばしたりしていきます。

C:意識を身体の各部位に向けることのねらいは。

 体に注意を向けたりせず、テレビを見ながら、ラジオを聴きながらでも体操は出来ます。何か考え事をしながらでも体操はできるわけですし、それでも十分効果はあります。でも、より良くなりたい場合や、特に心理的な効果をより望むなら、体操を行っている間、できる限りからだに注目して、身体感覚を味わい感じ取る事をしましょう。

 フォーカシングというとても役立つ心理技法がありますが、その中心的技法である「自分を見守る」技法をリラックス体操を行っている間からだに向けるのです。それによってバラバラになっていた人の心身が繋がり、まとまりがでてきます。

 野口体操という、ユニークですてきな体操の創始者である野口三千三氏はその著作の中で『からだと対話する』と言う事から、それを越えて『体操とは占いである』」『からだの中身に遍満している神に問い聴く』とまで言っています。

 からだの声を聞こうとすると意識は余計なことを考えなくて済むようになりますから次第に心が落ち着いてきます。

 からだの言う言葉はすぐには理解できなくとも、根気よく問いかけていると、必ず、すばらしいメッセージと贈り物を届けてくれるようになります。

1.踵を合わせた前屈のポーズ

 1)膝を折り曲げて足の裏をあわせ、両手で足先をつかみできるだけ股間に引き寄せる。大きく息を吸いながら上体を上に反らし、息を吐きながら上体を前に倒していく。

 2)体の痛くなるところやきつくなるところに注意を向け続ける。

 3)かなりきつくなった時点で、動きを止めてしばらく、じっと普通の呼吸をしながら体の痛いところや突っ張るところを観察し続ける。

 4)しばらくたったら、出来るだけゆっくりゆっくりと、痛いところや突っ張ったところがどうなっていくか注目し続けながら、体を元に戻していく。

 5)足もゆるめ、痛かったところや突っ張ったところがどうなったか、観察しながら少し休む。

 同じ動作を二三回繰り返して、次のポーズに行く。

2.股を左右に開く+前屈のポーズ

 1)足、膝を出来るだけピンと伸ばし、つま先も反らせ出来る範囲で股関節も一番広くまで開脚する。

 背骨を出来るだけ反らせて胸を張りながら息を吸う。腰も出来るだけ反らせる。

 2)両手の平を体の前の床に着きながら、息を吐き出しながら上体をゆっくりゆっくり前に倒していく。

 3)我慢できるぎりぎりの所まで前に倒す。その位置で静止して楽に呼吸をしながら体の痛いところや突っ張るところを観察し続ける。

 4)しばらくしたらゆっくりと状態を戻していく。痛かったところや突っ張ったところが楽になってくるのを注意し続けながら戻る。

小休息のポーズ

 5)戻りきったら、足もゆるめて楽な状態で少し休む。その時も足や股関節など、体を観察する。背中を壁にもたせかけたりして休むのも結構です。

 小休息は自分のからだと相談しながら随時取り入れていきます。

 自分が好きな姿勢、眠り込まない程度に楽な姿勢で休息します。

休息のポーズ

 リラックス体操はゆっくりやればやるほど瞑想に近くなって来ます。

3.下肢の裏側と背中を伸ばすポーズ

 1)座った姿勢で、両足をそろえて前に伸ばし、足先、膝裏も出来るだけ反らせる。

 2)息を吸い込みながら胸を反らし上半身を反らせる。息を吐きながら、上体を膝の方に倒していく。下腹をひざに付けるつもりで倒していく。

 3)我慢できるぎりぎりまで倒して静止。楽に出来る呼吸でしばらくそのまま。

 息がしづらい場合は止めたままで。この時は首の力を抜いて頭も出来るだけ前に倒す。

 4)他のポーズと同じように、体の痛いところや、突っ張るところに注意を向け続ける。

 5)暫くたったら急がないでゆっくりゆっくり上体を戻していく。痛かったところや突っ張ったところが変化していくのを観察し続ける。

 戻りきったら足もゆるめて楽な姿勢で小休止。

4.下肢の裏側と背中を伸ばすポーズのバリエーション 片足ずつをじっくり伸ばすポーズ

 1)左足を膝裏、足裏もできるだけ反らせてしっかり伸ばします。右足を折り曲げて足裏を左太股付け根にくっつけます。

 両手で左足指をしっかりつかむか、それが出来ない場合は、両手の平を左足の両側の床に着けます。

 2)後は両足をそろえてやるポーズと同様に行います。

 片方を行ったらもう片方にと、交互に行います。

5.下肢の裏側と脇腹を伸ばすポーズ

 1)左足を膝裏、足裏もできるだけ反らせてしっかり伸ばします。右足を折り曲げて足裏を左太股付け根にくっつけます。

 2)左足を伸ばした場合は、左手で左足先をしっかりつかみます。又それが出来ない場合は、左足脇の床に左手の平をおきます。

 3)右手をゆっくりと大きく振りかざしながら、左半身側面を左足上に倒していきます。右手は伸ばしたまま顔の右側につけます。出来るだけ体の真横を伸ばすように気をつけます。

 左右交互に行います。

 4)後は他のポーズと同じように、ギリギリまで倒してその姿勢を保ちます。意識のもって行き方も同様です。

 5)胸を反らし気味にして上半身を傾けていくと脇腹が良く伸ばされます。

小休息のポーズ

 小休息の時、痛みがあった所やツレがあった所が今どんな感じか観察してみます。

6.上半身の前側・背骨を反らせるポーズ(猫のポーズ)

 1)四つん這いの姿勢をとります。床につけた両手の幅は肩幅。両足も肩幅くらいにして、腰は直角に曲がった位置とします。

 2)猫が目覚めて歩き始める前に体を伸ばすポーズと同じように、足腰の位置は変えないで、両手を前方にずらして頭、次にアゴ、次に胸が床につくようにと上半身を反らしていきます。

 3)両腕は両耳にくっつけて前方に伸ばします。

 4)自分の我慢できるギリギリまで上半身を反らして、その位置で静止します。固めの人は、額を床につけてその姿勢を保ちます。呼吸は自分の楽に出来る呼吸をします。

 5)暫くたったら腰を引きながら両手を手前にずらして戻り、最後は正座の姿勢で休息します。

7.体の前面・脚の前側を伸ばすポーズ 割り膝のポーズ

 1)正座の姿勢でスネから下を外側に出して割り膝とします。

 2)両手を後方につきながら、上体を後ろに倒していきます。出来るだけスネが床から離れないように。両膝もできればくっつけたままで倒していきます。

 体が固くて背中が床につかない人は、体を反らせて頭だけを床につけるか、それもできないくらいに固い場合は、両手で上体を支えて保つか、背中に座布団を重ねたような物を置いて上半身を支えます。

 3)背中が床に着いたら両手を頭の横に伸ばしてそれを維持します。

 4)暫くたったら、折り曲げた足を伸ばし、寝た姿勢で小休息。

8.上半身・背骨・首をねじるポーズ

 ねじりのポーズは様々なバリエーションがありますが、ここでは私自身がとても気持ちよく感じるポーズで、体の固い人も無理なく行うことが出来、又、肩胛骨にも良い刺激のあるポーズを紹介します。

 1)寝転がった姿勢で、体を横にして左側面を上にします。イスに座ったときに膝を組む時と同じように、その寝た姿勢で膝を深く組みます。左側面が上の時は、左足を右足の上になるように組みます。

 そしてその左膝を右手でしっかりつかみます。

 2)左腕を伸ばして頭の左斜め上方向に反らしていき、手の甲を床につけます。この時、同時に腰から上を左に、雑巾を絞るようなつもりでねじっていきます。

 首もねじることを忘れないように。

 3)ギリギリまでねじったら自分の楽な呼吸でその姿勢を保ちます。

 暫くたったら、ゆっくり元に戻って反対側を同じようにやります。

 仰向けの姿勢で小休息を入れても良いでしょう。

 4)反対側も同じように右膝を左手でしっかりつかみます。

 5)そして右手の手の甲を床につけるつもりで右斜め上に回して行きます。同時に背骨と首を右にねじります。

9.仰向けで休息するポーズ(ヨーガの屍のポーズ)

 1~8までのポーズは好きな順序で行ってもかまいませんが、締めくくりとして最後にこの屍のポーズを約十分以上行ってください。ウトウトしたり、自律訓練法を行ったり、一眠りしたりしても効果的です。

 仰向けの姿勢で体全体を床に任せて、冷え込まないように、軽く体に掛け物をしたりして休息します。時々大きめの呼吸を行ったりして、全身がゆるんで溶けて行くつもりで休みます。

 この時に幾つかのポーズで柔らかくほぐし、延ばした身体が再調整されます。もしすぐに活動したりすると、その効果は半減してしまいます。

 きれいな景色の中で寝転がってのんびりしているなどのイメージで休息するのも良いでしょう。自分がやすらげるなら何でもかまいません。寝転がっている背中の下には地球の中心があります。私たちは引力で地球とつながっています。支えられているといえるかも知れません。その引力に全身をまかせてみましょう。

 また、体に聴くということをこの休息のポーズの時にも行い続けるのも良いでしょう。

 じっと心を澄まして、体に注意を向けます。注意がそれてしまうのが普通ですから、それに気がついたとき、また体に意識を向けます。それを根気よく続けます。この方法は瞑想に近いやり方です。

★リラックス体操は、食事をして満腹になっているときや、入浴直後など血流が激しくなっているとき、また重度の病気などの時はさけて下さい。

★それ以外ならいつ行ってもかまいません。排便排尿をすまして、体を締め付けない楽な服装で行いましょう。効果的なのは、夜入眠前と朝目覚めた直後です。

★はじめはその気持ちよさが分からないで、ただ痛いだけとか体がきついだけの場合でも、懲りないで続けているうちに気持ちよさがよく分かってくるようになります。気持ち良さが分かってくると自然にまた体をほぐしたくなってきます。

★堅苦しく考えてしまって、毎日やらないと効果がない。とかポーズを全部やらねばだめだ。これで効果が出るだろうか。などの思いが強くなると体操を楽しめなくなるし、体と仲良くすることが出来なくなります。それなら、二、三のポーズだけ行っただけでも、気持ちよさを感じられればその方がずっと効果的です。

★根気よくリラックス体操を続けていると、今までの心身の状態からより良い状態に変化しようとする働きが活発になるのですが、時に昔悪くした部分に痛みが出たり、何か一見悪くなったような感じになる場合があります。これは東洋医学で言われる「めんけん」とか「好転反応」といわれるものである場合が多いので、その際にはその反応の出ている感じを良く見守りながらそこに無理のない範囲で体操を続けているとそのうちに収まってきます。

★一つのポーズを二、三回繰り返して最後に仰向けに寝転がったポーズで十分くらい休むとして、ワンクール最低三十分くらいです。念入りにもっとゆっくり丁寧に時間をかけて行えばより良いし、それを毎日続ければそれこそ本当にすばらしい贈り物が来るでしょう。

追補

 以下は他のブログにアップしてあったリラックス体操に関する文章です。このページのはじめの方の文面と重複するところもありますが、上記より新しい(2013年)ものなので、新たにここに追加しました。

リラックス体操とは

 リラックス体操は数種類のポーズによって身体のこわばった部分を弛め、血液などの体内を流れるもの全てが滞りなくスムーズに流れることをもくろみます。身体の硬い人ほど滞りが大きいわけですからより効果が出ます。身体の持つ治癒力に最大限働いてもらうためにするのです。

 自己治癒力の働きがよく発揮されるには体内の流れ道に障害があってはなりません。酸素や栄養ホルモンなどを体の隅々まで届け、老廃物や余分な物質を運び出し、体外に排泄する血液の流れをメインに、その他リンパや神経などの伝達や流れなどがあります。それらは身体が固いほどスムースでなくなります。体内の流れが狭まりせき止められたり滞ったりするわけです。

 リラックス体操は身体を上下に分け、上半身を前後左右に曲げたり捻ったりと伸縮させます。下半身は股関節を中心に脚の(内側、外側、前、後側)の軸を弛めます。これらにより細かい部分は別にして身体全体をまんべんなく弛めることが出来ます。

 全身をバランスよくほぐすための全部で10個前後のポーズを一つのポーズにつき最低二度繰り返します。そして最後に屍のポーズで10分休息を入れるとおよそ30分前後で終了します。

 下肢は4つの体操で全てが整うという真向法を参考に。上半身は背骨を中心にした体幹を前後左右に曲げるヨガのポーズ、ねじりのポーズをとり入れています。また増永静人氏の考案した経絡体操の6つのポーズの中でヨガのポーズと共通するものも組み入れました。

 できるだけ少ない最低限(10個前後)のポーズで身体全体を片寄りなく、まんべんなくほぐせるようにまとめたのです。最後のヨガの屍のポーズで深くゆったり休むことで心身がより整います。

 リラックス体操は、めんどくさい時にはテレビを見ながらなど、ながら族でやってもそれなりの効果はあります。またその正反対にずっと集中したやり方で、体操の最中にフォーカシングや動禅の工夫を取り入れて行えば身体のほぐしプラス動く瞑想ともなります。

野田のリラックス体操日記から抜粋 2013/09/14

 リラックス体操の良さを再認識した。リラックス体操をこんなに丁寧に続けてやるのは4ヶ月ぶりだ。からだが随分と固くなってしまっている。以前はやすやすとこなしていた柔軟ポーズなのに「フウフウ、ハアハア、アーッ」などの苦しまぎれの声を漏らしながらやっとこさ10ポーズやり終えた。

 そして今寝転がってる。股関節がジーンときてとにかく気持ちよい。今朝寝起きにやった後も快適だった。

 からだを伸ばすためのキツイポーズから戻ると、からだの芯をジワッーッと滲みていくものがある。それは死んでいた部分が蘇る感じでもある。その後はスキーっと心地よい。

 この夏は腰痛で辛かった。腰に負担のかかることは特にしていないのに、夏にぎっくり腰の症状が出た。それも久々のリラックス体操を一度やった直後にだ。仕方なく三、四日寝た。「何でこうなるのか、やはり腰の悪さが増してきたのだ、このままもっと酷く悪くなっていくのか・・・」などと不安とガッカリ感で毎日を過ごした。終いには体操をやるとかえって悪くするようだと思った。ストレッチは必ず良い!と公言してきたのにそれが自分自身の腰痛には通用しないのだと思い込んだのだ。

 夏前には「リラックス体操はやってもやらなくても身体的には同じかも」と思えてほとんどやらなくなっていたし、そんなこんなで夏を挟んで全部で4ヶ月くらいはやめていたことになる。最近は腰をあげて動き出そうとする時、身体のこわばりを感じて、スムースに動けないまでになっていた。「辛いなぁ、これが老化していくということなんだな、仕方ない・・・」と思っていた。リラックス体操をやらないでいたので身体がこわばるままになったせいだとは思えなかった。

 でもその感じが9月に体操を再開してからはほとんどなくなったのだ。嬉しい。リラックス体操はこれから歳が行けばいくほど私の心身の強い味方になりそうだ。

リラックス体操の勧め 2014/12/7

 リラックス体操はできるだけ少ないポーズで身体全体をバランス良くほぐしていくことを狙っている、怠け者でもできるストレッチ&瞑想体操です。ヨガのポーズや真向法、野口体操、フォーカシングなどを参考にして野田が勝手にまとめあげました。

 最近日本でも爆発的ブームのヨガは発祥地インドでは宗教でもあり、リラックス体操などより何倍も奥深いものです。けれどもその分とっつきにくくあります。ヨガと一言でいってますが、その内わけは身体の柔軟性や呼吸法がメインのものから、超能力的なものを開発するようなヨガまであって多種多様です。またヨガは流派も数多くあってそれぞれに持ち味が違います。千差万別で奥深い分、ちょっとやそっとでは歯がたたない感じですね。

 リラックス体操はとてもとっつきやすいです。決まりきった全身をバランス良くほぐすための最低限のポーズを10種類前後やれば終わりです。時にはワンポーズのみやるだけでもそれなりに役立ちます。歯磨きなどと同じように癖にして、毎日やって心身をリフレッシュしておける便利さがあるわけです。

 最初は毎日やるのが面倒だったりします。でもリラックス体操をやった直後の気持ちよさ、入眠直前にやった眠りの深さ、朝起きてやった後の目覚の爽やかさなどを体験すれば、またそれを味わいたくて楽しみにやるようになります。まず、気持ちよさがわかるようになるまでは諦めないで試して下さい。

 もちろんリラックス体操をやっていて物足りなくなったり、もっと極めたくなったらぜひともヨガを学びに行かれたら良いと思います。またヨガ以外に野口三千三さんが極めた野口体操も超お勧めです。


面接室の空調について

7月に入ってから、横浜では連日30℃以上の真夏日、時には35℃以上の猛暑日を記録しています。皆さま体調はいかがでしょうか。

当面接室では、エアコン、扇風機、サーキュレーターを利用して、室内の温度調節をしております。

もしエアコンが苦手な場合や、室内の温度等についてご希望がおありでしたら、ご自由にお申し付けください。ご来談の方がより快適なお部屋の空気でお話できるよう努めます。

これから夏本番に向けて、熱中症などに気をつけながら、暑い夏を過ごしたいですね。


箱庭療法の動物たち

 相談室にご来談にいらした方のなかには、相談室奥の棚になにやら青い箱がたくさん並んでいるのにお気づきになられた方もいらっしゃるかもしれません。

 箱庭療法をされたことのある方はもうご存知かもしれませんが、箱の中には箱庭療法に使う小物やお人形などがたくさん入っています。例えば、お花、木、動物、お魚、建物、人物、ミニカー、恐竜、戦車、貝殻、石などなどいろいろな小物がございます。ここではそのほんの一部をご紹介させて頂こうと思います。

 まずは動物たちです。

 真ん中から時計回りに、舌舐めずりをしている猫さん、鹿さん、鳥さん、亀さん2匹、猫さん、鳥さん、天使の羽の生えた熊さん、真ん中にふわふわの毛のウサギさんです。箱庭療法アイテム画像

 他にもこのページには載せきれないほどたくさんの動物さんたちがいます。

 箱庭療法では、これらの動物たちをあなた自身の箱庭の世界に自由に登場させることもできます。

★参照ページ:『箱庭療法


夢が教えてくれる その2

自分で自分をコントロールするのは難しい

 高校生の頃、催眠に興味を持った私は催眠から派生した自律訓練法を会得しようと幾度となく挑戦しました。でもその心身の訓練方法の成果をいっこうに感じることができませんでした。なんでそうなれないのか。その当時は全くわかりませんでした。その後、いくども挫折を繰り返しながらも次第に、どうしてうまくいかないのか、いったいどこがまずいのか。ということがやっとわかってきました。

 かなり苦労はしましたが、ここで明確になったことはおもしろいことに、現代に生きる多くの人の悩みの根本原因と同じものでした。そしてそれらは当相談室に来談されるクライアントのお手伝いに今でも役立っています。それは、何ごとも自分の思考や理性(頭脳)中心でコントロールしていこうとするあり方から、あるがままの心と身体の(無意識的な)メッセージ(睡眠中に見る夢に教えてもらうなど)を大切にするあり方への変化だったといえます。

自己コントロール法における意識的努力の勘違い

 はじめに言いましたが、私は本に書いてある自律訓練法のやり方にのっとって、トレーニングをはじめました。自律訓練法では、第一公式で手足の重さ、第2公式で手足の温かさを得られるように自己暗示します。でも私はいっこうに手足の重さを感じられなかったのです。

 ところで、心理技法や精神修行技法に限らず心の問題は目には見えないために、だれでも暗中模索に陥らざるを得ないのです。それゆえに心のことに関しては頭で想像を巡らしてしまうのが当たり前ともいえるでしょう。私も自律訓練法を会得しようとした時「これで良いのかしら。もっと良いやり方があるのではないかしら」などと常に頭を働かせて自分を疑いながら暗中模索で本にある理想の状態に自分を持って行こうと挑戦していたのです。おまけに、自律訓練法の公式は学術的な理論化を狙っているために、細かく定義されています。そんな本を読めばどうしても理論的にならざるを得ないともいえますね。

 そこに私自身の性格傾向が加味されて、悪循環が倍増されてしまったのです。私は若い頃「自分には物事を達成する意志力が弱いのでは」との劣等感を持っていました。また完全主義で、何事もできるだけ合理的に要領よくやろうとする性格でした。完璧を目指すために、自分がこうなりたい、こうしたいと願う理想を高く持つ傾向があったのです。そしてそこに到達するために合理的に要領よくできるだけまるでボタンを押せば電気が繋がるみたいに最短でそこに到達したいと頭で考えるのです。

 そんなやり方を心にまで当てはめようとしていた私は、科学万能時代の申し子だったわけです。要するに、何事もすぐに頭に持っていって考えて何とかしようとしてしまう癖ができあがっていて、それもって頭で描いた理想「絵に描いた餅」の方を追い求めてしまうのです。このあり方は、現代人で心の悩みの問題で困っている人の根本原因として普遍的にいえることです。

夢(潜在意識)に教えてもらう!

 私は、自律訓練法の公式暗示が一つもできず、行き詰っていしまいました。でもその懲りない熱心さに打たれたのでしょうか。そんな私に『夢は全てを知っている 自律訓練法とヨーガと夢の活性化』の章で述べたようにヨガをやってから自律訓練法のトレーニングをやるという方法を試みた時、私は夢の中で両手の指先から自己放電するという強烈な夢を見たのです。それは、ヨガと自律訓練法によって、お前はこの夢のように自分の身体や脳から放電解放しているよ。お前のやり方でうまくいっているんだよ。と伝えてくれた感じがしました。

 その後は私が何かに真摯に取り組んでいると、それに合わせるかのように「あぁ夢が教えてくれたなぁ」というような思いがする夢を時々送ってくるようになりました。すごく不思議で、おもしろいので、それから今現在に至るまで、印象的な夢を見たら夢日記をつけてきました。

 私がものごとに真摯に熱心に取り組んでいるとき、そのことに対して私の無意識的な心が受け止めた事を、夢のメッセージとして送ってくれるようです。おもしろいことにそれは通常の夢よりリアルで印象が強いのです。夢が教えてくれるだけでなく、癒してくれたこともあります。また私の過去から引きずっている未解決の思いを、決着つけてくれたこともあります。その他、私を褒めてくれたことさえあります。参照ページ:『カウンセラーを捜す時に気をつける事の最後の方

 夢は科学万能主義に染まった私の自我意識の独り相撲にくさびを打ち込んでくれました。それまで切れていた、私の心と身体の通路を繋げるきっかけとなり、ひいては私のヒーロー幻想を打ち砕きました。そして私がいかに無力であるかをしつこいまでに根気よく知らしめてきました。でもおかげで、そんなありのままで良いのだという、とても楽で肩の力が抜けた生き方を知ることができました。

問題は「窮すれば変じて、変じれば通ず」でクリエイトできる

 ところで創造性が発揮される過程には、あるパターンがありますね。まず自我意識が物事に真しに取り組んでいて答えが出なければ次第に行き詰まります。そして次に、お手上げ状態で無為に過ごす事になります。忘我状態です。するとそこに自我意識以外から新しいものが入り込んでくる。そして問題解決に至る。という過程です。創造性発揮の過程は、実は何も特別な心の動きではなくて、中国で発生した易経にある「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」ということなのです。事態がどん詰まりの状態にまで進むと、そこで状態の変化(忘我状態など)が起こります。変化が起こることで、活路が見いだされ通ずることができるのです。

 夢はこの今までの自我意識にはなかった新しいものの一つといえます。夢が発明発見のきっかけとなったという話しはとても多いです。上記の過程の中の「無為に過ごす時」がないように見えますが「眠っている時」がそれに相当するでしょう。

 心理療法のようにカウンセラーに手伝ってもらえば料金を払わねばなりませんが、夢は自分が見るのですから無料だし便利です。夢に教えてもらうことは、なにしろ「果報は寝て待て」の言葉通りなのです。でも夢先生は気むずかしいというか、通常の言葉で言ってはくれないし、そもそも私たちの盲点であるところを教えようとしてくるわけで、こちら側の解釈や受け止めが、すんなりとはいかない場合が多いわけですね。

 でも夢に対して畏怖する思いは持ちながらも、夢に振り回されないで、真摯に向き合うと夢先生の方もとても喜んでより積極的に教えようとしてくれるようです。夢は本当に情感豊かにその雰囲気を現実以上に生々しく強く現してきます。眠っているこちらはそれに圧倒されて、ただただそれらを感じ取らざるを得なくなるわけですが。

夢に取り組む際の注意点

 ただし夢が役立つからといって、全ての夢を記録しようと無理をしたり、夢を信奉し過ぎて夢のお告げや予知夢などを鵜呑みにして、冷静な判断力をなくしたりすると、無意識のエネルギーを受け止めかねてしまう場合もあります。夢占い的なものを当てはめたりするやり方は問題外ですね。また、心理学や象徴などの知識で一方的に夢を解釈して決めつけていくようなやり方も、まずいのです。それは自我の知識欲を満足させるだけであって自我意識に新たなものをもたらすことにはなりません。また知的に夢解釈しすぎると逆に、せっかく生き生き生々しかった夢が形骸化して生命力を失ってしまう場合もあります。

 心理臨床家の訓練のための教育分析などでない限り、まとまりのある印象的な夢以外は無理に掘り起こさないほうが良いかもしれません。あと重度の神経症などを患っている時などには、夢自体もとても苦しいものだったり、逆に楽しい夢でも目覚めた時にギャップを感じて落ち込んだりしかねませんから、自分一人では受けとめかねるような場合も出てきます。そのような時には夢に造詣が深いカウンセラーに協力してもらいながら夢に取り組むのが良いでしょう。

 私は、かなり印象的だった夢を中心にして記録しておいて、あとで夢の中に入って意味を考えたり、イメージを膨らませたりするのが好きです。夢の心理技法としてはゲシュタルトセラピーのドリームワークやフォーカシングの夢アプローチが体験中心で役立つと思います。

参照ページ:『夢は全てを知っている 自律訓練法とヨーガと夢の活性化の章』『カウンセラーを捜す時に気をつける事の最後の方


「今を生きる」とは カウンセリング マインドフルネス 禅

私の在り方

私は、小さい頃から頭で合理的に計算して操作コントロールすることで物事を成し遂げていく近代科学主義による考え方を取り入れ、理性的であらゆることを、コントロールできる人間にならねばと頑張ってきたのでした。ここには私の父親が農家兼業の大工であったというような「物をうまくキチンと仕上げる職人」だったことの影響が加味されたので、その完全主義のこだわり具合は何倍にも増幅されたようです。

要するになんでも合理的にうまく要領よくやることが癖づいていました。自分を表現する時は常に、他人が感動するようにうまくやらねば、とそこが一番の目的となってしまっていたのです。いわゆる良い格好しいですね。

このような生き方を突き詰めていくと、例えば絵を描くにしても自分の描きたいように描くことは下手の極みだからもってのほか。となります。例えば高校時代に思いついて書き始めたラブレター。それは素直に相手に対する自分の気持ちを書き現すことなのに。うまくやりたい私は、自分の気持ちから遙か離れて「彼女がこの文章を読んで感動しするには?自分を好きにさせるにはどう書いたらよいだろう?」などと考えながら書くわけです。これでは筆が進むわけありません。一ページ書き上げるのにどんだけの時間がかかったことか。

ところで私は昔し、催眠療法士になりたてのころ催眠療法だけの治療方法に飽き足らずに外部にカウンセリングを学びに出かけました。実際にカウンセリングを学びに行こうと捜して見つけたのは、カール・ロジャーズのカウンセリングで日本で一番古くからある神奈川カウンセリング研究会でした。暖かく迎え入れてくれたそのカウンセリング勉強会で私は大きく自分に役立つことを学べたのです。そのことはその後、今も、そして死ぬまで深め追求していかざるを得ないような課題ともなるものでした。

それは「今、ここ(Here and Now)」での経験です。「今ここにあること!」それまで全く知らずにいた今の大切さをカウンセリングを学びはじめて知ったのでした。

カウンセリング勉強会に参加し始めのころ、先輩達が目の前のメンバーについて「今ここに居ない、居る」という話しをしているのです。私は内心「え?そこに居るじゃん、なんで居ないになるの?わかんないよう、、」と不思議にも不思議だったのです。・・・それが何かと聞くのは話しの流れを止めるようだし、第一格好悪いからニコニコと笑顔だけでやり過ごしたのでした。 その後しばらくたってようやく気づいた「身体はここにあっても心は宇宙の果てにある人もいるのだ」ということ。これは大発見でした。こんな大事な事をなんで学校で教えないのでしょうね。

ロジャーズのカウンセリングで強調されるこのHere and Nowの考え方はパールズのゲシュタルトセラピーでも基本概念です。「クライエントの今の存在(client’s being)に正確に敏感であることが、 セラピィという瞬間瞬間の出会いのなかで最も重大なことである」とも言い「このようにして、クライエント中心のセラピストは、クライエントの今ここでの現象の世界 (immediate phenomenal world) に集中することを目指している」とも書いてあります。

「今、ここ」これは自分のあり方の基本に戻ることでもあります。それは人がイメージすることによって今を離れて過去の思いにとらわれたり未来の想像に惑わされたりすることから目覚めることでもあります。今に立ち返りそこから始めることは自分を取り戻すことでもあるので、よって立つ自分の基軸を得たことにもなるのです。逆に今を離れることはバーチャルの世界に住むことであってこの世を本当に生きたことにはならないのですね。それに気づくまでは私は地図の方を大切にして、理屈・概念の世界中心に生きているつもりでした。

そんな私でしたがカウンセリングの学びの場で「今」の大切さを知ってから、今の瞬間の思いや感情からはじめて自由連想ふうにノートに書きとめてみたのです。「あぁ、今、文を書こうと思いついて書き始めたけどどう書いたらいいだろう、書くの嫌になってきたな、、」てなわけです。面白いことにこのように今の自分を実況中継するようなやり方で書き出していくと気持ちがスッキリしてくるのです。

私はこのことによってようやく意識的に自分の感情を表に出す言語化ができるようになりました。またそれは、今現在のありのままの自分を受け止め、それら繋がるようになるための突破口ともなったのでした。その後、窮地に立ったり追い詰まる感じになるたびに、この「Here and Now」を基準として自分の気持ちを書き出しながら整理していくことを度々試みたものです。それはその時々の苦しい状況を切り抜ける大きな一助となったのでした。

その頃からずいぶん時がたって今現在、カウンセラーとしての仕事の時に「今どんな感じ?」と(自分やあなたに)問いかけて耳を澄ませてみる。このように言葉に出さなくても、これがカウンセリングや心理面接などの場において通底して流れているようになったと思っています。

「今」とは、意識で問題として取り上げて何とかしようなどとできるようなものではない

私は「今」が本当に大切と知ったわけだし、今、今、瞬間をより充実して生きていけるようになりたい!どうせなら行き着く所まで行ってみたい。それには悟らなければならない。と思いました。そして幾度も禅の修行に取り組んでみては「雑念・煩悩多いなあ、無理かなぁ、、」と飽きて諦めてしまう。しばらくたつとまた、よし悟ってやるぞと頑張ってみる。というのを繰り返してきました。そして最終的には諦めの境地に到達しました。今現在は「今」は意識で捕まえられないのだ、捕まえようとするのも、自分を良くしようと思ったり、動いたりすること自体が、今の自分から離れている。仕方ない諦めよう。今の自分、ありのままいれば良いのだ。というような感じでいます。

こんなふうに私は、催眠やカウンセリングや心理学から禅修行まで体験学習してきました。そんな中で次第にわかったこと。それはカウンセリングの「今、ここ」は実は本当の今ではないということです。今ここに集中すると言ったら、もうとっくに本当の今は過ぎ去っていますよね。本当の「今」は禅でいう只今(ただいま)とか即今(そっこん)との言葉でいう辺りになります。日本にはカウンセリングや心理療法よりもずっと古くから「今」を強調した禅があります。禅での「今」の追求はカウンセリングなど心理療法の比ではなくずっと過激です。 禅問答で問うているのは言葉以前、意識化以前のところなので、言語化が命であるカウンセリングや心理療法よりずっと先の、手をつけられないところにあるのです。

今には手出しできない 諦めの境地

今を生きるとは、言葉以前なのですね。今を生きようと思った時にはもう今はなくて次の(今を生きようと思ったという)今が来ているということになります。意識に持ってきた時、言語化、文章化などした時にその「今」はすでに過ぎ去っているわけです。ということは言語化、意識化することが主たる作業であるカウンセリングや心理療法では本当の今は過ぎ去っているわけです。

禅では、今を生きるためには「意識を動かしてはならない」と言います。ということはマインドフルネスやフォーカシングの手法のように今に集中しようとすることさへ間違っていることになります。その在り方を強いて言葉でいえば「何もしない。ほったらかし」ということになります。それはどちらかというとお手上げ状態に近い感じです。下手すると「何もしないようにしよう」として、またそこに動きが出てしまうのです。

私はハッキリした悟り体験はありません。ただ、問題を取り上げようとか、上手くやってやろうとかの意識的な動きは、諦めの境地からなくなりました。今のありのままの自分で行くしかない。というか、ありのままの自分で良いのだ。と決着はつきました。禅修行をはじめた当初の、坐禅で悟って立派な人格者やカリスマとなって皆に賞賛されたいとの目標とは真逆の所にたどり着いてしまったわけです。

一般には禅修行が深まると落ち着きが出てより理性的になるようなイメージがあると思います。ところが私の場合は真逆で(歳のせいもあるかもしれませんが)カウンセリングの体験学習と坐禅修行で感情が出やすくなって喜怒哀楽が強くなって子供心が強くなった感じがします。なので苦しい時は以前よりずっと苦しいくらいになります。そんな時はフーフーハーハー苦しいまま座ったりしています。苦しくても頭使って楽になろうとはしないでいます。以前より精一杯生きてる感じです。するとそれなりに納まりがついたり、なるようになったり、ふと閃いたりもあります。中国の易経にある「窮すればすなわち変ず、変ずればすなわち通ず」ということが起こりやすくなったようです。

★参考ページ:『自分を知るための心身相関図 催眠・禅・意識の勘違い』『心全体の構造図 フロイト・ユング・マインドフルネス・禅


どうすれば心の悩みが解決できるのか カウンセリングや心理療法や禅から見えてくる心

個別の心理面接から見えてくる心の悩み解決の核心

 人の心の悩みは千差万別です。もちろんその解決に至る道も、人それぞれに千差万別です。しかしカウンセリングや心理療法の現場で個々のクライアントと悩みの解決に取り組んでいると、あるパターンのようなものが見えてきます。個々人の症状や問題は千差万別でもその背景に、人の心のあり方に共通した動きがあるのです。今回はそんな共通項目を取り上げて、心理的な問題の解決に至るための核心部分について述べてみます。それは大きくまとめると(心理的な側面において)人が生命体として元々生まれ持った(生命体としての)働きと、生まれ育っていく中で身につけたものとの関係性の問題となります。

 心の悩みを解決するためはどうすれば良いか。ということの答えとして一言で先に言ってしまうと「自分自身との関係をよりよいものに作り直す」ことです。心理的な問題の解決策はこれにつきると言って良いでしょう。自分との関係というと奇妙に聞こえるかもしれません。確かに自分は自分なのだから関係の持ちようがないと言えます。でも実際のところはよく「私の身体、私の感情」などと言い方をしますね。そんなふうに言えるということはすでに自分自身対身体や感情となっていてそことの関係がすでにあるということになります。

 自分自身との関係をよりよいものに作り直す。それは自己否定から自己肯定に変わる工夫ということもできます。これは既存にある単純なプラス思考とは大きく異なるものです。既存のプラス思考のテクニックにはすぐには気づけないマイナス思考が秘かに盲点となって含まれているので、本当の意味でのプラス思考になれません。ところで自己肯定には条件付きの肯定と、根拠のない(無条件の)の肯定があります。心の問題を乗り越えるにはこの無条件の肯定感を強める必要があるのです。

 自分と良い関係ができて、うまく付き合えるようになると他人ともうまく付き合えるようになるので一挙両得でもあります。精神科医中井久夫氏はフランスの文筆家ポール・ヴァレリーの言葉からこのあたりのことを「私は、このアフォリズムを広く解して、私が自分と折り合いをつけられる尺度は私が他者と折り合いをつけられる、その程度であるというふうにした。ほとんど絶対に他者と通じ合えないようにみえる患者は何よりもまず自分と通じ合えていない」などと言っています。しかしこれは意外に至難の技で、既存のプラス思考を当てはめたくらいでは歯が立ちません。目には見えない心には思い込みや勘違いが多発します。盲点に陥らないための注意とコツが必要なのです。

 このブログの最後の章には自分とよりよく通じ合うための心理テクニックを紹介してあります。これらの心理テクニックの中には心の悩みや問題を抱えていてもそれをちょっと横に置いて自分に向き合える人なら自分一人でできるものもあります。けれども、心が深く傷ついている場合や、自分が受け止めかねるトラウマなどの問題がある場合にはそれを一人で乗り越えることは至難の業です。そんな場合はやはり信頼できるカウンセラーや心理療法家に手伝ってもらう必要があります。

 まず、どうして無条件の自己肯定に取り組まなければならないのか、その理由を知って納得できなければはじまりませんね。そのために今の自分が一体どうなっているか、目には見えない心を解明して、そこからなぜ自分と通じあう必要があるかを理解していきましょう。

自分を知る!なぜ心の悩みは解決が難しいのか

 まず、人間関係の問題などが出てきたときに、人はそれを自分で考えて何とか解決しようとします。けれどもそれがうまくいかないことが多々あります。なぜ問題を乗り越えられないかといえば、それはストレスや神経症的な障害、また対人関係の悩みなどのような、心からくる問題を「自分でよく考えて答えを出そうとすること自体」がすでに間違った取り組みのきっかけになっているからです。実は人は自分で思っている以上に、自分の心に対して無知で、勘違いや間違った思い込みをしているのです。そんな立ち位置からでは、いくら良い考えを思いついたとしても、元が間違っているのですから必ず的外れに終わります。まずは目には見えない心がどうなっているか自分をよく知り、勘違いを正す必要があります。

 心は非常に早く動きます。例えば「癖になっている」とか「無意識的にやってしまった」などというような素早さです。特に「今」のありようについては、始まりもわからなければ「今」と言ったときには、もうその今は跡形もない。というくらいに素早いわけです。また微細でもあるので見逃しやすくもあります。おまけに、目に見えないことも重なるので、対処が適切にできないだけでなく、大きな勘違いをもってそれをとらえてしまいがちなのです。

よく考えて答えを出すという方法の弊害2つ!

 大前提としていえるのですが、この世界は人工的な都市やその他の建造物は別にして、宇宙が作り出したものであって、人間が作り出したものではありません。よって人間ではどうしようもないことがあって当然なのです。2500年前にお釈迦さんが悟りを開いた時に、最初に説いた「四諦ーしたい」という説法の中に「四苦ーしく」というのがあります。生まれる、年をとる、病気になる、死んでしまうことは人の思うようにならない(苦)のだと明言しています。

 ところで人間は古代から知恵をもって言葉の伝達機能を発達させたり、道具を作り出すなど、いろいろな工夫によって生き延びてきました。人間には過酷な地球環境を支配、コントロールしてきた歴史があります。特に西洋から発した近代科学を駆使した便利な人間社会の発達には目を見張るものがあります。病気やケガを治したりする医療も驚くほどの発達をとげてきました。それらによって平均寿命は格段に高くなってきました。先に述べた人間の思うようにならない生老病死を多少なりとも克服なしえたともいえるでしょう。

 その素晴らしい人間の英知を基礎に人間を教育する学校において私たちは「よく考えて答えを出しましょう」と言われて育ってきました。そのせいで何事に関してもまず頭を使ってうまくやろうとする癖があたりまえとなっています。要するに人は何かあったら人間の知恵で何とかしようとするのです。お釈迦さんが説いたのとは真逆に、この世に人間の理性を持ってすれば解決できないことはないとまで思い込んでいる人も数多くいます。確かに科学の未来には、もしかしたら生老病死もすべてコントロールできるようになりそうな勢いさえうかがえます。しかしこのような情勢の過程で人類は大きな勘違いをするようになったのです。

 その勘違いのなかで特に間違ってしまったのは、機械を取り扱うようなロジックや思考方法を機械ではない人間の心の問題を解決するために用いようとしたことです。法律や約束などを守る話とは別に、科学的合理的な手法で自分の心をコントロールしようとするのは間違っています。自分の頭で生命体としての心身を、意識的にコントロールしようとすることは、例えれば、放っておいても勝手に自動車運転(生命活動)をしている車に乗っていることに気づかずに、ハンドルを切ったりブレーキを踏んだりして自分で運転しているつもりでいる状態です。生命体が元々もっている運転手と意識的な自分との二人の運転手が一つの身体という車を運転していることになっているのです。「船頭多くして船山に上る」ということわざと同じです。

 もちろん「よく考えてものごとを解決しようとする」ことはとても大切なことです。ここはぜひ科学的手法にこだわらないで、もっともっとよく考えて知性を洗練させて、生命体としての自分自身とより良い関係が持てるように工夫せねばなりません。

 なぜ科学的(合理的)思考方法を心に当てはめると良くないのか。細かい心理分析が続くので疲れるかもしれませんが、人の心身の動きに沿ってより詳しくたどっておきましょう。まず、考えるということは悩みの中に入り込むことなので、悩み自体が膨らみがちです。その結果、問題に圧倒されたり振り回されたりするようにもなります。それを抱え続ける分、リラックスすることができなくなって自然治癒力がうまく働かなくなります。また頭がいろいろ考えて動く分、相反する考えを思いつくので、それらが対立して葛藤が増えてしまいます。身体は常に一つのことしかできませんから葛藤がおこると身動きとれなくなります。

 身体は疲れていても頭だけは動き続けたりします。また頭でイメージしたことは大なり小なり身体にすぐ影響します。だから身体も大変です。一方では休息したいのに、頭の思いに準じて活動せねばならないからです。眠るに眠れなくもなります。身体のペースとズレてしまったのです。このように「なぜリラックス出来ないかの根本的な理由は、頭(思考)が止まらない(心の切り替えができない)からです」さまざまな神経症的な症状や心理的な問題の背景に、このような、休みたいけど心の思うように頑張らなければならない身体と、動きまわる頭という引き裂かれた構図があるのです。

 頭脳中心のあり方にはもう一つ大きな欠点があります。それは「こうあるべきと考えた理想的なあり方が一番大事とされるために、ありのままの部分に対して否定的となることです」人は生まれた環境に適応して生きていかねばなりません。環境に適応するようにと、ありのままのあり方を自己コントロールによって変じていこうとします。物心がつくとまず家庭内のあり方(価値観)に適応せねばならず、自分自身内で理想の自分と、それに届かないダメな自分を比べて自己否定が生まれます。また自分と他人も比べて評価し、そこでも自己否定が生まれます。学校や社会の枠組みは条件付きのことがほとんどのために、それにはまりきれない自分はダメとなるのです。 心の悩みで苦しんでいる人の多くが社会の枠組みに適応できなかった自分に価値がないと思い込んでしまうのです。時にそれは自分を責める動きとなります。また、ありのままの自分にはまったく価値がないと結論するまでに至るのです。

 理性で考えコントロールすべきであるという価値観が強いほどに必然的に、ありのままの部分を否定することになりがちです。そうなると、良くないと思える自分を出さないように、常に自分を監視下においてコントロールしなくてはならなくなるのです。外に出たら常に緊張していなければならず、人間ならあって当たり前の、疲れや弱みを出すこともできなくなります。非常に疲れる生き方になります。

上記の二つを変化させるための具体的な心理技法

 まず「なぜリラックス出来ないかの根本的な理由は、頭(思考)が止まらない、心の切り替えができない」ということですから、まず、頭脳中心に動き回るを部分を止める(休ませる)工夫が必要です。そのとらわれから脱して全体を客観しできるようになって、自分の問題や内面のさまざまな局面と適切な間をとれるように再調整します。次に「ありのままの部分に対して否定的」となっているのを修復したり、今後、ありのままの部分を自己否定しないようになるためのあり方を会得します。その際に気をつけることは否定的な動きや考えが出てきてもそれを否定せず認めることです。

 以下に具体的な心理技法とその特徴を簡単に解説してみました。興味のある技法など、より詳しく知りたい方はリンク先をご覧ください。

 フォーカシングは、自分の内面や身体を深く信頼して見守ったり、寄り添ったりできるようになる心理技法です。「見守る、寄り添う」は良い関係を保つためのの理想的あり方のひとつです。またフォーカシングには、心の一部分だけに一体化せず、そこから出て距離をもって見守ったり、さまざまな要素や側面のすべてを、そのままにときには肯定的に見るようになるためのトレーニングもあります。自分のどんな要素にも臨機応変に、それぞれ適切な距離感をとることができるようになるので、偏った考えや一時的な感情に振り回されなくなります。

 インナーセルフ療法はいろんな思いや感情をイメージ化、人格化して自分の内面と対話形式をとることで、今まで否定していたり、無視していたり、生きてこなかった側面と通じ合えるようになります。また、インナーセルフ療法の技法によって自分で自分を癒やせるようにもなります。

 カウンセリングで信頼できるカウンセラーに肯定的に聞いてもらうことで深い自己否定からも抜け出せます。カウンセラーがクライアントの気持ちをわかってブレずに寄り添って話を聞いていると、その支えの中でクライアントは、それまで否定したり無視していたり、今まで生きてこなかった側面を再検討できます。カウンセリングで話をするだけというのはちょっと地味な感じもします。はたしてそれだけで良くなるのかと疑問を持つ人もいます。けれども本当に力量のあるカウンセラーに話を聞いてもらっていると最終的には驚くほどの素敵な変化が起こったりするのです。カウンセリングは心理療法において「カウンセリングにはじまってカウンセリングに終わる」と言えるくらいに奥が深いのです。

 催眠療法で自己解放したあり方を体感することで、理性でコントロールしなくとも身体がいかに上手に何事にも対処できるかがわかります。また、催眠療法の中でそんなあり方のトレーニングを重ねれば、楽でいてうまくいくやり方が会得できます。そのようにして自分の心身を信頼できるようになると、フォーカシングの、距離感を持って見守るあり方とは正反対であるけれど、ものごとを成し遂げるには必須な能力といえる「我を忘れて物事に没頭する」コツも会得できます。

 マインドフルネスがテーマとしている「今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れる」というあり方を、瞑想などでトレーニングしていると、フォーカシングを同じく、思考のループを止めることができます。また問題へのとらわれもなくなっていきます。

 坐禅瞑想を重ねることで事実と想像や観念との区別をつけられるようになると、マイナス思考に振り回されなくなります。曹洞禅宗の只管打坐といわれる坐法を続けることによって、肩の力の抜けた等身大の楽な生き方が深まっていきます。また自我へのこだわりを抜けて、あるがままのあり方を体得することで、悩みことが極端に少なくなります。

★参考ページ:『心理療法


心全体の構造図 フロイト・ユング・マインドフルネス・禅

西洋の自我を中心にした心理図

 心の構造図として一般的なのは「意識は氷山の海面に出ている一角であって潜在意識は海中にある氷山のように大きい」という説明でよく知られる、フロイト・ユングの意識・無意識を元にした図です。19世紀後半にフロイトが無意識という考え方を提唱して以来、発展してきた(深層)心理学の基本にもこれがあるわけです。それは「人は素晴らしい思考力・理性を持っている。だから客観的になって考え(科学する)れば答えを出せる。そのようにして心を研究してわかったのは、人間には無意識というものがあると言うことである。そしてその無意識に抑圧した ものを自我意識に統合することによって悩みや症状が解決する」という科学的な論理です。

従来の精神面に限定された心の構造図

 フロイト・ユングの心の構造図は自我意識と無意識に分かれています。そこには身体や環境は含まれていません。あくまでも理性を中心とする考えを背景に持つ西欧で生まれた心理学だからなのです。

禅仏教のあるがままのあり方を主体にした心理図

 ところで東洋では2500年前にインドで仏陀を始祖とした仏教が発展しました。仏教には開祖となる仏陀の教えにとどまらずに発展したものまで含めると、数千に及ぶ経典があります。仏教経典には戒律から修行法や行住坐臥までいろいろ含まれています。しかしその基本とするところは観相から得た心理学的なものです。それらは仏陀の説法を元にしています。あいにく仏陀自身が書き残したものは残っていません。さまざまな宗派がそれぞれに釈迦はこう言ったああ言った、といって伝説化したものを掲げているのです。

 そんな数多い宗派の中で、中国と日本で発展した禅宗は「仏陀が苦行をやめ菩提樹の下で結跏趺坐をして瞑想に入ってそれによって悟った」というそのこと自体を追体験していこうとする実践に重きを置くものです。スポーツや武道、芸事と同じに体現学習をメインとしているのです。他の宗派では、経典の教えを第一と掲げ守っていこうとする経典中心のものから、実践修行はあっても、例えば有名な千日回峰行や念仏・題目をあげるなどに見られるような、お釈迦さんが悟りに至った修行方法とは直接繋がらないような修行法を用いている宗派もあるのです。

 何事にもいえますが、マニュアル(教義)を読んでその教えをそのまま実践するだけでは、ともすると頭だけで知的に理解して心身はそうなっていない場合が多々あります。禅仏教の掲げる最初の物語に、拈華微笑(ねんげみしょう)というのがあります。仏陀がある説法の時、ただ黙って花をかざしてひねって見せました。それを見た弟子たちは何だろうと頭を巡らすばかりでしたが、そんな中において摩訶迦葉だけが微笑したのです。仏陀の伝えたいことが言葉を超えた今の事実そのものであることがわかった摩訶迦葉。その故事によって仏法の奥義が伝授されたとされているのです。そんな禅には、お経本を焼いてしまった僧や、悟った後に、それまで一生懸命唱えていた観音経の教本をお尻に敷いていた女性がいたりと、常識外れの行動が逸話として残っています。それは理屈よりも実践中心の手法が極端化して出た行動といえるでしょう。

 ここで、仏陀が坐禅瞑想に入って悟りを開いて後に、仏陀が最初に以前の修行仲間に説いた「四諦(したい)=苦・集・滅・道」というのがあります。それを私のかってな解釈ですが現代語訳的に意訳して述べてみます。

 ・・・もともと人間が作ったのではないこの世で起こる出来事の多くは、人間ではどうしようもない事が多くて当然である(苦)。しかし、人はよくそれをわきまえないままに、何とか自分の良いようにしたいと思い解決策を考えてしまう。それから、逃れよう、乗り越えよう、良くしよう、解決しようなどのような動きがたち起こる。そうすると必ずこだわりが発生するので、それによって逆に苦悩が作られ膨らんでしまうのである(集)。苦悩の解決策としてはまず、この世のことは宇宙の法則として、人が知恵を働かせる以前に人知を越えて、今に生滅して完遂しながら流転しているのが真実であることに気づかねばならない。そしてだから、私たちは何事があっても、あるがままに居れば悩んだり苦悩が起こることはなくなるのである(滅)。そうなるためには坐禅を実践してそれを理屈でなく体得すれば良い(道)。・・・「あるがまま」という言葉。それは図らずもビートルズが歌っている、マリア様がくれた言葉「Let It Be」とほとんど同じ言葉ですね・・・

 禅修行で「まず坐れ」とか「ただ坐れ」「無心に作務をしろ」などと指導されるのは、先にのべたように、理屈に走らないで事実や行為そのものを重要視しているからなのです。そのためフロイト・ユングの心の構造理論に関しては、真っ向から理屈っぽいと対立することになります。確かに西洋人は心の悩みについても逐一言語化して理論づけないと気が済まないようです。日本人として初めてのユング派の心理療法家となった河合隼雄氏は、その著書ユング心理学と仏教の中で「仏教では根本的に言語に対する不信感を持つ傾向がある。西洋に生まれた心理療法においては言語が重要視されます。とか(箱庭療法の)指導をしていていつも感じるのは、欧米人はわれわれ日本人に比して、明確な理解を急ぎすぎることである」などと述べています。

 また戦後の日本の催眠界をリードしてこられて、後年は動作療法を提唱されている成瀬悟作先生は、ある雑誌社のインタビューで「ヨーロッパやアメリカで発展した精神分析や心理療法は、結局意識的にわかること、知る事、理解することが大事だと思っている。それは伝統的に、考えたり、知ったりすることが人間として生きている証だと考えていたからじゃないですか。〈・・・中略・・・〉でも、そういうことと全く関係なしに、身体のバランスを変えるだけで心の病が取れてしまうことがある」などと言って身体の動きをメインにした治療法を提唱しています。

 禅には不立文字という言葉もあるくらいに理屈っぽさの排除が徹底しています。もう言葉を使うこと自体がマニュアル化や地図するという作業であって、実体から離れる危険性があると否定して、前半に述べた「拈華微笑、以心伝心」を強調するのです。それは、キリスト教における、聖書の教えを学んでそれによって自分をコントロールしていこうとするのとは真逆のあり方といえるでしょう。

 例えばパソコンなど機械類ならマニュアルを読んでその通りの手順をふめばちゃんと操作できます。そんな科学的操作法があまりにも有効だったために人は自分の心身もマニュアル通りに操作しようとしてしまうのです。スポーツや芸事なら、すぐにはマニュアル通りには行かないことはだれでも承知しています。けれども目に見えない心の事に関しては、直ぐにマニュアル通りにできるような気がしたり、まねている内に本物になるような気がしてしまうのです。キリスト教の牧師さんに偽善者が多いという話題になるのは聖書を読んで記憶してしまえば外見だけは格好がつくからです。けれどもキリスト教だけでなく仏教徒にも教義だけを鵜呑みにして格好だけの人も多いのです。さらにはカウンセラーや心理療法家の中にも理屈だけを学んで、それだけで他の人を治療しようとしている勘違いな人もいるのです。

 理論と実際との違いといえば、地図についてはそれを実際の地形と間違う人はまず居ません。けれども私たちは言葉を使い始めた時点で概念(心の地図、観念)と事実や実体とを混同してしまったのです。確かに「木」と言ってもそれは「木」を指し示す概念であって「木」そのものではありませんね。でも自分の内で勝手に「木」を想像しておいて、わかったつもりになったりします。

禅の考え方を元にした心身相関図

 これまで事実が大事と言いながら矛盾してしまいますが今回私は不遜にも、そんな地図を否定するような禅仏教的なあり方をあえて地図化してみました。

 ケン・ウィルバーの意識のスペクトルの考え方によると。人は物心ついてからまず自分の皮膚と外界を区別します。図でいえば②の楕円の点線の部分です。次には意識③と身体②を区別します。図でいえば③の外にある円に当たります。そして最後は自我(網線の部位)と自我でないもの(自分の性格にそぐわないもの・影)を区別したのです。これは人間が勝手に作った境界線なので事実ではありません。けれども私たちはそれが事実であると教え込まれ頭の中に自分という実体があるのだと知らぬ間に思い込んでしまったのです。

 禅仏教からするとフロイト・ユングの心理構造は仏教で六識といわれる眼、耳、鼻、舌、身、意の6種の認識器官の中の「意」に当たる部分に過ぎなくなるのです。禅仏教では自我は実体としては元々ないのだとまでいい切ります。そして先に四諦(したい) の説明でも述べたように、思考し分別することによって悩みや問題がたち起こり苦悩するのだから、理性にこだわらないあり方を会得しなければならないというのです。

 禅宗派の一つである臨済宗では公案(禅問答)によって、つい働きがちな理性・分別の動きを手放さずをえなくなるような修行をします。例えば隻手の音声という公案があります。両手を打ち鳴らせばパンと音がする。では片手の音を聞いてこい老師は言います。このように理屈に合わない文言になっていて、その答えを出すのに真剣になればなるほど、考えが行き詰まるように仕組まれているのが公案なのです。理性で考えている範囲ではこれについての答えを見いだすことはできないようになっているわけです。

フロイト・ユングの心理図と禅仏教の心理図を合わせた図

 禅の手法とフロイト・ユングの心理療法との問題解決の違いに関して、ここであらためて対比してると。フロイト・ユングの心理学では、自我意識が行き詰まったときには人間の持つ素晴らしい能力である理性を使って、潜在意識のものを自我意識に統合すれば乗り越えられる」と言うことになります。禅仏教の方では理性をすべて否定はしませんが「宇宙意識からしたら取るに足らないような人間の理性であれこれ考えたり、何でもコントロールしようとするから苦悩がはじまるのである。自我意識は元々実態はなく観念的なものであることに気づいたりして、自我中心主義をやめるのがよい」ということで両者相反したあり方になります。

 近年は西欧でもヨガの流行などによって身体面も重要視され、その次にはマインドフルネスも流行ってきて、西洋で生まれた心理学と禅仏教の考え方の歩み寄り、統合がはじまったといえそうです。西洋でのヨガの流行は、あまりに自我意識中心に精神面に重点を置いて、身体的な側面を下位に見てきた西洋人が身体との関係を見直してきたためであると言われています。そんな身体の再生の次の潮流がマインドフルネスでしょう。ヨガが浸透したと同等くらいに広まるかもしれません。

 マインドフルネスのいう「今に注目する」ということは、自我中心主義で心と体をコントロールするのでなく、今という自我意識が働き出す以前に、すでにある様子に目を向ける(委ねる)ことになるのです。自我中心の西洋人がそうでないあり方を会得しようとし始めたのです。もちろんこの課題は西洋人だけではありません。良いも悪いも科学の恩恵を受けている日本人の内面においても同じ課題となっています。そんな日本でもマインドフルネスは逆輸入的におおいに流行ることでしょう。

 マインドフルネスは禅仏教の教えを元に「今この瞬間の自分の体験に注意を向ける。現実をあるがままに受け入れる」というあり方を目標に呼吸瞑想などいくつかの瞑想を実践していくものです。その効果としてはストレスの軽減からはじめ、心理的問題の解決や集中力の向上他さまざまな効果があると言われています。欧米では近年ヨガの流行によって身体側面の復権が行われてきました。次にマインドフルネスという言葉によってさらに禅仏教的なありかたが浸透しようとしているのです。しかしその内実は、まだまだ「注意を向ける」というような自我意識から向かおうとする行為が残っています。ですからそれはまだ自我意識寄りの考え方なのです。

 逆に言うと、マインドフルネスレベルだとまだ自我意識中心なのでとっつきやすいですが、禅仏教の自我を認めない徹底したあり方はなかなか受け入れがたいのではないでしょうか。禅仏教のあり方(悟ってみれば)からするとフロイト・ユングの心理図は余計なものとなるのです。しかし河合先生は、自分の心理療法が、気がついてみれば仏教的あり方に即したものであったと言いながらも、科学の恩恵を受けて生きている現代においては西洋的あり方も無視できないのではと言っています。私自身は悟りに至ってないからかフロイト・ユングの心理図が気になります。また河合先生が「言語化は必要である」と言われていたので、それを捨て去りがたいのもあります。そこでフロイト・ユングの心の図に禅仏教的なあり方を図式化したものを無理やり合体させて両者の合体図を作成してみました。また実際問題として、自我意識が抑圧したものが(横軸の)現実世界を見るときにどうしても投影されて見えてくるという問題点があるので、その点でも両者をひっくるめて考えていきたいのです。

西洋と東洋の考え方を合体させた全体の構造図

 禅仏教の六識といわれる眼、耳、鼻、舌、身、意の6種の身体機能や、現実や環境、その今あるがままの様子を含めた方面を図式化した和風心身相関図を横軸に、精神面を図式化したフロイトやユングの心の構造図を縦軸にして重ね合わせてみました。しかしこの図はとりあえずまとめてみたというレベルです。矛盾もあれば、相対立する部分もあるので、きちんと統合されているとはいえません。けれどもこの図によって旧来からあるフロイト・ユングの精神面に限った心の構造図に限定しないでこの現象界の全体図を概観できます。

 この図には書き込んでいませんが、ユング心理学では心の構造図においては自我に対するセルフ(自己)を心の深層の中心に位置づけて現した図(考え方 )が広まりました。そのためにセルフは心の深層にあるのだと勘違いしやすいのです。河合隼雄先生はその著書「ユング心理学と仏教」の中で・・・私はユングが「自己」とは何か具体的に示して欲しいという質問に対して、「すべての皆さん」(all of you)と答えたという逸話が好きであります。・・・・と言っています。この河合先生が賛同するユングの考え方は縦軸であるフロイト・ユングの心の構造図だけでは現せられませんが、私が禅の考え方に即して作成して付け加えた横軸の図に現れるものすべてが自己だということで位置づけができます。

★参考ページ:『自分を知るための心身相関図 催眠・禅・意識の勘違い


カンセラーを捜す時の着眼点

 ある著名な文筆家のカウンセリングに関する著書に、自分に合ったカウンセラーを見つけるには五年かかるとありました。ちょっとビックリですね。五年したら治ってるよ、と突っ込み入れたくなりますが。でも確かに自分に合うカウンセラーを見つけるのはそうそう簡単にはいかなそうです。

 普通はごくシンプルに「こんなカウンセラーが良いなぁ」と思い浮かべるような人を探す事になります。そしてそれに近い人が居ればそのカウンセラーと心理面接に取り組むことになります。けれども、残念なことに力量のあるカウンセラーばかりではないのです。心は見えないせいもあって、一見頼りになりそうな人でも、それは表面的なものに過ぎない場合もあります。

 カウンセラー選びに限らず、他の例えば自分に合う靴や、自分のやりたいことに見合うパソコンを選ぶ際にもよりピッタリしたものを欲しいなら、時間や足をかけて探す必要がありますね。そして靴でもパソコンでも、自分にあったものを選ぶ際には失敗しないようにチェックポイントをわきまえて調べていくべきです。それと同様にここではカウンセラー選びをする際に気をつけるべきチェックポイントを述べてみようと思います。

 まずはじめに、悩んでいる当人に親身になってくれる人でなければ話ははじまりませんね。そして次に話がしやすい人です。特に反論がしやすく、そこをしっかり受けとめ聞いてくれるカウンセラーだったら、もうかなり良いカウンセラーに出会ったといっても良いでしょう。ここで注意しなくてはならないのは、悩み苦しんで「どうしたら良いかわからなくて早く答えが欲しい」と思っている場合は「こうしなさい」などとハッキリしたことを言ってくれる力強いカウンセラーが良いように見えることです。もちろんあまりにも自分が頼りない場合にはカウンセラーにしっかり支えてもうことが必要な時もあります。でも何時までもそれだと自立できなくなってしまいますよね。

 それでなくても私たちはカウンセラーの所に相談に行こう思うと、ちゃんと話しできるかしらなどと気が引けたりするし、ましてや反論など思いもつかないくらいに自分が下に見えたりもしてきます。ですからあまりにもカリスマ性が強いようなカウンセラーだと頼りがいあって良いようだけど、ずっと上下関係のままになってしまってほんとうの意味でよく(自立)なれないのです。

 その逆の、会うと話がしやすくて反論などもできそうなカウンセラーはカリスマ性がなくて普通のただの人に見えたりします。おまけに自分の悩みを早く良くしてもらいたいとの期待が強かったりすると、そのカウンセラーがなんだか頼りなく見えてくる場合さえあるのです。でもそんなカウンセラーの中にも意外に力量のある人がいるのです。ですから「こうしたら良いとか、すぐには答えがでなかったけど、なんかよく話ができたし気持ちをわかってもらえたな」などと思えたなら、そのカウンセラーの所にしばらく通ってみるのが良いでしょう。

 やはりカウンセラーに最も必要不可欠なものは、なんといっても共感能力です。わかってもらえそうな感じがしないカウンセラーや心理療法家は、はなから避けた方がいいと思います。知名度が高くカリスマ性があったりして説得力があるので、カウンセラーとしての力量がとてもありそうに見える心理療法家がいます。でもその中には自分の考えをアピールするには長けていても、悩み苦しむ人の心に寄り添うことはできない人がいるのです。

 なぜかというと、一面的で断定的な物言いをするほうが一見すると説得力がでます。そのような表現をする人は、割り切った考えが身についてもいるでしょう。それで本人は確かに葛藤したり悩んだりすることはないかもしれません。けれどもその分、様々な葛藤を抱えたりして悩み苦しんでいる人をわかることもできません。思慮深くなればなるほど明解な言い方はしにくくなるものです。その意味ではあまりに明解な言いをするカウンセラーもよした方がよさそうですね。

 共感能力をもう少し詳しくいうと「悩み苦しむ人に寄り添ってそこを共にしていける能力」といえます。河合隼雄先生は作家小川洋子との対談本『生きるとは、自分の物語をつくること』の中でそこを「悩み苦しむ人のいる世界の内側にとどまるということが大切」「望みを失わずにピッタリ傍に居れたらもう完璧なんです」などと表現しています。

 河合先生はとてもわかりやすい言い回しで述べていますが、これがなかなか至難の業なのです。カウンセラーは自分の心の器を広げ深めるために、心理学の勉強はもちろん、その他、人の心に関するあらゆる勉強をしなければならないとも河合先生は言っています。ホントの意味で器の大きな人というのでしょうか。「望みを失わずに悩み苦しむ人の傍にいる」というのは結構命がけだったり、フラフラになったりと大変な心の作業なのです。

 昔、カウンセリングに長い間通ってきていたクライアントから「先生は紙のお皿くらいの器だ」と言われたことがあります。その当時、私はそのクライアントが面接の中では全く自分に向き合った話をしないことにイラついていました。そのクライアントを内心では「何で肝心の所を話そうとしないのだろう」と責めてもいたのです。そしたらちょうどそのクライアントが登場する夢を見ました。

 その夢の中で、クライアントは高い高い崖の上の道の、直角に近いカーブの出っ張りの所から崖下の川に向かって釣り糸をたれていました。私はそのクライアントの傍に行こうとしましたが、あまりにも崖が高くて下を見て怖くなりました。みっともないことに、すぐに私は一人で這いずりながら安全な場所に逃げました。

 この夢で、私は意識の上でクライアントを責めていたけど、実は私自身が逃げていたことに気付かされました。ちゃんと釣りをして獲物を得ようとしているクライアントなのにそこは全くわかっていなかったのです。私はそのクライアントの居る、ギリギリの崖っぷちの世界が怖すぎて一時も一緒には居られませんでした。恥ずかしながら、これでは「紙のお皿くらいの器」と言われても当然ですね。

 この辺りの感じは、真摯に悩んでいる状態でしたら「このカウンセラーわかってないなぁ」とかすぐにピンとくるのでそう感じたら「先生の器は紙のお皿くらいですね」とそのカウンセラーに言ってみるか、他を当たるかした方が良いでしょう。後もうひとつ、心理面接にはカウンセラーとの相性も大事です。といっても相性が良いか悪いかなどを深く考えるとよくわからなくなってきますよね。このところは「このカウンセラーは何か感じがいいな」などの閃きというか直感的な感覚の方が当たっている場合が多いようです。


カウンセリングで本当に良くなるの?

話をするだけでなぜ良くなるのか

 話をするだけでは悩みは解決しないのでは、と思われる方は少なくはありません。でもそんな人でも、友達や誰かに自分の話をピッタリわかってもらった時、思わず自分の声が弾み、その後の話に勢いがついてくることを、それと知らずにでも経験したことがあるはずです。その時に心が解放されて、のびのびエネルギーが動きはじめたのです。

 信頼できるカウンセラーにだと話を聞いてもらった時『なるほど』と言ってもらうだけで、今まで不安定だった心がスッとおさまり、落ちついて来たり楽になったりします。このような事からも、カウンセリングがかなり役に立ちそうに思えてきます。

 人にわかって(共感して)もらうことはとても心地よく良いものです。安心感で包まれホッとします。そして立ち向かう勇気が出てきたりもします。共感はすごいパワーを秘めているのです。それが常に基本にあるのがほんとうのカウンセリングといえるでしょう。

 もちろん人の心はなかなか、わからないものです。でもクライエントの身になって、なんとかそれをわかろうと努めるのがカウンセラーの役目です。かといって心あるカウンセラーなら無理矢理人の心に入り込もうとはしません。クライエントの方も話したくないことを無理に話す必要もありません。わかってもらったからこそ、そこで自然に次へと話したくなったり、深まっていったりします。そうして心の整理が進むのです。

 このようにわかってもらえる人(信頼できるカウンセラー)とともに一緒に取り組んでいくところから、心的パワーも強まり、悩みや問題を解決することができるようになっていきます。

 現代ではさまざまな心理技法がありすぎる位にあります。でもそのどれもが治療者側のクライアントへの共感しようとする態度を強調しています。それがあってこそ、その技法の持つ治癒力を最大限発揮できるからなのです。

 心の専門家にカウンセリングで話しを聞いてもらうということは慣れないうちはかなり勇気のいることです。実際にはそんなことはないのですが、面接の前には自分のことが見抜かれてしまうのでは。などと不安になる場合もあります。実際に会って話してみたらそんな心配はどこかに行ってしまって楽に話せるものです。

カウンセリングといっても色々あるそのやり方

 カウンセリングという言葉は、心理療法とは直接に関係のないような、例えば美容関係の案内文の中にも「カウンセリングを行ってから・・・」などと使われていたりします。ですから一口に「カウンセリング」といっても中身は全然違っています。 心の治療分野に限っても様々な派があって、同じカウンセリングといっても、その手法はずいぶんと違っているのです。

 霊感的なものをクライアントの問題解決に用いるというスピリチュアル・カウンセラーもいますね。 また同じ派内においても心理療法家個人個人でそのやり方はかなり違ってきたりもします。

 当相談室で用いている「カウンセリング」は、米国のC.R.ロジャーズの始めた「来談者中心療法とか、パーソンセンタードアプローチ」などと呼ばれる、援助技法を手本としたものです。カール・ロジャーズを手本としたカウンセリングではカウンセラーは聞き役一方になることはかなり多いです。それはカールロジャーズの提唱したテクニック上からそうなる場合もあれば、よくよくクライアントの話を聞いているとそうそう簡単にアドバイスができなくなることも多くなるので、そうなるのもあるわけです。

 でもカウンセラーが聞き役一方でも、本当に気持ちをわかってないで上辺だけで聞いているなら、真剣に話してるクライアントは直感で、あ、この先生はわかってないな、と感じられたり、自然にもう話す気持ちが失われてしまいます。

身体から変化していく

 普通はクライアントはしばらく話しをすれば治療者の良いアドバイスを聞きたくなります。ロジャーズの提唱したやり方にのっとっていない治療者だとそれに対してアドバイスをしてくるか、またはその治療者の依拠している心理技法を用いて解決することを勧めてくることが多いでしょう。

 でもアドバイスというものはどうしても知的になりがちです。カウンセラーから良いアドバイスを聞いてクライアントがそれを用いて良くなったとすれば、それはよほどクライアントに現状を変えていく力があったからか、かなり簡単な問題だったからです。アドバイスが役に立たないからこそカウンセリングをするのだといえそうですよ。

 機械を動かすのなら正しい取り扱い方の載っているマニュアルがあります。でも心の問題はそのような頭で操作するところとは別にあって、その解決も不思議に頭で思い描いていたのとは別の所からもたらされるのです。そのようなハウツウ的なものでないカウンセリングや心理療法での本当の効果は頭(理性)より身体から先に現れてくると言えます。意識で治った!などと思っていても身体は全く変わっていない場合があるのです。

 例えば良くあるのは、カウンセリングを受けていたら、本人はそれほど自覚がないままに前より周りに積極的に働きかけることが多くなっていたりすることです。良い意味でお喋りになったりしている場合もあります。もっと話しするようしましょうなどと、意識してそうなっていったのではありません。自然に身体から変化してそうなっていくのです。

頭で学ぶのではないカウンセリング

 カウンセリングでは話し合いの中でクライアントが自分の感情をより正直に率直に出せるようになることが良くなっていくための基本の作業となります。もちろんその感情や情動は無理やりにでも出せば良いというものではなくて、それはクライアントとカウンセラーの二人で受け止め消化できる範囲でなくてはなりません。

 そのような点から、一番シンプルなカウンセリングの効果としてよくあるのが「話を聞いてもらいたくて来た。そして話してわかってもらったらスッキリしました」とサッパリすることです。自分の内面を深く掘り下げることなどはそれほどしないでも当面の心の苦しさが解消することでスッキリして「また困ったら来ます」などと一回の面接だけで済む人もいるのです。

 ところがそうでなくて「どうしたら良いか・・」などと問題を解決しようとして「頭で考える」方向に話しが向かってしまう場合があります。頭で考える作業も必要でとても大切なものです。でもそれはカウンセリングの本流とは違います。もちろんカウンセリング場面でも理性でシッカリと考え理解することがとても役立つ場合はたくさんあります。でも頭ばかりで考えてしまうと「~すべきだが、わかってもできない」などと感情や体感と離れて堂々巡りになってしまいがちです。

 他の心理療法機関で心理療法を受けていたというクライアントがよく来談されます。その中で私もよく知らないような難しい心理学用語を使って話しをされる方がいます。心理学用語は心の状態を表すのにピッタリの場合も確かにあるわけで、その言葉によって気づきが促進される場合もあります。けれどもそれとは違って知識だけが一人歩きしているふうな、実際の体験や感情とはほど遠いような話しっぷりなのです。

 これはその方の相手をしたカウンセラーに問題があります。カウンセリングや心理面接で話し合うさいに、理屈中心で直そうとしたのでしょう。頭だけが治ってしまったといえるかも。

 心理面接場面では、クライアントの本音や、シックリくるこないなどの「体感的な納得感」を大切にします。それによって上滑りにならない心理療法が進められるからです。それを怠ったのでしょうね。たぶん治療者が頭で学んだだけで心理療法を行っているのかも。または元々頭でっかちで生きている人だったのかも知れません。

 カウンセラーが、豊富な心理学の知識でクライアントの相手を(例えば心理分析や解釈などを)することがカウンセラーの主な仕事であると勘違いしている危険性が考えられます。心理面接場面でカウンセラーがそのような接し方を中心としていいると、熱心なクライアントほど同じように知的になろうとしてしまいます。その結果、こころとからだとがそれまで以上に複雑に乖離してしまうのです。

 またカウンセラーが「こうすればよい」とアドバイスをした場合でもクライアントが腹から納得できるものでなければ、実行する気になりませんから無駄なアドバイスに終わります。しかしもっと良くないのは、アドバイスされた言葉のようにしなければと自分のペースを無視してまで頑張ってしまうことです。

 この危険性の本質は、元々人が苦悩してしまう根本の原因でもある『心とからだがバラバラになって一体になれなくなってしまっている』こと。言いかえると知性で学習したことと、からだや心の深いところとが切れてしまって引き起こされる問題と同じなのです。

 とても皮肉なことですが、実は心と身体がバラバラになってしまっているがために悩み苦しんでいたわけなのに、その治療に行ったら、それに上乗せしてより複雑に心と身体をバラバラにされてしまう場合があるということです。

 悩んでいる人が今後をより良く生きていくようになるために、本物のカウンセリング(心理療法)ではクライアントが今まで顧みなかった自身の「こころやからだ」と良い関係が持てるように、そこと繋がることを目標にします。そのためには、すぐに治そうなどと、自分をコントロールしようとすることは一旦置きます。そして自分の心と身体をもっとよくわかろう、感じとろうとするのです。不思議なことにその方が急がば回れで、かえって早く良くなるのです。

カウンセラーはなぜ聴くばかりになるのか

 もう30年以上前の話ですが、催眠教室に勤め始めて催眠療法士としてクライアントに接するようになった私は、催眠療法だけでは心理療法として不十分なところがあるのがわかったのです。そこをなんとか克服しなければ、と模索する中でこれだ!と見つけたのがユング分析心理学派の河合隼雄氏の著書でした。

 その『カウンセリングの実際問題』という河合先生の本はその内容のどれもが素晴らしくて、その後私が本格的な心理療法の世界に入っていくきっかけになったのです。タイトルに、カウンセリングの実際問題とあるようにこの本は理論について書かれたものではありません。そしておもしろいことに日本で最初のユング派分析家であった河合隼雄氏のおはこであるユング心理学については全く触れていないのです。

 その当時ロジャーズ派のカウンセリングは全国規模で流行り、様々な人が学んでカウンセリングを実践するようになっていました。でも、カウンセリングを学ぶにあたって、形や理屈から入って学んでいくためか、実践でなかなか役立たないカウンセリングに終始してしまう人が多かったのでしょう。たぶん河合先生はそんな人たちにもっと実力をつけてもらいたいためもあってこの本を書いたように思えます。心理療法の先駆けとして、とにかく実際にクライアントに役立つことを一番に書かれた本です。

 私は河合隼雄氏の『カウンセリング実際問題』という著書に接して、二律背反の考え方(ものの見方)を学びました。そして物事をハッキリ断定できないで、弱いと思いこんでいた自分をかなり救えたと同時に、それまでより広い視野から物事を見れるようになったのでした。

 一面的な考え方やステレオタイプ的なものの見方に対して、うまく言葉にできませんでした。でも、どうもシックリこないなぁ、などと感じていたのです。例えば「テレビなどでは曖昧な言い方は視聴者受けしないので良くない。コメントは断定的に言う方が良い」という意見を聞いたことがあります。確かに時間の制限の中で場面を切り取っていくテレビ的には、ジックリ話しを煮詰めていく時間がないので単純なハッキリ断定した物言いが一見わかりやすいし、そのように表現する人物がまかり通ってもいますね。

 ところが『カウンセリングの実際問題』には、再三再四、二律背反性に関して書かれてあって「カウンセリングは二律背反性が多いのだから単純に物事を割り切って考えてしまうと失敗することが多い」といっているのです。そうなんです、カウンセリングでは断定的にものが言えない方が普通だったのです。

 傾聴などというように、正当なカウンセリングではカウンセラーは話を聞くだけに終始することが多く、断定的なことはほとんど言わないわけです。それには「本当にクライアントの気持ちが分かれば分かるほどに簡単にはものが言えなくなる」という深い理由があったのです。また可能性をより多く考えられるほどに、ひとつにハッキリ決めることもできなくなるのでさらに言えなくなるわけです。これは葛藤だらけ状態の中に身を置くということです。

 河合先生は他の本の中で「その子(クライアント)のいる世界の内側にとどまるということが大切」とも言っています。そこからすると、例えば沈黙に耐えられなくなった時など、クライアントの世界に寄り添うためにカウンセラーが話しをすることは必要なことではあります。でも下手なカウンセラーほど自分が早く了解して安心したいために自ら考えをつくり出してそれを話してしまうのです。

 同じ話をするにしてもそこには大きな違いがあります。クライアントの世界にとどまるための話は端的で短い場合がほとんどです。カウンセラー側が早く安心したくなっている場合の話は、理屈中心だったり、お説教ぽくなったりなど、話が長くなる傾向があります。

★参照ページ:『心理療法』『カウンセリングで心の悩みや問題を乗り越えて行く道の地図と心理療法の実際』『横浜心身健康センター