本格的な心理療法は自分の物語を見出すこと

 世の中、まじめに生きていればいい(うまくいく)と、しつけられたり教育されますが、そう簡単にはいきません。まじめに真摯に生きようとすればするほど理不尽なことは多くなり、悩みは増え壁は高くそびえます。でも昔に「みいーんな悩んで大きくなった」というちょっと冗談めかした言葉が流行ったことがありましたが確かにその通りです。人は「我思うゆえに我あり」というように自分を振り返ることができます。それによって内省をして心を成長、成熟させていくこともできるわけです。

 内省的な言い回しに「自分に向き合あう」という言葉がありますが、カウンセリングなどの対話を中心にした心理面接を望む方で「いつまでも誤魔化したりしていないで、自分と向き合わねばならないと思って来ました」などと自ら決心して来談される、ほんとに凄い方もいます。また、問題を抱えてもがき苦しみながらも心理面接で真摯に自分と向き合い、心の成長を成し遂げた後に「あのことがあったそのおかげで、私は人の気持ちが前よりよく分かるようになりました。ちょっと成長しました」という人がいて、ほんとうに感動させられます。

 河合隼雄先生は『物語の意義について』の中で『私は、このクリエイティブ・イルネスという考え方がすごく好きになって、これを拡大解釈することにしました。エレンベルガーはイルネスを心の病に限っていましたが、漱石のように体の病もあるじゃないかということです。実際に調べてみると、体の病になった後にクリエイティブになっている方は多いのです。病というものを、もう少し拡大解釈していくうちに、病のなかには事故や不幸や災害も含めていいのではないか。人間が非常に不幸で災害だと思っていることが、次のクリエイションにつながっていることは案外多いのではないか、ということに気が付いたわけです。

 《・・・中略・・・》ですから、どのような方が来られても、この方の病はクリエイティブ・イルネスの始まりだと思うのです。病院に病気の人が来られて病を治して健康になるという考え方ではなく、そのマイナスを、その方がどうクリエイティブに自分の物語を生きることに活かされるかということに注目して、私は来談者と会うようになりました』と述べられています。

 クライアントのしんどい話やギリギリな話を聞いていく時に、カウンセラーがこのような視点を持っていることは、暗中模索の中に、新しい可能性の光を見ようとすることです。でも、このようなカウンセラーの態度は目の前の悩んでいる人を本当に大切にしていて、かつその人を深く信頼していないとできることではありません。河合先生は、ほんとうに情が深くて心の器の大きい人ですから、皆が手助けをあきらめたような大変な人にさえも可能性の光を見ることができ、それを信じて辛抱強く接することができたようです。

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