どうすれば心の悩みが解決できるのか カウンセリングや心理療法や禅から見えてくる心

個別の心理面接から見えてくる心の悩み解決の核心

 人の心の悩みは千差万別です。もちろんその解決に至る道も、人それぞれに千差万別です。しかしカウンセリングや心理療法の現場で個々のクライアントと悩みの解決に取り組んでいると、あるパターンのようなものが見えてきます。個々人の症状や問題は千差万別でもその背景に、人の心のあり方に共通した動きがあるのです。今回はそんな共通項目を取り上げて、心理的な問題の解決に至るための核心部分について述べてみます。それは大きくまとめると(心理的な側面において)人が生命体として元々生まれ持った(生命体としての)働きと、生まれ育っていく中で身につけたものとの関係性の問題となります。

 心の悩みを解決するためはどうすれば良いか。ということの答えとして一言で先に言ってしまうと「自分自身との関係をよりよいものに作り直す」ことです。心理的な問題の解決策はこれにつきると言って良いでしょう。自分との関係というと奇妙に聞こえるかもしれません。確かに自分は自分なのだから関係の持ちようがないと言えます。でも実際のところはよく「私の身体、私の感情」などと言い方をしますね。そんなふうに言えるということはすでに自分自身対身体や感情となっていてそことの関係がすでにあるということになります。

 自分自身との関係をよりよいものに作り直す。それは自己否定から自己肯定に変わる工夫ということもできます。これは既存にある単純なプラス思考とは大きく異なるものです。既存のプラス思考のテクニックにはすぐには気づけないマイナス思考が秘かに盲点となって含まれているので、本当の意味でのプラス思考になれません。ところで自己肯定には条件付きの肯定と、根拠のない(無条件の)の肯定があります。心の問題を乗り越えるにはこの無条件の肯定感を強める必要があるのです。

 自分と良い関係ができて、うまく付き合えるようになると他人ともうまく付き合えるようになるので一挙両得でもあります。精神科医中井久夫氏はフランスの文筆家ポール・ヴァレリーの言葉からこのあたりのことを「私は、このアフォリズムを広く解して、私が自分と折り合いをつけられる尺度は私が他者と折り合いをつけられる、その程度であるというふうにした。ほとんど絶対に他者と通じ合えないようにみえる患者は何よりもまず自分と通じ合えていない」などと言っています。しかしこれは意外に至難の技で、既存のプラス思考を当てはめたくらいでは歯が立ちません。目には見えない心には思い込みや勘違いが多発します。盲点に陥らないための注意とコツが必要なのです。

 このブログの最後の章には自分とよりよく通じ合うための心理テクニックを紹介してあります。これらの心理テクニックの中には心の悩みや問題を抱えていてもそれをちょっと横に置いて自分に向き合える人なら自分一人でできるものもあります。けれども、心が深く傷ついている場合や、自分が受け止めかねるトラウマなどの問題がある場合にはそれを一人で乗り越えることは至難の業です。そんな場合はやはり信頼できるカウンセラーや心理療法家に手伝ってもらう必要があります。

 まず、どうして無条件の自己肯定に取り組まなければならないのか、その理由を知って納得できなければはじまりませんね。そのために今の自分が一体どうなっているか、目には見えない心を解明して、そこからなぜ自分と通じあう必要があるかを理解していきましょう。

自分を知る!なぜ心の悩みは解決が難しいのか

 まず、人間関係の問題などが出てきたときに、人はそれを自分で考えて何とか解決しようとします。けれどもそれがうまくいかないことが多々あります。なぜ問題を乗り越えられないかといえば、それはストレスや神経症的な障害、また対人関係の悩みなどのような、心からくる問題を「自分でよく考えて答えを出そうとすること自体」がすでに間違った取り組みのきっかけになっているからです。実は人は自分で思っている以上に、自分の心に対して無知で、勘違いや間違った思い込みをしているのです。そんな立ち位置からでは、いくら良い考えを思いついたとしても、元が間違っているのですから必ず的外れに終わります。まずは目には見えない心がどうなっているか自分をよく知り、勘違いを正す必要があります。

 心は非常に早く動きます。例えば「癖になっている」とか「無意識的にやってしまった」などというような素早さです。特に「今」のありようについては、始まりもわからなければ「今」と言ったときには、もうその今は跡形もない。というくらいに素早いわけです。また微細でもあるので見逃しやすくもあります。おまけに、目に見えないことも重なるので、対処が適切にできないだけでなく、大きな勘違いをもってそれをとらえてしまいがちなのです。

よく考えて答えを出すという方法の弊害2つ!

 大前提としていえるのですが、この世界は人工的な都市やその他の建造物は別にして、宇宙が作り出したものであって、人間が作り出したものではありません。よって人間ではどうしようもないことがあって当然なのです。2500年前にお釈迦さんが悟りを開いた時に、最初に説いた「四諦ーしたい」という説法の中に「四苦ーしく」というのがあります。生まれる、年をとる、病気になる、死んでしまうことは人の思うようにならない(苦)のだと明言しています。

 ところで人間は古代から知恵をもって言葉の伝達機能を発達させたり、道具を作り出すなど、いろいろな工夫によって生き延びてきました。人間には過酷な地球環境を支配、コントロールしてきた歴史があります。特に西洋から発した近代科学を駆使した便利な人間社会の発達には目を見張るものがあります。病気やケガを治したりする医療も驚くほどの発達をとげてきました。それらによって平均寿命は格段に高くなってきました。先に述べた人間の思うようにならない生老病死を多少なりとも克服なしえたともいえるでしょう。

 その素晴らしい人間の英知を基礎に人間を教育する学校において私たちは「よく考えて答えを出しましょう」と言われて育ってきました。そのせいで何事に関してもまず頭を使ってうまくやろうとする癖があたりまえとなっています。要するに人は何かあったら人間の知恵で何とかしようとするのです。お釈迦さんが説いたのとは真逆に、この世に人間の理性を持ってすれば解決できないことはないとまで思い込んでいる人も数多くいます。確かに科学の未来には、もしかしたら生老病死もすべてコントロールできるようになりそうな勢いさえうかがえます。しかしこのような情勢の過程で人類は大きな勘違いをするようになったのです。

 その勘違いのなかで特に間違ってしまったのは、機械を取り扱うようなロジックや思考方法を機械ではない人間の心の問題を解決するために用いようとしたことです。法律や約束などを守る話とは別に、科学的合理的な手法で自分の心をコントロールしようとするのは間違っています。自分の頭で生命体としての心身を、意識的にコントロールしようとすることは、例えれば、放っておいても勝手に自動車運転(生命活動)をしている車に乗っていることに気づかずに、ハンドルを切ったりブレーキを踏んだりして自分で運転しているつもりでいる状態です。生命体が元々もっている運転手と意識的な自分との二人の運転手が一つの身体という車を運転していることになっているのです。「船頭多くして船山に上る」ということわざと同じです。

 もちろん「よく考えてものごとを解決しようとする」ことはとても大切なことです。ここはぜひ科学的手法にこだわらないで、もっともっとよく考えて知性を洗練させて、生命体としての自分自身とより良い関係が持てるように工夫せねばなりません。

 なぜ科学的(合理的)思考方法を心に当てはめると良くないのか。細かい心理分析が続くので疲れるかもしれませんが、人の心身の動きに沿ってより詳しくたどっておきましょう。まず、考えるということは悩みの中に入り込むことなので、悩み自体が膨らみがちです。その結果、問題に圧倒されたり振り回されたりするようにもなります。それを抱え続ける分、リラックスすることができなくなって自然治癒力がうまく働かなくなります。また頭がいろいろ考えて動く分、相反する考えを思いつくので、それらが対立して葛藤が増えてしまいます。身体は常に一つのことしかできませんから葛藤がおこると身動きとれなくなります。

 身体は疲れていても頭だけは動き続けたりします。また頭でイメージしたことは大なり小なり身体にすぐ影響します。だから身体も大変です。一方では休息したいのに、頭の思いに準じて活動せねばならないからです。眠るに眠れなくもなります。身体のペースとズレてしまったのです。このように「なぜリラックス出来ないかの根本的な理由は、頭(思考)が止まらない(心の切り替えができない)からです」さまざまな神経症的な症状や心理的な問題の背景に、このような、休みたいけど心の思うように頑張らなければならない身体と、動きまわる頭という引き裂かれた構図があるのです。

 頭脳中心のあり方にはもう一つ大きな欠点があります。それは「こうあるべきと考えた理想的なあり方が一番大事とされるために、ありのままの部分に対して否定的となることです」人は生まれた環境に適応して生きていかねばなりません。環境に適応するようにと、ありのままのあり方を自己コントロールによって変じていこうとします。物心がつくとまず家庭内のあり方(価値観)に適応せねばならず、自分自身内で理想の自分と、それに届かないダメな自分を比べて自己否定が生まれます。また自分と他人も比べて評価し、そこでも自己否定が生まれます。学校や社会の枠組みは条件付きのことがほとんどのために、それにはまりきれない自分はダメとなるのです。 心の悩みで苦しんでいる人の多くが社会の枠組みに適応できなかった自分に価値がないと思い込んでしまうのです。時にそれは自分を責める動きとなります。また、ありのままの自分にはまったく価値がないと結論するまでに至るのです。

 理性で考えコントロールすべきであるという価値観が強いほどに必然的に、ありのままの部分を否定することになりがちです。そうなると、良くないと思える自分を出さないように、常に自分を監視下においてコントロールしなくてはならなくなるのです。外に出たら常に緊張していなければならず、人間ならあって当たり前の、疲れや弱みを出すこともできなくなります。非常に疲れる生き方になります。

上記の二つを変化させるための具体的な心理技法

 まず「なぜリラックス出来ないかの根本的な理由は、頭(思考)が止まらない、心の切り替えができない」ということですから、まず、頭脳中心に動き回るを部分を止める(休ませる)工夫が必要です。そのとらわれから脱して全体を客観しできるようになって、自分の問題や内面のさまざまな局面と適切な間をとれるように再調整します。次に「ありのままの部分に対して否定的」となっているのを修復したり、今後、ありのままの部分を自己否定しないようになるためのあり方を会得します。その際に気をつけることは否定的な動きや考えが出てきてもそれを否定せず認めることです。

 以下に具体的な心理技法とその特徴を簡単に解説してみました。興味のある技法など、より詳しく知りたい方はリンク先をご覧ください。

 フォーカシングは、自分の内面や身体を深く信頼して見守ったり、寄り添ったりできるようになる心理技法です。「見守る、寄り添う」は良い関係を保つためのの理想的あり方のひとつです。またフォーカシングには、心の一部分だけに一体化せず、そこから出て距離をもって見守ったり、さまざまな要素や側面のすべてを、そのままにときには肯定的に見るようになるためのトレーニングもあります。自分のどんな要素にも臨機応変に、それぞれ適切な距離感をとることができるようになるので、偏った考えや一時的な感情に振り回されなくなります。

 インナーセルフ療法はいろんな思いや感情をイメージ化、人格化して自分の内面と対話形式をとることで、今まで否定していたり、無視していたり、生きてこなかった側面と通じ合えるようになります。また、インナーセルフ療法の技法によって自分で自分を癒やせるようにもなります。

 カウンセリングで信頼できるカウンセラーに肯定的に聞いてもらうことで深い自己否定からも抜け出せます。カウンセラーがクライアントの気持ちをわかってブレずに寄り添って話を聞いていると、その支えの中でクライアントは、それまで否定したり無視していたり、今まで生きてこなかった側面を再検討できます。カウンセリングで話をするだけというのはちょっと地味な感じもします。はたしてそれだけで良くなるのかと疑問を持つ人もいます。けれども本当に力量のあるカウンセラーに話を聞いてもらっていると最終的には驚くほどの素敵な変化が起こったりするのです。カウンセリングは心理療法において「カウンセリングにはじまってカウンセリングに終わる」と言えるくらいに奥が深いのです。

 催眠療法で自己解放したあり方を体感することで、理性でコントロールしなくとも身体がいかに上手に何事にも対処できるかがわかります。また、催眠療法の中でそんなあり方のトレーニングを重ねれば、楽でいてうまくいくやり方が会得できます。そのようにして自分の心身を信頼できるようになると、フォーカシングの、距離感を持って見守るあり方とは正反対であるけれど、ものごとを成し遂げるには必須な能力といえる「我を忘れて物事に没頭する」コツも会得できます。

 マインドフルネスがテーマとしている「今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れる」というあり方を、瞑想などでトレーニングしていると、フォーカシングを同じく、思考のループを止めることができます。また問題へのとらわれもなくなっていきます。

 坐禅瞑想を重ねることで事実と想像や観念との区別をつけられるようになると、マイナス思考に振り回されなくなります。曹洞禅宗の只管打坐といわれる坐法を続けることによって、肩の力の抜けた等身大の楽な生き方が深まっていきます。また自我へのこだわりを抜けて、あるがままのあり方を体得することで、悩みことが極端に少なくなります。

参考ページ

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