エンカウンターグループとは
私はエンカウンターグループが大好きです。過去にカウンセリングの学びの一助としてよく三泊四日や四泊五日で旅館などに泊まり込んで行う人間関係の体験学習をやるエンカウンターグループのワークショップに出かけたものです。2009年末には九州の九重エンカウンターグループでした。大分の山中、外は極寒の雪に囲まれた山荘でのワークショップでしたが暖かい雰囲気のメンバーグループで実に伸び伸び楽しかったです。
近年はそうでもないですが、私がカウンセリングを学びはじめた30年以上前にエンカウンターグループはとても盛んに行われていた人間関係の体験学習法でした。 神奈川カウンセリング研究会のカウンセリング研修科目の中にエンカウンターグループがあり、年に数回、研究会の主催で泊まり込みのワークショップが開催されていたのです。
エンカウンターグループはカウンセリングの創始者カール・ロジャーズとその仲間がシカゴ大学の学生達のカウンセラー養成に集中的なグループ勉強会が効果的なの見いだしたのがきっかけではじめたようです。ベーシック・エンカウンターグループ(Basic Encounter Group 非構成的出会いグループ)と呼ばれるこのグループは通常のグループアプローチとはかなり違った特徴を持っています。その最も特異な点は、主催者側に会をリードしていこうとする人が居ないところです。そんなことを何も知らないで参加すると、その常識外れにビックリします。
私がはじめて参加した湯河原の温泉旅館でのワークショップでは50人くらいの大人数が集まっていました。まず大広間に全員が集まってグルーッと大きな輪になって座ってセッションが開始されます。その直後に世話人という人達が何人か自己紹介をするのですが後は何もしないのですです。それでどうなるかというと、50人の大沈黙が始まるわけです。
しばらくするとせっかちな人か積極的な人かが「自己紹介でもしましょう」などと発言しますが、尻切れトンボに終わります。そしてまた沈黙。「私は引きこもりで居ました」とか自分の悩みなどを語ろうとする人が出てきますが「その話は今は受け止めかねるし、時期尚早の感じなのでまたに、、」と止めようとする意見が出てきます。そしてまた沈黙。沈黙が多いのです。
私自身はエンカウンターグループとはどんなものかを本で下調べしていたのですが、それでもこの先どうなるのか、と心配になりましたね。何も予備知識がない場合はもう帰ろうかと思うくらいお先真っ暗な感じになるでしょう。私は人間関係の勉強に来たのに教えてもらえないなんて酷い!お金返せ!と思う人も居るかもしれませんね。
でも、これが良いのです。世話人の基本ポリシーとして、グループにはグループとメンバーの実現傾向(成長・適応・健康へと向かう)の促進力があると信じているのです。それでメンバーを信じて任せているのでリードしないというわけです。私は上から教えられるような感じで学ぶのが嫌いというか、自分のことは自分で気づきたいし発見したいとの思いがあるからでしょうか。そんな私の性分に合っているのでしょうね。このような方法は自由でホントに良いなぁと思います。
通常では、何か学ぼうとする集まり(集団)の場合には自主学習会でないかぎり、必ず講師が居たりトレーナーがいます。またどのように学んでいくかの予定やスケジュールが組まれているのが普通です。それらがないのですから当然面食らってしまうわけです。ベーシックエンカウンターグループではトレーナーや講師は居なくて代わりにファシリテーター(世話人)と呼ばれる人が居るわけですが、その役割はメンバー同士の人間関係を促進することが第一で後はグループメンバーの一員として行動しようとするのです。世話人は基本的にはリーダーシップを取ってグループを導いていこうとしないわけです。ですから時にはグループの誰かがリーダーシップをとる可能性もあり得るというわけです。
ベーシックエンカウンターグループには大まかなセッション時間とかの枠組みなどは決まっていますがどのようなことをやるのかなどの内容は決まっていません。グループのメンバーで決めても良いわけです。通常はグループメンバー10人前後にファシリテーター2人くらいです。先に話した50人から始まった湯河原でのワークショップでも、この大グループのままで居たいという人もいましたが、次第に幾つかの小グループに分かれて、私も総勢10人くらいのグループに入ったのでした。
大グループから別れた幾つかの小グループは最終日に皆で集まるまでは旅館の別々の小部屋でそれぞれに自由にセッションを重ねるのです。私は湯河原、山梨、長野、大分などで開催されたエンカウンターグループに幾度か参加しました。そこでおもしろくて楽しいだけでなく為にもなるホントによい経験をさせてもらったのです。
菩薩と鬼女がいた初めてのエンカウンターグループ
私の初めてのエンカウンターグループ参加はとても刺激的なものでした。三泊四日の合宿が終わって下界に出たら、自分が何だか良い人間にでもなったような感じがしてかなりハイになっていました。それから一週間くらいは毎日、下手なギター片手にフォークソングを楽しく歌って過ごしたりしていたくらいの盛り上がりでした。開放されていたといえば聞こえは良いですが、足がふわついて地についてはいませんでした。今思うと恥ずかしいですが。
しかしそんな一時的な感情の盛り上がりとは別に、私はその初回のエンカウンターグループのワークショップでかなりの体験学習をしていたのです。いや、その当時には全くそれと気づきませんでしたけど。それは『人がいかにそれぞれに色眼鏡で外界を(投影して)見ているか』ということです。
湯河原温泉でのエンカウンターグループでは大部屋で50人くらいで話し合ううちに次第にそれぞれが希望する小グループに別れていったのです。私も10人くらいのメンバーグループに参加することにしてそのメンバーと小部屋に移りました。
全く初めて出会う人達と畳の部屋で輪になって座って、ワクワクドキドキしながら本格的なセッションが始まったのです。そのグループには二人世話人がいて、一人はその当時山梨大学で教鞭をとっていた古屋先生という中年の男性でした。そしてもう一人は神奈川カウンセリング研究会のベテランの世話人で中年の女性でした。この女性の世話人の方がなんともステキで、私にはこれぞカウンセラーではないか!と映ったのです。どうしてかというと、見た目や雰囲気が「菩薩」のような感じだったのですから、そう思わずにはいられませんでした。
私は当時カウンセラーに強くあこがれてワークショップに参加したのですから、ベテランのファシリテーター(世話人)は私の理想像となります。そして、まさにカウンセラーとしては最高レベルの人(菩薩)を見つけたのでした。初日のセッションを終えてから私は「こんなステキな世話人の居るグループに参加できて最高だ。よかったなぁ。明日からのセッションが楽しみだ」と思っていたのでした。
初日のセッションが終わった後に待っているのは、慣れた先輩方が持ち込んだり買い出してきたものでの飲み会です。先輩方は長年エンカウンターグループを行ってきていて知り合いも多いし、日常を離れて開放されて楽しむために、それぞれに寄り集まって、もう初日の夜から飲み会が始まるのです。もちろん自由ですから参加しない人もいたりもします。これはどこのワークショップでもそんな感じですね。
私も先輩方に誘われてその飲み会に行くと「こっち、こっち」などと皆に声をかけられて、それだけで何だか一員として認められたような嬉しい気持ちになりました。そんな時です。そこにベテランの、時には世話人もやったりするような中年女性が今にも踊り出しそうなくらいの勢いで伸び伸び元気に部屋に入ってきたのでした。そして近づいてきて私を見るなり「野田さんはぁ、、」と何か突っ込み入れそうな声を発したのです。
幸いばかり長くは続かないもんですね。私は恐怖に固まりました。初めてのワークショップ参加は私にとって新入社員と同じ心持ちです。おまけに「カウンセリングの諸先輩達も大勢いる中に私のようなものが参加していいのだろうか、、」などと半分引け目も感じてましたし。でも図々しくも「ぜひみんなに受け入れてもらいたい!認められたら自信になるし、、」などとの下心もあって参加しているのです。その心はもうちょっとでも否定的なものを感じればすぐ傷つきかねない状態なわけです。
ありがたいことに、その声をかけられた時は、他の先輩方が私の怯えや傷つきやすさを察知してその対決を流してくれたのです。「マァマァいいじゃない、、」などと言ってくれて。酒のおつまみをみんなで配る方に集中してその元気な中年女性の「野田さんはぁ」の続きは立ち消えとなったのでした。
でもその後のワークショップの間中、私はそのおばさんに「野田さんはぁ」の次にどんな「酷い」こと言われるのだろうとビクビクものだったのです。全員が一堂に集まる食事の時間などは、できるだけそのおばさんの眼を逃れるように席を取って食事したものでした。そうなんです、私の中でその元気な明るいおばさんは鬼女になってしまったのです。でも私は小グループに行けば菩薩さまが居てくれるのですから大丈夫なんです。セッションでは私がたわいのない話しをしても、菩薩カウンセラーはウンウンと大きく頷いて私を支えてくれるのです。本当にどこかで見かけた菩薩像のような顔つきでした。
私は皆が集まるところでは鬼が出現しないかビクビクしながらも、肝心の小グループでのセッションでは菩薩様と一緒に心地よく過ごして、そして晴れて三泊四日のエンカウンターグループを終えたのでした。
下界の湯河原駅のプラットホームで周りを見回すと、気のせいか何だかワークショップ前よりも周りが違って見えるんです。本物とは言えませんがゆとりは出てたのですね。まるで自分がもうかなりのカウンセラーにでもなったくらいのハイテンションで「さあ良い人間になって帰るぞぉ」と電車に乗り込んだものでした。ところが私のエンカウンターはまだ終わってはいなかったのです。驚いたのは、ホームでは見かけなかったのに、同じ車両にその鬼女おばさんが偶然居合わせたのです。もう逃げられません。えぇ、ホントに万事窮しました。
で、どうしたかというと私は意を決して正直に言ったのです。「実はあなたが怖かったのです・・・」と。たいして知らない人からそんなこと言われたのに、さすがカウンセリングはベテランの鬼女先輩でした「そう」とだけ言って聞いてくれました。私はもう心底ホッとしました。そのうちに目の前の席が一つ空いたので鬼女先輩は座りました。私はその座ってうつむき気味の鬼女を見たときにもう鬼には見えず何だか普通のおばさんが少し淋しげにしているような感じがしたのでした。私に怖がられていたことが悲しかったのかもしれませんね。その後の言葉が足りなくて悪いことしました。
でもこの話には更に続きのオチがあったのです。その後のことです。神奈川カウンセリング研究会の他の先輩方二人と私とでお茶をしたときに「そういえば彼女(私にとっては菩薩カウンセラーだった中年女性が)この前のグループでボロボロになっていたよね」と先輩二人が話し合ったのです。私は内心「え?あの人(菩薩)がそんなになるの?」と全く信じられない思いで聞いたのでした。
どうしたことか、鬼女が普通のおばさんになったとおもったら、おまけに菩薩までも只の人になってしまいました。ウーム。ウーム。それにしても、三泊四日逃げ回っていた小心者の私に、鬼との避けようのないエンカウンターを、それも最後の最後に持ってくるようにアレンジしたのは神か仏でしょうか。あんなことあるんですねぇ。
この経験はその後しばらくしてから、やっとどのような体験だったのかわかってきたのでした。私は勝手に自分の内面の救済者イメージを全てその菩薩に似た女性カウンセラーに投影していたし、またその「野田さんはぁ」と言った先輩おばさんにはその反対の(私を傷つける)否定的イメージをまとめて映して見ていたのでした。でもね、人ごとですから笑っていられるでしょうけど、大なり小なり皆さんもそんな色眼鏡をかけて周りの人を見ているものなんですよ。
★参照サイト:『人間関係研究会 エンカウンターグループ』
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