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あがり症克服のコツ(1~9)

 このブログページには、電子書籍として作成した「あがり症克服のコツ 1~17」の前半部「その1~9」までを無料でアップしてあります。 1ページ内にまとめてありますが、読みたいところだけ読むこともできるように、目次にリンクを貼りました。興味ある目次をクリックして、そこを読んで頂いたりしながら入り込んでいただければ取っ付きやすいかと思います。

その1 はじめに
その2 なぜあがってしまうのか
その3 どうすれば良いかを先に言うと
その4 具体的な葛藤事例
その5 慢性化したあがり症の場合
その6 よいアドバイスが全く役立たない場合も
その7 真面目で正直な人ほどあがる
その8 本来の目的を見失ってしまう 1
その9 本来の目的を見失ってしまう 2

その1 はじめに

 私の営んでいる横浜心身健康センター心理療法室には心から来るさまざまな問題で悩んでいる方がその解決のために来談されています。そしてその中にはあがり症やスピーチ恐怖症で悩んでいる方もかなりの数にのぼります。

 人前であらたまってスピーチをしたりすると、ひどく緊張して動悸が強くなり、赤面したり体が震えたり、頭が真っ白になったりして、人前でこうありたいと思う理想の半分くらいもできない。そして終わった後は人目が辛くて穴があったら入りたいような恥ずかしさにおそわれてしまう。そのために人前で何かすることが苦手意識や恐怖にさへなってしまって、その場面を想像するだけでも動悸がしてくるというまでになっている人もいます。その苦手意識の強さの程度は違えども、このようなあがり症、対人恐怖症の問題で悩んでいる人はとても多いのです。

 こんな悩みを他人や家族にさえも相談できずに一人で長年悩んできたという人も少なくありません。学校の授業で本を読まされた際にあがってしまって、スムーズに読めずにクラスのみんなに笑われてしまった。その後も似たような経験をしてそれらが大きなトラウマとなってしまった人もいます。また、電車の中や家の近所の人の目も気になるので気軽に外に出かけられない。夜みんなが寝静まった頃に外に出たら、誰もいなくてとても楽な感じがしたことがあると言った青年もいました。

 私はそのような問題で悩んでいる方々と個別の心理面接でその解決に長年取り組んできました。その内容や解決に向かう道はひとりひとり千差万別です。でも、そんな個別の作業を地道に積み重ねていくうちに次第に他の人にも通底するような、あがり症やスピーチ恐怖に共通の心のパターンやその特徴というものが見えてきたのです。実は、この見えてきたものは、あがり症やスピーチ恐怖症に限らず、人が行為、行動するときには全てにおいて陥りやすい問題でもあるのです。それは心とからだがバラバラになってしまったがために起こってくる問題であるのです。

その2 なぜあがってしまうのか

 こころとからだがバラバラになってしまっているからあがってしまう。というのをより詳しくいうと『人前に出ていざスピーチしようという段階に至っているにもかかわらず、心はまだ葛藤し迷っている。そこでそれに連れてからだも迷うままになり身動きが取れなくなっている』つまりあがった状態にあるといえます。この所をよくふまえた上で対策を立てていくことで真に適切なあがり症の克服方法が必ず見いだせるのです。

 人前に出たということは行為すべき時がきているのです。それなのに、いろいろ相反する考えが思い浮かび、心と身体がバラバラになり一丸となって事に当たれなくなってしまっているのです。このような状態を競泳で例えてみましょう。もし泳ぎがあまり上手でない人でも、競泳に参加して「用意ドン」とプールに飛び込んだら後はもうゴール目指して一生懸命泳ぐしかありませんね。ところでプールに飛び込んだ後に「・・・自分は上手に泳げるんだったっけ。泳ぐの止めたいな、でも泳がないと、どうすれば上手く泳げるかしら、、」などと考え葛藤してしまったとしたら、手足はまともには動きません。 悪くすれば水中にズブズブと沈んで溺れてしまいます。このように競泳に例えるとあり得ないようなおかしな状態が、実は人前に立ったとき、あがってしまっている人の内面で、それと知らぬ間に起こっているのです。

 水の中なら、とにかく手足を動かさないことにはおぼれてしまいますから一生懸命泳ぐことひとつ(心身一如)になるしか手はありません。でも人前では溺れて死にそうになるまでいかないからでしょうか、心身一如でない葛藤したままのあがり状態に終始してしまうのです。

その3 どうすれば良いかを先に言うと

 あるやり方を他にも役立てようとマニュアル化するときには表面的なものを見ていくのではなくて、その根本(本質)を見抜いてそこから普遍化、一般化しなければ万全ではありません。ここでは、個別のあがり症や対人恐怖症に関する心理臨床を重ねる中からわかってきた『あがりとは、心の葛藤によって心とからだが一体でなくなっている状態である』というのをその根本にしてそこからどうすればよいかを探っていきます。

 繰り返しになりますが、この根本にある状態をきちんと把握しないままに、自分がこれであがり症を解決できたので他の人にも役立つだろうなどと、そのテクニックだけを紹介しても、それは表面的なものであるために、ある人には役立つけれども他の人には通用しないというようなものになってしまうのです。そうならないためにもまず基本の『人前に出るとはどういうことなのか』を再確認しておかねばなりません。これが第一のテーマです。

 あがり症の人は人前が怖いために、嫌々、中途半端な気持や思いで人前に出てしまいがちです。人前に立ったばかりなのにもう「早く終わりたいな」などと思ったりしてしまうのです。また逃げの気持から、人前で何をやるかを明確に持っていません。またありのままの自分に自信がないせいで、人前に立ってから「みんなの反応がおかしい、私の話をしょうもない話と思っているのではないか」などと思えて焦ってきます。そうなればもし準備してきたものがあっても、他のやり方が良いのではないか、などと迷ってもきます。頭があれこれ考えはじめいそがしくなってくるのです。

 この状態を今度はファミレスで食事を注文するときに例えてみましょう。人前に立ってから、頭があれこれ考えてしまう。それはファミレスで食事を頼むさいに呼び出しチャイムを押して、ウェイターやウェイトレスを目の前に呼んでから、食事を何にしようかとメニューを見はじめるのと同じようなことなのです。場にそぐわない、おかしなことをやってしまっているのがわかるでしょうか。よほどの図々しい人でない限りはそんなことできませんね。ウェイターやウェイトレスを呼んだら選んだ食事を注文という行為をする時がきているのですから。そこで実際には食事を注文する時はウェイターやウェイトレスを呼ぶ前に今日はカレーにしようなどと決めておくわけです。

 それと同じに人前に立ったさいにも、すぐ行動に移れるように前もって心を一つにまとめておかねばならないのです。よほど人前が慣れている人でない限りは人前に立ってからいろいろ思考をめぐらしてそこで何をしようかなどと考えているゆとりはありません。けれども多くの人が思考を巡らす時と、心を一つにして行為、行動する時との区別をハッキリと自覚していないがために人前に立ってからも、頭がいろいろ考えはじめてしまうのです。

 あがり症の原因(本質)は心が葛藤して心身が一体になって物事に向かう状態(心身一如)になっていないということですから、それを克服するには人前に出たときに『心身一如になるように工夫』すればよい。ということになります。これが第二のテーマです。このための工夫として一番効果的なのは『人前で表現したいもの伝えたいと自分の気持のこもるハッキリしたものを持っておく』ということです。このことはまた後の章で詳しく具体的に取りあげます。

 例えばイメージトレーニング技法やプラス思考などは、それによってより強い心身一如の状態になることをねらっているから、それができた人には役立つのです。また例えば自信がつけばあがらない、というのも自信があれば迷ったり葛藤しないからあがらないということです。また時には、今から大事な試合に臨む直前にコーチから強い言葉で叱咤激励されて、それで迷いが吹っ切れ心身がひとつになったために、あがらないで試合がやれた、ということも起こるわけです。これら以外にも様々なあがり症克服の手法があるわけですが、それら全てが心身一如の状態に持って行くための工夫であるとみてよいでしょう。逆に言えばどんなに良いといわれる方法でも心身一如になれないとしたら役立たないのです。

その4 具体的な葛藤事例

 ある青年は絵を習っていましたが、絵の教室の少々厳しいその先生が見ている前だと手が震えて絵が描きづらくなってしまいました。カウンセリングしたりイメージ面接をしてみて解ったことは、自分はまだ先生の期待するほど充分な絵は描けないなぁ、と思っている部分と、でも先生の前ではその自分の実力以上にうまく描かないと怒られるのでは。と思っている部分があるということでした。 先生の前だとその二つの心が「怒られるのでは、、そんなに上手には描けないし、、な んとかうまく描けないものか、、でも無理だ、、」と葛藤してしまい手はそれに連れて震えるしかなくなってしまうというわけです。

 そこで彼と二人で考えたことは、絵の先生の期待通りに上手く絵を描くという、今の自分にできそうもない所はあきらめよう。自分のできる範囲で精一杯描けばよいのだ。と心を決めることでした。そして催眠療法でも、それを自分に強く言い聞かせるように暗示したのです。彼には他にも対人恐怖症などの課題がありましたが、それによってとりあえず絵の先生の前で手は震えないで絵が描けるようになったのでした。

 また、ある壮年男性は研修会においてふと皆の前で発言してみようと思いつき、手を挙げて発言をはじめたのでした。ところがすぐに自分が意見を明確にまとめていないことに気付いてしまったのです。「自分の考え意見を早くまとめなければ、でもすぐにはできない、もう発言を止めようか、いやなんかまとまったことを言わなければ、」などと葛藤し、焦り、口がこわばり中途半端なままに発言を終えたのでした。

 この壮年男性の人前での心の葛藤状態はまさに、その2の章のところで述べた水泳競技の例えと同じです。すでにプールに飛び込んでいるにもかかわらず、泳ごうか止めようか考え込んで溺 れてしまう人と全く同じ状態であるのがわかりますね。

その5 慢性化したあがり症の場合

 あがり症で長年悩んでいる人は「私は話し下手だ」との苦手意識が強くなっていて、人前であがってしまうことが劣等感となっています。また過去に人前でとても苦しかったり恥ずかしい思いをしたトラウマがそのつどよみがえり、それを思い出すだけでも、体がこわばり心臓の鼓動が早くなったりすることも起こってきます。このような場合には、その4の章で述べたようないうような葛藤は隅に追いやられてしまいます。それよりも人前に出ることが怖くて大嫌いになっているので「なんとか人前に立たないで済ませられないか、なるべく早く終わらせたい、でもちゃんとやらねばならないし」などの葛藤が前面に出てきて悩んでしまいます。

 人前であがっている時に当人の内面でたち起こっている心の動きをちょっと振り返ってみましょう。あがり症の大変さは、あがって緊張してしまう苦しさだけではありません。それを人に知られたくないので隠さねばならず、ますます緊張がエスカレート悪循環してしまう大変さです。そんなあがり症で悩むすべての人がこの通りとはいえませんが、まず人前であがることが劣等感となり、早く逃げ出したい思いと、そうはいかないという葛藤に心は支配されます。それがために人前に出てからみんなに伝えたいものを用意することをうっかり見過ごしてしまいがちなのです。人前で行為するさいの一番のかなめが盲点となってしまったのです。これだというはっきりした伝えたいものを持たないで、そちらを忘れたまま人前に出てしまって、その点でもどうして良いかわからず、全くのお手上げ状態に陥ってしまうのです。

 人前に出るということは、そこで何かを表現したり伝えたり訴えたりするということです。それは前にその2の章で述べたように、ヨーイドンでプールに飛び込んだらとにかく手足を動かしてゴールまで泳ぎ切ることと同じなわけです。まず人前に立つということは何かを表現したり伝えようとするという(プールに飛び込んだらとにかく手足を動かしてゴールを目指す)ことだと、再確認して良くわかっていなくてはなりません。その心構えをまず持って、逃げないでそれに前向きになるというような基本の所から立て直して行く必要があるのです。それがないままに中途半端な心持ちで人前に立てば、あがってしまうのが当然なのです。逃げたい気持ちが強いなら人前に立つことは諦めるべきでしょう。そうでないと必ず、逃げたい気持とやらねばならないという思いとの間で葛藤してしまうのですから。

その6 よいアドバイスが役立たない場合も

 あがり症でも症状が重い対人恐怖症を伴うようだったりする場合には個別の心理療法でその克服に取り組むべきです。何事もですが、問題が難しくなればなるほど簡単なアドバイスや「こうすれば良くなる」というようなハウツウ的な解決策は通用しなくなります。なぜかというと頭に知識を得て、それで外界や自分の心身をコントロールするという事ができないレベルにあるからです。神経症でも重くなればなるほど心と身体の亀裂が強く複雑になっているといえます。心と身体がうまく繋がっていなければ、いくら良い知識を頭に入れたとしても頭で思うことと心身のエネルギーやその動きとが噛み合わないので「努力逆転の法則」などと言われるような空回りに終始します。時にはそれでより心が複雑になって、ますます心と身体の繋がりが遠のいてしまう場合さえあるのです。

 この本では心理療法の説明が主ではないので詳しくは述べませんが、気持ちをよく解ってくれる信頼できるカウンセラーに共に歩んでもらい支えられることではじめて心身まるごとが変化していける場ができあがります。その中で次第に心と身体が繋がる事を体験し、治癒が起こり、その個人の個性にあった心身一如を会得できるわけです。

その7 真面目で正直な人ほどあがる

 真面目で正直であればあるほど自分に厳しくもなりますから、人前に出たと きにも「自分の内面にはみんなに表現するほどのものや自信を持って見せるようなたいしたものがないなぁ、、」と弱気にならずにはいられません。

 そのうえに、日本ではその場での一体感を優先しますから、みんなの前にひとりで立つ時にさえ、その場の一体感を壊さないようにしようと気をつかいます。冠婚葬祭などは粗相のないようにふるまわねばなりません。また個人的にも「恥をかきたくない、みんなに良く見られたいしそこまでいかなくても普通くらいには見られたい」などとと思えば、ありのままの自分とはかけはなれた理想的な言動か、または常識的な無難な発言をしなければならないとプレッシャーがかかります。

 でも真面目で正直で誠実だと、嘘がつけませんから格好だけうまくやらねばならないとか本音や自然体と違うところを見せなければならないという状況に耐えられなくなったりして、その葛藤であがってしまうのです。逆に他人がどう見ているかは関係なく「自分は凄いんだ、天才なんだ」などと思いこんで反省することのない人はあがらないわけです。極端な例えですが、どこかの政治家やプレイボーイのように、自分は口がうまくて何とでも誤魔化せる、などと思っている人は自分の内面がどうあろうとそこの反省はしないので、葛藤も起こらずあがりもしないのです。

その8 本来の目的を見失ってしまう 1

 その5の章で「人前に出るということは、そこで何かを表現したり伝えたり訴えたりするということです」と言いましたが人前であがっている時にはこの基本の部分がどこかに行ってしまいがちです。

 それは例えばラブレターを書くときに時に陥ることのある心理状態と同じなのです。ラブレターは好きになった人への自分の愛する思いや、気持ち伝えるのが本来の目的です。ところが「その手紙を読んだ時相手にガッカリされたくない。嫌われないようにしたい。できればこの手紙を読んで自分を好きになってもらいたい、、」などと思いが膨らんでくるとします。すると次には「相手が自分を好きになるように書くにはどうしたら良いだろう、、」などと考えます。この時にはもう元にあった自分の素直な思いや愛情とは分離したところで文章を考えるようになっています。そしてもちろん恋愛小説家ではないのだし、ましてや相手が自分を好きになるような文章なんてわかるわけないので筆はいっこうに進まず、行き詰まってしまいます。

 これと全く同じに、人前で「みんなに変に思われたくない、良く見られたいし認められたい、最低限普通に見られたい」などと思えば、見た目の格好がどうなのか気になりだします。またより緊張が強くなってくると今度は焦りの中であがっていることを知られたくない、バレないようにしなければとそちらが気になってきたりさえしてしまうのです。

その9 本来の目的を見失ってしまう 2

 その7や8の章で述べたことと重なるのですが、ここでは少し違った側面から考えてみます。

 あがり症が癖となってしまって長引いたり、その症状が強くなったりしてくるとそれが劣等感となります。そして人前を避けるようにもなってきます。そうなると自分自身に自信がないことが悩みとしてクローズアップされてきます。そこで見過ごされがちになるのが第二のテーマの方である『表現したり伝えたり訴えたりするその内容の方に自信がない』という点です。

 考えてみれば人前で何かやる時、伝えたいもの(内容)に自信がなければ、よほど嘘が上手で誤魔化すことに自信があるか、逆に自信がないことを正直に告白するのでなければどうして良いか分からなくなってしまうでしょう。そんな時には葛藤して身動き取れなくなったり、焦ってしまって当然なのです。この側面から考えてみても、人前に出たらそこで自分が何を表現するのか、みんなに何を伝えたいのかなどをハッキリ持っていなければなりません。そしてその中身を人に伝えたい!と逃げの気持でなく前向きになっていることが最低限必要なのです。人前に出た時には、まずもって人に聞いてもらいたい見てもらいたい!と思えるような伝えたい気持ちがこもった中身がなければ始まらないのです。

★紙の本:『あがり症克服のコツ:980円+送料:300円
★電子書籍版:『あがり症克服のコツ:Kindle本:500円
★参照ページ:『当相談室の心理療法


個別の心理療法に学ぶ 自分に自信を持つための方法

 心理的な症状や悩みで行き詰ってカウンセリングに来談された方が、話しを進めていく中で、おしなべて行き着くのが「自分に自信がない」ということです。「集団に溶け込めなくて自分だけいつも浮いているような疎外されているような感じです」とか「職場で人に気を遣ったり遠慮してしまって、自分の行動や話すことは後回しになります」「周りや世間がどう思うか気になって外に出るのも辛いです」などと自分に自信がないことからくる人間関係での大変さが話題となるのです。

 自分に自信が持てないと人とのかかわりが重荷となって疲れるばかりで、次第に人の中に入ることが嫌になってきます。引きこもりになっている人の多くが、事情はそれぞれに違っていても自分に自信がないがために人の中に入っていくことができなくなっています。さまざまな問題や困難を乗り越えたり、自分の成し遂げたいことに挑戦するなどして、充実した人生を生きていくためには、まずもって自分に自信を持っていることが必須といえるでしょう。

 心理面接やカウンセリングでは、何らかの形でなくしたこの自信を取り戻したり、新たな自信を育てたりすることが課題となります。けれども「自分に自信を持てばよい」と言うほどに簡単にはいきません。自信とは自分を信じるということですが、中身が具体的ではありません。自信を持つためにどのようにしていけばよいのかがわかりにくいのです。また自信の持ち方自体にもいろいろあって、例えば自分の実力もわきまえずに自信過剰になったとしたら、はた迷惑ばかりで人間関係はかえってうまくいきません。

 そこでまず「自分に自信を持つ」ということがいったいどのようなことなのかを、より具体的に整理しなおしてみました。それによって自分の場合はどのように取り組んでいけば本当に役立つ自信を得ることができるのかがわかってくるはずです。今回の内容は個別の心理面接でこの問題に取り組むことを共にしたクライアントから学んだものが中心となっています。(やはり自分に自信を持てなくなった事情の根が深い分だけその再生は困難を極めます。そんな場合はやはり個人の心理面接でカウンセラーなどに支えられながら根気よく取り組んでいくのがベストでしょう)

条件付きの自信

 「自信」は二つに大別できます。わかりやすいのは仕事が人よりできるとか、頭が良いとか運動能力が高い、などというように他と比較して自分の方が優れているところからくる自信です。よほどの障害や才能がない限り、その道で努力工夫していれば次第に上達するので自信は強まります。でも上には上があってきりがないので、自分より下位の者が多い中にいる時は良いのですが、優秀な人が多く集まる中に入ってしまうと途端に自信喪失しかねません。また自分の到達したい理想を高く持ちすぎると、いつまでたっても自信が持てないことになります。

 この自信は何々が優れているからというように条件付きのもので、その条件から外れてしまえば役立たなくなるというもろいものなのです。でも社会の中で活躍するには、物事を成し遂げるまで努力する力が欠かせません。そのためには、自分は人より優れた能力があるのだとの自信がある方がずっとやる気が出ます。

 逆に、自分は今までちゃんと物事を成し遂げたことがない。どうせまたうまくいかないだろう。などというような自信のなさでは、できるかどうか試してみることさえ諦めてしまうでしょう。こんな時一番良いのは「好きこそものの上手なれ」というように、自分の好きなことに夢中になっているうちに自然とそれに上達していく体験をすることです。その体験によって自分もやればできるのだと自分の可能性自体に拡大した自信が持てる場合もあります。

無条件の自信(基本的信頼感)

 自信にはもうひとつ無条件の自信というのがあります。それは他人との比較するものでない無条件のありのままの自分に対するものです。根拠のない自信ともいえるでしょう。これは先に述べた条件付きのように他と比較してのものではないので一見わかりにくくて目立ちません。けれども例えば家を建てる際に一番重要な基礎工事に相当するもので人がより良く生きていくためにはより重要なものです。

 心理学で乳幼児期に育つといわれている基本的信頼感というのがこれに相当します。乳幼児がより快適に安全に育っていくための要求を親や養育者がよくわかって、できるかぎり叶えてあげられるほどに、周りや自分に対する基本的信頼感が強くなると考えられています。他者にも自分にも、世の中に対しても強い肯定感を持つことができるのです。そのため社会の中においても意欲と信頼を持って前向きに活躍していけます。

 かといって、完璧を目指して乳幼児を養育するのでは神経質さが伝わるので逆効果です。赤ちゃんに対する深い愛情と理解がありながらも肩の力が抜けた感じで、ゆとりを持って接する方が基本的信頼感がよりよく育つはずです。これがあれば条件付きの自信が全てなくなっても、自分の存在をすべて否定しなくて済みます。

 逆に基本的信頼感を育むことができなかった子供は、自他ともに信頼しにくく安心できなくなるでしょう。この世に生まれ出てから、充分守られている感じが持てないで育った子供は、失敗を恐れて何事にも消極的で他人を信頼できず情緒的な人間関係が築きにくいといった傾向があるといわれています。その後に来るしつけに対して、怖さや否定されたという思いを強めがちになるともいわれています。また、夫婦喧嘩や離婚など不安定な家庭で乳児期を過ごすと、基本的信頼感が育まれにくいという指摘もあります。不安が多くて落ち着く暇がなければ信頼どころではありませんね。

 さらには、物心ついてからのしつけにおいて、この無条件の自信(基本的信頼感)を脅かす事態が加わるのです。しつけにおいて良い行動、悪い行動などと条件がつき始めるために、無条件の愛情の方が隅に押しやられてしまいがちです。カウンセリング場面では、子供時代に親の期待が大きすぎたり、虐待までいかない場合でも、無条件に大切にされた感覚を持てないような家庭に育ったという辛い話がよく語られます。自信が持てなくなった事情として、当人が育ってきた家庭や環境において乳幼児以後にも、ありのままの自分を認めてもらった感じがしなかった体験が見えてきます。

 親としては、ちゃんと無条件の愛情を子供に持っているにしても、例えば両親ともに忙しくて子供と接する機会が少なかったりすれば子供は見捨てられているように感じたりもします。そしてその理由として「私に価値がないのだろう。愛されるためにもっと良い子にならなければ」と健気にも思い込むのです。

 余裕がない親に育てられた場合は、ちょっとのことでも怒られたりするために自己否定感が強くなります。子供によりよく育ってもらいたい、社会で活躍する人になってもらいたいと期待して頑張る方ばかりを強調してしつけていると、それを受け止める子供は親の無条件の愛情の方が見えなくなります。そして「ありのままの自分ではダメだから叱られるのだ」と思ってしまいます。

 また、しつけ体験と同時並行して子供の内面には、覚え始めた言葉による自己評価が始まります。そこで、それらの体験は(良いも悪いもですが)観念の地図となって、ずっと残ってしまいます。それは思いの癖として、何かの折には登場して当人をそこに決めつけてしまうのです。

 ありのままの自分が認められなくて基本的信頼感が充分得られなかった人は、どこかもろい部分があります。また、常にこうあるべき理想像に向かって努力をしていなければならず気を抜けません。深い休息も少なくなるので常に疲れが残っています。例えば一旗揚げようとして都会に出た若者が挫折して実家に帰ってきた時に、優しい家族のその無条件の抱え環境があれば傷ついた心を癒すことができます。そしてまた新たな人生を歩むことが可能となります。このような心の作業が簡単に進みにくくなるのです。

ありのままの自分を愛することが自信に

 かといって基本的信頼感が得られていなければもうダメというものではありません。乳幼児のころに得られなかった基本的信頼感をその後に獲得することは充分可能です。この側面を育てていく過程が本格的な心理療法やカウンセリングの仕事といえるでしょう。

 逆にいえば、子供時代に基本的信頼感を充分得られなかった人は無意識裏にそれを求めて生きていきます。例えば、プチ家出をして親が必死になって探しに来る姿を見ることでようやく自分が心底大切にされているのだと確認できて安定する子供がいます。時には離婚して実家に戻ってきてから、この無条件の自信(愛情)を家族とのやり取りで獲得しようと再挑戦している動きがうかがえる成人女性もいます。

 自殺未遂をすることの裏に、自分では全く無価値に思える自分の存在が家族にどう受け止められるか、命を賭して確かめようとしている動きが見える場合もあります。古い話ですが、自分のベッドの下に剃刀の刃を隠していたのを母親が見つけて、慌ててご両親で心理相談室に連れてきた不登校の中学生を思い出します。彼女は心理療法を受ける以前に、それを重大事と受け止めたご両親の態度でもう半分以上立ち直っていたといえるでしょう。

 重度のうつ病の中年女性は来談してカウンセリングを積み重ねていく中で少しづつ回復に向かっていました。そのころ、同年代の女性で不登校の子供のことで悩んだことのある友人と電話で話している際に「居るだけでいいのよ」と言われました。それが心に響いた彼女はそのことを夫に言いました。すると夫も「そうだよ」とそれに賛同してくれたのです。それをきっかけにして彼女の回復に一段と弾みがついたのでした。「居るだけでいい」これこそが無条件の愛情(自信)といえるでしょう。

 心理的な症状や悩みがない人の中にも無条件の自信については充分持ちえていない人が多くいます。人間社会にはさまざまな条件があります。学校では成績の優秀な子供が高く評価されます。プロスポーツ界でトップクラスの選手には莫大な契約金が支払われます。仕事で結果を出すことができなければ会社を辞めねばなりません。結果がすべて。条件付き(の自信)がまかり通っているのが人間社会なのです。

 そこで一生懸命に頑張って仕事をした結果、例えば定年退職をした男性で、過去の会社での肩書や活躍などの自慢話にふける人がいます。悲しいことに年老いてしまった今の自分に価値を見出せないのです。だからついそんな過去の話を持ち出して、自分を支えなおそうとしてしまうのでしょう。

人間の理性(科学的思考力)と自然(生命体)の知恵との比較

 自信があるなしについてさらに深く探っていくと、学校で学ぶ「よく考えて答えを出す」というやり方や、理性で自分をコントロールするのがベストであるとの価値観の弊害が見えてきます。例えば、素直で感受性が強くて頭の回転が良い子供ほど、人の言うことを真に受けるので、周りに振り回されやすくなります。またいろいろ考えられる分、葛藤が増えたり、こだわりができたりします。悪い方にも強く想像力が働くので強い不安に襲われます。そして次第にそんな自分の心身に否定的となります。知らないうちに性悪説の上に立ってしまったのです。そして常に自分を監視してコントロールしなければならなくなるのです。

 「ありのままの私は怠け者だから」とか「手放しにしたらどうなるか心配で」「ありのままの自分は全く無価値です」などと言います。これらは事実ではなくて思い込みなのです。でも常に気が抜けないのでこのままでは心底楽にはなれません。

 …他に、理性偏重が極端化してしまって、しんどい生き方になっている例をちょっと紹介しておきます。元々まじめで理性の働きが強い人で、何事もきちんとやらねば気が済まない完全主義となり、それが高じて強迫性障害的にまでなる場合があります。ちょっとしたミスもダメだと、常に意識を強く持って几帳面に成し遂げようと頑張ります。疲れは倍増します。伸び伸びできず、感情発散もできなくなってしまいます。また、理性で物事を「良い悪い」「白か黒か、0か100か」のどちらかに割り切って区別、判断する癖がついている人がいます。そのぶん極端から極端に、心や行動が揺れ動いてしまうので、とても不安定な生き方となります。当人はとても一生懸命なのですが事実や他人とのズレが大きくなるので、なかなか他とわかり合えないで苦労します…

 科学万能時代の私たちは、その近代科学最大の発明といえる自動車の運転と同じに、理性でもって自分の心身をコントロールしていくのがベストだと思っています。けれども人間の身体はスイッチを入れなければ稼働がはじまらない自動車と同じではありません。身体は生まれてからずっと環境と連携して死ぬ時がくるまで終始自動運転し続けているのです。道を歩く際に考え事をしながらでも、身体はちゃんと目的地に向かってくれます。

 ほとんどのことを身体の機能がかってに自動運転してくれているからこそ、人はいろいろ自分の考えを膨らます暇があるのです。身体は自動車のように他と切れた個体ではありません。けれども近代科学の下に生きてきた私たちは、身体に任せっきりにするのは手放しで暴走する自動車に乗っているのと同じに、あまりに無謀なことだと思えるのです。これがありのままの自分に自信が持てない理由の根底にあるものです。

 自分で獲得しなくても生まれた時にはすでに備わっている心身の機能や知恵は計り知れません。例えば失敗したり挫折や病気になったことが、実は心身の知恵によるもので、より大きな災難を守るためのものだったという場合さえあります。

 かなり昔に来談した戦争体験のある老年の方の話を思い出します。彼は東南アジアに遠征した際に上官から明日偵察に行って来いと命令を受けたのでした。ところが次の朝目覚めてみると足がパンパンに腫れあがって歩けないほどの急病になっていたのです。そこで急きょ代わりの人が偵察に行かされたのでした。でもその人は帰ってこなかったのです。代わりに偵察に行った人が水死体となっていることが、彼には事前に分かったそうです。彼の身体が急病になることで彼の命を守ったのだとしか思えません。

 このような典型例でなくても私たちが気づけないところで心身がとり行っている人知を超えた働きは無数にあるでしょう。私たちのちっぽけな頭で良い悪いを判断したり、全てを取り仕切ろうとするのは思い上がりもいいとこかもしれませんね。

 子供時代に様々な事情から充分な自信を持ちえなかった事情はあるにしても、大人になった今、自分だけでそれを回復する道もちゃんとあります。まずは今まで見てきたように、より正しく自分を知ることです。自分が自分の心身をどう思っているかを見直して、そして自分の勘違いや思い込みを剥がしていきましょう。すると、ありのままの自分が素敵にいきいきしてきます。あるがままの事実と、自分が想像で作ったり思い込んだりしたことの区別がつくようになるだけでも、かなり楽になります。

 実際のテクニックとして、ちょっと立ち止まって自己否定することは横に置いて、自分の内面をまるで親友を見守るように、優しく見守もってみましょう。内なる自分にあれこれ話しかけずに寄り添うつもりになってみましょう。すると、それまで否定してダメに見えていた自分がとても愛おしく大切に思えてきますよ。

★参考ページ:『当相談室の心理面接について』『心と身体の能力を最大限発揮するための本当のコツ



人間関係の体験学習 エンカウンターグループ

エンカウンターグループとは

 私はエンカウンターグループが大好きです。過去にカウンセリングの学びの一助としてよく三泊四日や四泊五日で旅館などに泊まり込んで行う人間関係の体験学習をやるエンカウンターグループのワークショップに出かけたものです。2009年末には九州の九重エンカウンターグループでした。大分の山中、外は極寒の雪に囲まれた山荘でのワークショップでしたが暖かい雰囲気のメンバーグループで実に伸び伸び楽しかったです。

 近年はそうでもないですが、私がカウンセリングを学びはじめた30年以上前にエンカウンターグループはとても盛んに行われていた人間関係の体験学習法でした。 神奈川カウンセリング研究会のカウンセリング研修科目の中にエンカウンターグループがあり、年に数回、研究会の主催で泊まり込みのワークショップが開催されていたのです。

 エンカウンターグループはカウンセリングの創始者カール・ロジャーズとその仲間がシカゴ大学の学生達のカウンセラー養成に集中的なグループ勉強会が効果的なの見いだしたのがきっかけではじめたようです。ベーシック・エンカウンターグループ(Basic Encounter Group 非構成的出会いグループ)と呼ばれるこのグループは通常のグループアプローチとはかなり違った特徴を持っています。その最も特異な点は、主催者側に会をリードしていこうとする人が居ないところです。そんなことを何も知らないで参加すると、その常識外れにビックリします。

 私がはじめて参加した湯河原の温泉旅館でのワークショップでは50人くらいの大人数が集まっていました。まず大広間に全員が集まってグルーッと大きな輪になって座ってセッションが開始されます。その直後に世話人という人達が何人か自己紹介をするのですが後は何もしないのですです。それでどうなるかというと、50人の大沈黙が始まるわけです。

 しばらくするとせっかちな人か積極的な人かが「自己紹介でもしましょう」などと発言しますが、尻切れトンボに終わります。そしてまた沈黙。「私は引きこもりで居ました」とか自分の悩みなどを語ろうとする人が出てきますが「その話は今は受け止めかねるし、時期尚早の感じなのでまたに、、」と止めようとする意見が出てきます。そしてまた沈黙。沈黙が多いのです。

 私自身はエンカウンターグループとはどんなものかを本で下調べしていたのですが、それでもこの先どうなるのか、と心配になりましたね。何も予備知識がない場合はもう帰ろうかと思うくらいお先真っ暗な感じになるでしょう。私は人間関係の勉強に来たのに教えてもらえないなんて酷い!お金返せ!と思う人も居るかもしれませんね。

 でも、これが良いのです。世話人の基本ポリシーとして、グループにはグループとメンバーの実現傾向(成長・適応・健康へと向かう)の促進力があると信じているのです。それでメンバーを信じて任せているのでリードしないというわけです。私は上から教えられるような感じで学ぶのが嫌いというか、自分のことは自分で気づきたいし発見したいとの思いがあるからでしょうか。そんな私の性分に合っているのでしょうね。このような方法は自由でホントに良いなぁと思います。

 通常では、何か学ぼうとする集まり(集団)の場合には自主学習会でないかぎり、必ず講師が居たりトレーナーがいます。またどのように学んでいくかの予定やスケジュールが組まれているのが普通です。それらがないのですから当然面食らってしまうわけです。ベーシックエンカウンターグループではトレーナーや講師は居なくて代わりにファシリテーター(世話人)と呼ばれる人が居るわけですが、その役割はメンバー同士の人間関係を促進することが第一で後はグループメンバーの一員として行動しようとするのです。世話人は基本的にはリーダーシップを取ってグループを導いていこうとしないわけです。ですから時にはグループの誰かがリーダーシップをとる可能性もあり得るというわけです。

 ベーシックエンカウンターグループには大まかなセッション時間とかの枠組みなどは決まっていますがどのようなことをやるのかなどの内容は決まっていません。グループのメンバーで決めても良いわけです。通常はグループメンバー10人前後にファシリテーター2人くらいです。先に話した50人から始まった湯河原でのワークショップでも、この大グループのままで居たいという人もいましたが、次第に幾つかの小グループに分かれて、私も総勢10人くらいのグループに入ったのでした。

 大グループから別れた幾つかの小グループは最終日に皆で集まるまでは旅館の別々の小部屋でそれぞれに自由にセッションを重ねるのです。私は湯河原、山梨、長野、大分などで開催されたエンカウンターグループに幾度か参加しました。そこでおもしろくて楽しいだけでなく為にもなるホントによい経験をさせてもらったのです。

菩薩と鬼女がいた初めてのエンカウンターグループ

 私の初めてのエンカウンターグループ参加はとても刺激的なものでした。三泊四日の合宿が終わって下界に出たら、自分が何だか良い人間にでもなったような感じがしてかなりハイになっていました。それから一週間くらいは毎日、下手なギター片手にフォークソングを楽しく歌って過ごしたりしていたくらいの盛り上がりでした。開放されていたといえば聞こえは良いですが、足がふわついて地についてはいませんでした。今思うと恥ずかしいですが。

 しかしそんな一時的な感情の盛り上がりとは別に、私はその初回のエンカウンターグループのワークショップでかなりの体験学習をしていたのです。いや、その当時には全くそれと気づきませんでしたけど。それは『人がいかにそれぞれに色眼鏡で外界を(投影して)見ているか』ということです。

 湯河原温泉でのエンカウンターグループでは大部屋で50人くらいで話し合ううちに次第にそれぞれが希望する小グループに別れていったのです。私も10人くらいのメンバーグループに参加することにしてそのメンバーと小部屋に移りました。

 全く初めて出会う人達と畳の部屋で輪になって座って、ワクワクドキドキしながら本格的なセッションが始まったのです。そのグループには二人世話人がいて、一人はその当時山梨大学で教鞭をとっていた古屋先生という中年の男性でした。そしてもう一人は神奈川カウンセリング研究会のベテランの世話人で中年の女性でした。この女性の世話人の方がなんともステキで、私にはこれぞカウンセラーではないか!と映ったのです。どうしてかというと、見た目や雰囲気が「菩薩」のような感じだったのですから、そう思わずにはいられませんでした。

 私は当時カウンセラーに強くあこがれてワークショップに参加したのですから、ベテランのファシリテーター(世話人)は私の理想像となります。そして、まさにカウンセラーとしては最高レベルの人(菩薩)を見つけたのでした。初日のセッションを終えてから私は「こんなステキな世話人の居るグループに参加できて最高だ。よかったなぁ。明日からのセッションが楽しみだ」と思っていたのでした。

 初日のセッションが終わった後に待っているのは、慣れた先輩方が持ち込んだり買い出してきたものでの飲み会です。先輩方は長年エンカウンターグループを行ってきていて知り合いも多いし、日常を離れて開放されて楽しむために、それぞれに寄り集まって、もう初日の夜から飲み会が始まるのです。もちろん自由ですから参加しない人もいたりもします。これはどこのワークショップでもそんな感じですね。

 私も先輩方に誘われてその飲み会に行くと「こっち、こっち」などと皆に声をかけられて、それだけで何だか一員として認められたような嬉しい気持ちになりました。そんな時です。そこにベテランの、時には世話人もやったりするような中年女性が今にも踊り出しそうなくらいの勢いで伸び伸び元気に部屋に入ってきたのでした。そして近づいてきて私を見るなり「野田さんはぁ、、」と何か突っ込み入れそうな声を発したのです。

 幸いばかり長くは続かないもんですね。私は恐怖に固まりました。初めてのワークショップ参加は私にとって新入社員と同じ心持ちです。おまけに「カウンセリングの諸先輩達も大勢いる中に私のようなものが参加していいのだろうか、、」などと半分引け目も感じてましたし。でも図々しくも「ぜひみんなに受け入れてもらいたい!認められたら自信になるし、、」などとの下心もあって参加しているのです。その心はもうちょっとでも否定的なものを感じればすぐ傷つきかねない状態なわけです。

 ありがたいことに、その声をかけられた時は、他の先輩方が私の怯えや傷つきやすさを察知してその対決を流してくれたのです。「マァマァいいじゃない、、」などと言ってくれて。酒のおつまみをみんなで配る方に集中してその元気な中年女性の「野田さんはぁ」の続きは立ち消えとなったのでした。

 でもその後のワークショップの間中、私はそのおばさんに「野田さんはぁ」の次にどんな「酷い」こと言われるのだろうとビクビクものだったのです。全員が一堂に集まる食事の時間などは、できるだけそのおばさんの眼を逃れるように席を取って食事したものでした。そうなんです、私の中でその元気な明るいおばさんは鬼女になってしまったのです。でも私は小グループに行けば菩薩さまが居てくれるのですから大丈夫なんです。セッションでは私がたわいのない話しをしても、菩薩カウンセラーはウンウンと大きく頷いて私を支えてくれるのです。本当にどこかで見かけた菩薩像のような顔つきでした。

 私は皆が集まるところでは鬼が出現しないかビクビクしながらも、肝心の小グループでのセッションでは菩薩様と一緒に心地よく過ごして、そして晴れて三泊四日のエンカウンターグループを終えたのでした。

 下界の湯河原駅のプラットホームで周りを見回すと、気のせいか何だかワークショップ前よりも周りが違って見えるんです。本物とは言えませんがゆとりは出てたのですね。まるで自分がもうかなりのカウンセラーにでもなったくらいのハイテンションで「さあ良い人間になって帰るぞぉ」と電車に乗り込んだものでした。ところが私のエンカウンターはまだ終わってはいなかったのです。驚いたのは、ホームでは見かけなかったのに、同じ車両にその鬼女おばさんが偶然居合わせたのです。もう逃げられません。えぇ、ホントに万事窮しました。

 で、どうしたかというと私は意を決して正直に言ったのです。「実はあなたが怖かったのです・・・」と。たいして知らない人からそんなこと言われたのに、さすがカウンセリングはベテランの鬼女先輩でした「そう」とだけ言って聞いてくれました。私はもう心底ホッとしました。そのうちに目の前の席が一つ空いたので鬼女先輩は座りました。私はその座ってうつむき気味の鬼女を見たときにもう鬼には見えず何だか普通のおばさんが少し淋しげにしているような感じがしたのでした。私に怖がられていたことが悲しかったのかもしれませんね。その後の言葉が足りなくて悪いことしました。

 でもこの話には更に続きのオチがあったのです。その後のことです。神奈川カウンセリング研究会の他の先輩方二人と私とでお茶をしたときに「そういえば彼女(私にとっては菩薩カウンセラーだった中年女性が)この前のグループでボロボロになっていたよね」と先輩二人が話し合ったのです。私は内心「え?あの人(菩薩)がそんなになるの?」と全く信じられない思いで聞いたのでした。

 どうしたことか、鬼女が普通のおばさんになったとおもったら、おまけに菩薩までも只の人になってしまいました。ウーム。ウーム。それにしても、三泊四日逃げ回っていた小心者の私に、鬼との避けようのないエンカウンターを、それも最後の最後に持ってくるようにアレンジしたのは神か仏でしょうか。あんなことあるんですねぇ。

 この経験はその後しばらくしてから、やっとどのような体験だったのかわかってきたのでした。私は勝手に自分の内面の救済者イメージを全てその菩薩に似た女性カウンセラーに投影していたし、またその「野田さんはぁ」と言った先輩おばさんにはその反対の(私を傷つける)否定的イメージをまとめて映して見ていたのでした。でもね、人ごとですから笑っていられるでしょうけど、大なり小なり皆さんもそんな色眼鏡をかけて周りの人を見ているものなんですよ。

★参考ページ&サイト:『人間関係の理解と改善に役立つ「投影」という自我の防衛機制』『人間関係に働く自我の防衛機制の具体例』『人間関係研究会 エンカウンターグループとは



夢は心の掃除から整理、整頓までしている

 今回は夢が教えてくれるというより、夢が私たちを、そくしてくるとでもいうような場合があることをテーマにしました。

 近年になってますます睡眠の重要性がわかってきていますが、脳を含めた心身は日々の睡眠中に自然治癒力の働きによって、心身の調整作業を活発におこなっています。私たちの自我意識にとって、夢はそんな心身(主に脳)の調整作業の働きを、私たちにただモニター的に見せてくれるだけではないようです。どこかで私達がそれを受けとめやすくするというか、川におけるダムのような機能も持っているようです。

 そしてそんな日々の活動以外に、ある時、時が熟するのでしょうか。夢は心身の奥に封じ込められていた「トラウマなどのちょっと大きなものを、そろそろ整理しましょうよ」とか「ちょっとした大掛かりな掃除をするから、ちゃんと準備して受けとめてね」などと言ってくるのです。でもそれは思わせぶりな物語形式の夢表現をしてくるので、なんのことだかすぐにはよくわからないものですが。

 ところで、精神科医の中井久夫氏は、統合失調症の急性精神病状態のはじまりと終わりには悪夢をみることが非常に多いと述べています。といって悪夢を見たからそく統合失調症かと心配する必要はありません。統合失調症の臨界期のはじめに見る悪夢は通常の悪夢レベルのものではありません。 中井先生によると、ついに夢そのものが破裂し、自律神経系を巻き込んで全身が動揺し、最後に睡眠そのものが不可能になってしまうのが悪夢である。と述べているように夢自体が壊れてしまって機能しなくなった状態のもののようですから。

 それにしてもやはり、子供の頃のことにせよトラウマなどは大人になった私たちでも、そうそう簡単には受けとめかねる場合も多いわけです。いきなりさっさと大掃除などとはできないのです。やはりそれなりに、大掃除をするための準備と同じく、心の深層にしまっておいたものを受け止めるだけの準備や器が必要のようです。

 ですから、もし夢に興味を持って夢日記をつけたり、夢の自己分析をする場合には、根を詰めすぎないことをお勧めします。私は場面やストーリーがかなりハッキリしているような印象的な夢だけを書きとめています。自然治癒力(夢)が無意識の内容を一つにまとめて、整理できえたものが印象的な夢となるのだと思います。そんな夢と反対のよくわからない、まとまりのない夢は、夢が心のなかを整理しようとしている途中経過の夢といえそうです。信頼できる夢分析家と共に夢分析に取り組んでいるのでない限り、そんな夢は無理して掘りおこさず、熟成するまで時がかかるのだなと思ってそっとしておきましょう。

 ・・・ここでは、秘密保持のためにごく簡単な事例を趣旨は曲げない程度に変えて紹介します・・・もうかなり古い話ですが、夢と自律訓練法から過去のトラウマを消化できた男性がいました。カウンセリングで、何か狭い所に押し込められるような夢を時々みるという話をした後日、自宅で自律訓練法を行っている時に、その夢の嫌な感じと同じような感覚になったようです。それで「この感じは夢と同じだな」と注意を向けていたら突然、学生時代の思い出が蘇って来たとのことでした。その自律訓練中の不思議な体験の話から続いて、その学生時代の辛かった体験も話してくれ「その時は感じませんでしたが、自分で思っていた以上に辛かった所があったようです」と語り終えたのです。そして「何だか肩が軽くなってスッキリしました」と言って肩をぐりぐり動かし気持ちよさげでした。トラウマが解消されると身体的にもスッキリするところがあるようです。

 座禅に取り組み始めたら、受けとめられず恐怖症的になってる、避け続けていた事柄を最近夢によくみるようになったと言う人がいました。この人は座禅によって心の浄化作業がかなり進んできたのでしょう。自律訓練法に限らずヨーガや瞑想などからくる深いリラクゼーションがそれを呼び覚ます場合もあるわけです。心身が開放的になり、それによって自己治癒力のはたらきが活発化するところに、その動きは登場しやすくなるといえるでしょう。

 先の男性の場合は自律訓練法による深いリラクゼーションと、また私と話し合ったことで、そのトラウマを受けとめる準備が全て整ったのかもしれません。時が熟するなどといいましたが、やはりそのトラウマなどが受けとめかねる程度が強いにしたがって、開放作用がスムースに行えるように体制もしっかり整う必要があるわけです。心理療法の場では、そのためのカウンセリングや催眠療法やフォーカシングやその他のトラウマやストレスの流れをスムースにそくするための、さまざまな心理技法があります。でも何よりも信頼できるカウンセラーの存在があることで、そこは守られ受けとめられるためのより大きな器となるのです。それで一人ではなかなか解消できないレベルのものまで対処できるわけです。

 ところで夢にではなくても身体的な違和感があってその奥にトラウマがひそんでいる場合もあります。急激な人格変化が起こって開放され、のびのびやっていけるようになったは良かったけれど、胸の辺りのなんだか苦しい感じがとれない人がいました。カウンセリングで「何か小さいころに辛いことでもありましたかね」「そういえば長い間・・・してましたが、それでしょうか」などと話し合ったのです。そんな面接の直後に、そのカウンセリングで話題に出た地元の思い出の場所を通っていたら突然いっぱい泣けていろいろ思い出し、それで胸の苦しい違和感も解消したのでした。時は熟してたわけですが、私とのカウンセリングがその流れをそくすようなきっかけになったようですね。

 夢分析に限らずいえることですが、こちら側からそれを分析(意識側から知的に分析)していくのでなくて、ゲシュタルトセラピーのドリームワークみたくそのもの自体になって(語って)みたり、またはフォーカシング的に寄り添いながらも、そのもの自体が語りだすのではないかというような姿勢でいたりしていると、向こう側(夢の方)が勝手に展開しやすくなるというのがこの場合のコツといえます。

 もっと詳しい具体例を見てみます。秘密保持のこともあるので今回も手前味噌でなんですが私の夢からです。

 私がエンカウンターグループやその他のさまざまな心理技法をあさるように体験学習していた遙か三十五年近く前に、通いで四日間の「ゲシュタルトセラピーセミナー」が開催されていました。ゲシュタルトセラピー体験学習にはドリームワークという夢のセッションがあるというので、夢を記憶しておいたのです。といっても、放っておいても忘れることはないくらいにとても印象的な夢でした。

 {夢 : 母、丸いフォルクスワーゲン車、別れ}

母親が前の席で私が後ろの席に乗って、
旧式の丸っこいフォルスワーゲンのような車で走っている。
私は、走っている車から降りようとする。
ドアの鍵の部分は通常のより大きくガッチリできていた。
私はそのドアを開けて半分転がり落ちるように道に投げ出る。
車は母親を乗せていき「ああ、行ってしまった」
という感じ。

 こんな夢でしたがこの夢が言いたかったこと。ゲシュタルトセラピーのドリームワークをやってみて発見したそれには我ながらビックリでしたよ。ドリームワークでは見た夢の一部になったつもりで思いつくまま喋ってみる。という技法があります。でもセミナーのみんなの前でこの夢のワークをした時にはうまくいきませんでした。かなり心残りだったのでセミナーが終わって自分のアパートに帰ってきて、もう一度同じワークを自分一人でやってみたのです。

 部屋にあったクッションを何気なしに抱えながら次第に夢の中に入り込んで少したつと驚いたことに、まるで赤ちゃんが唇をとがらせて「チューチュウ」と母親の乳房を吸っているようにしたくなってしまったのです。一人とはいえかなりの恥ずかしさがありましたが、思い切ってずっと「チューチュウ」と唇をとがらせてやっていると、突然両肩から両腕にかけてかなりの衝撃で電気が走るような感じとともに、幼い頃「もっと母親の乳房を自分のものとしたかった!」「いっぱい、気が済むまでおっぱいを吸いたかった」という思いとそれに絡んだ強い感情が蘇ってきたのです。

 いい大人が、クッションを強く抱きしめ「チューチュウ、チューチュウ」やりながら「誰にも渡さない!二つとも僕のオッパイだ!、、」とか強い口調で言ったりしました。それもかなりの時間。一人だからできたのですねぇ。

 そういえば。私には五歳下の弟がいます。その弟が生まれた頃かもっと上の年齢だったかもしれませんが「もう赤ちゃんじゃあないのだから母親の乳房をあきらめねばならないんだ、男の子だし、我慢しなければ」と思ってその、甘えたくてたまらない欲求を抑え込んだことを思い出しました。衝撃的だった肩から腕にかけての電気の走るような感じは、欲求を我慢することによって固まり滞っていた身体が急に開放されたからでしょう。自分で思っている以上に身体で押さえ込んでいるもののようですね。4~6才の頃のものが30才になっても強く残っていたわけでホントに不思議でした。

 その後数年たってから、同門の先輩にこのドリームワークの体験をおもしろおかしく話したのでしたが、その先輩から「そのフォルスワーゲン(旧型)の車って乳房に似てるじゃん」と鋭く突っ込まれて大笑いしながらも、確かにと納得したのでした。そういえば河合隼雄先生は箱庭療法の勉強会で、箱庭の中に作られた丸い砂の山を、あれは乳房に見えるねなどと幾度かいってましたが。

 それにしても夢って凄いですね。うーむ。あなたも夢の中に「丸くもっこりしたもの」が登場したときはよくよく気をつましょうね。

★参照ページ:『夢と脳科学と物語の関係』『夢は教えてくれる』『夢は全てを知っている



夢は教えてくれる

 何かに真摯に取り組んでいるとそれに関すると思われる夢をよく観るようになります。気がついていない人も多いでしょうけど。 それもありがたいことに、夢はヒントをくれたり、認めてくれたりほめてくれたり、違った視点から知らせてくれたり、導いてくれたり、癒やしてくれたさえしてくれるのです。ほんとに助かります。夢の教えは無料だし。あなたも、困ったときには夢に「なんか教えて下さい」と頼んでから眠ってみてはいかがでしょう。

 今回も手前味噌でなんですが私の夢から、夢の中に私を導いてくれる女性像が現れた夢を紹介してみます。

 2016年正月の朝、ふと今朝方見た夢を思いだした。初夢。

 夢の中に私を助けてくれるというか導いてくれるといってよいような女性が出てきた。それに感動してちょっと涙ぐんでしまった。

 私は長年夢日記をつけてきたせいで夢を見慣れている。そこでだいたいが、目覚めたらすぐにああこんな夢を見たな。と思い出すようになっている。ところが正月朝はそんな感じで思い出したのではなかった。朝目覚めた時は夢を見た覚えがなかったのだ。正月朝なのにちょっと暗いめの気分でウジウジ考えていたら、ふっとこの夢を思い出したのだ。嬉しかった。

 {夢:山道に迷う。女性が道を教えてくれる}

道に迷っていた。私の夢では定番の山旅をしている。川に出ようと思っているのだが。夜が迫っているのによくわからない難しい山道に来てしまった。

 確か凄い遠回りのようだがこちらに行けば行き着くはずと思って、山の奥深い道ともいえないような道を行こうとしている。通り道に山村の民家もあるようだ。その村の人か農家の主婦か、年齢は分からないが中肉中背の女性が「こちらから行くと良い」と道を教えてくれる。

 その後に、いつの間にか山をかなりくだっていて、なだらかになった道を歩く私に、そのうねった道のちょっと高い上側の位置からその女性が 「ユング心理学云々」と私に語りかけてくる。私がユング心理学の知識があることを知っているようだ。私は「ユングは一番初めに子供向けの絵本のような本を作ったらしいよ」と聞いたこともないようなことを彼女に言う。

 今回の夢は、私の日常でのここ最近の心のあり方を、こういうことになってるよと教えてくれた感じです。自分が昔よりずっと素直になっているよ、それがあなたの生きる道行だよ、子供心を持って活き活きできるよ。と教えてくれたのではと夢分析しました。

 私は10歳代後半から20歳代の頃に、親が死んでも泣けないのではと気になるほどに理性的だったり合理的で、感情面が上手く働いていませんでした。強迫性障害といえるくらいだったでしょう。そんな私でしたが、私自身の心理療法的な体験学習や、泣き虫ハーちゃんといわれるくらい良く泣いた河合隼雄先生の人柄や、彼の拡めたユング心理学などの導きによって私もこの歳でようやくすなおな感情を取り戻せたようです。まぁ、今年で65歳なので男でも涙もろくなるのが普通だよということかもしれませんが。

 こんなにはっきりしたユング心理学的にいうところのアニマの導きはこれまでの夢体験ではじめて。夢中の女性がちょっと見上げるような高い位置にいたというのは、女神的な要素も含んだ女性像を現しているのかも。そこで連想するのが、この年末年始にかけて中島みゆきの歌を聞いては泣き続けていたことです。歌の題名は『ヘッドライト、テールライト』。

 この歌の「ヘッドライト、テールライト旅はまだ終わらない。ヘッドライト、テールライト旅はまだ終わらない・・・」というフレーズを聞いていると、旅はまだ終らないとあるのに、なぜか、この世に挑戦して先に逝った人のことがそれぞれに思い出されるのです。河合隼雄先生をはじめ、親父、それほど親しくはなかったが田舎の自死したり病気や酒にやられて死んでいった同級生。 それに今まさに大変な苦労を背負い込みながらも精一杯生きている私の知り合いの人たちも。それらに65歳になって未だ決着しないでジタバタしている私の生き様が重なって泣けてきてしまうのでした。

 この歌はTV「プロジェクトX」の挿入歌なので、日本を世界トップクラスの技術経済大国にした名もなきエンジニアとかビジネスマンのことを想定して作られたのかもしれません。でも歌姫、中島みゆきはこの世を旅する全ての人を想って歌っているのだ。と私は確信します。おまけに近代文明の申し子である自動車の灯り「ヘッドライト・テールライト」と歌われている辺りが、昔のようにのどかとはいかない、孤独な近代人の、旅や生き様をピッタリあらわしているように思えて私の涙腺はますます緩むのです。

 とにかく夢の中に導いてくれる女性像がそれもちょっと人間以上の存在のような女性が登場してくれたことが嬉しいし、心強い。

★参照ページ:『夢と脳科学と物語の関係』『夢は心の掃除から整理、整頓までしている』『夢は全てを知っている



夢は全てを知っている

夢は知っている

 横浜の中区で心理相談室を営んで30年以上になりますが、それに先立つ30才の頃に私は「魂のことをずっとやっていこう」と決心したことがあります。「私の人生は心の修行者でいこう。やってやるぞ!」と意気軒昂でした。岡本太郎の「危険な道をとるか、安全な道をとるか。迷ったら、危険な道をとる」という有名な言葉がありますが、それにも後押しされてそう決めたのでした。無謀にも。自分の器もよく知らないままに。

 ちょうどその頃、河合隼雄先生の書いた深層心理学の本を読んでいました。その本には「無意識はすごい世界である。自己実現の道はとても素晴らしいものではあるが、生易しいものではない大変な道でもある」などと書いてありました。でもやる気満々の私はそれを読んでも「ホウそんなものかね、私なら大丈夫」などと高をくくっていたのです。

 ところがその夜に見た夢は、凄いしんどい夢でした。

台風で増水しすごい濁流となっている広い川。
私はその川の中を向こう岸に渡ろうと必死に泳いでいる。
激しい流れの勢いに私はどんどん川下に押し流される。

 というものだったのです!ビックリして、その夢を見た直後に目覚めました。

 夢は、あまりにも甘く考えている私に業を煮やして「お前はわかってないなぁ。こうなるんだぞ」とばかりに伝えてきたのでした。 その当時はそんな夢を見ても私の「心のことをやっていきたい」という欲求は止まりませんでした。でもその夢から35年近くたってみても、確かにその通りだなぁ、とつくづく思います。 この歳になっても未だに、川下に押し流されながら濁流を泳いで渡っている感があるのです。はたして死ぬまでに向こう岸に泳ぎ着けるかしら。向こう岸に泳ぎ着いたときは死んだ時なのかも。それとも向こう岸にはつかなくてもしぶとく生き伸びて大海に着くという手もありますが。

自律訓練法とヨーガと夢の活性化

 私が夢日記をつけはじめたきっかけは40年ほど前に、自律訓練法の記録をつけ始めたメモ帳に夢を書きとめたのがはじまりです。私はその当時、自分で自分に暗示をかけるという自律訓練法を会得しようとしていました。でもうまくいきませんでした。頭でっかちで思考に頼りすぎていて、 自分の心身が感じ取っていることや発していることに目を向けることができなくなっていたからです。でもなんとか会得したいと、挫折してはまた気を取り直して試してみるというのを繰り返していました。

 そんな工夫の中で、ヨーガのアーサナをやってから自律訓練法をやるという方法を試みてみたのです。すると、夜寝る前にヨーガと自律訓練法をやってから眠りに入って、おおよそ三十分から一時間くらいたたった頃、今までにないビックリするような強烈な夢を見て目覚めたのです。「アレレ~これはなんだ」と、手元にあった自律訓練法の記録帳にその夢をメモったのでした。

 そのはじめて夢の記録には、自律訓練法をやる前にフロイトの本で夢のところを読んだりして、その後に自律訓練法をやって眠ったと記してあります。なんという無意識のノリの良さでしょう。まるで判で押したように、夢の本を読んだらそれをきっかけに今までにないほどに強烈な夢を見たわけです。それは思わず書きとめずにはいられないほどに私の人生ではかつてない強烈な夢だったのです。

 フロイトの精神分析にはそれほど興味が持てなかったのでそれっきりだったと思いますがその後、自律訓練法をやりながら眠ると強烈な夢を見てはビックリして目覚めてしまうことが時々起こるようになりました。そのやり方が私の心身にはマッチしていたようで、私の自己治癒力は夢にも現れるくらいに強く活性化されたのです。何時も、というわけではなかったですが、ヨーガ+自律訓練法をやりながら眠り込んでおおよそ三十分くらいたつと強烈な夢を見て目覚める。という定番パターンです。

 その頃の夢で今でも良く覚えているひとつはこんなのです。

自分が今寝ているベッドで、身体がでんぐり返りはじめる。
それからどんどんどこまでも沈んでいく。死ぬ感じ。
からだがジーンとなって、両手の指先から放電する。
その指先には赤黒く焦げた放電穴ができている。

 面白いことに、どこまでも沈んで行くことが死ぬことなのでは、と不安に思いながらも、どこかで気持ち良さを感じてもいました。

 自律訓練法では、訓練を行っていると脳の放電を必要とする活動部位が活性化されその結果、各種の反応が出現するとみなしています。そのことが書かれていた自律訓練法の本をその当時私が読んだことがあるかどうかは定かではありません。でも私の見た夢はまるでこの「脳の放電」そのままの夢でした。おもしろいことに夢分析の方では、フロイト派の夢分析を受ければフロイト心理学的な夢を見るし、ユング派の分析家にかかればユング心理学的な夢を見ると言われています。私は自律訓練法にかかったので自律訓練法(自律性解放)的な夢を見たといえるのでしょうねぇ。夢って不思議です。

 その後は印象的な夢を見て目覚めた時にすぐに書きとめたり、反復しておいて後で書きとめたりしてきたのです。おかげで私の人生「こんなはずじゃなかった」というのはなくなりました。大事なことは夢なりに、こうだよと教えてくれているので「やっぱりそうだったか」などと納まりがつくのです。そうなんです、私が間抜けでも夢先生が賢いので助けられて何とかやれているわけです。

 ところでその後に知ったのですが、ユング心理学の創始者カール・G・ユングはその著書「ユング自伝1」の中の無意識との対決の章に、フロイトと決別した後に無意識からわき起こってくるイメージに昂奮し激情した際にはヨーガの行を行い、自分を静めたとあります。そして自分が静まったらまたそのイメージや内的な声が語りかけてくるのを許して受け止め観察・対決していったようです。日常に出現してくる統合失調症の幻覚、幻聴に匹敵するような無意識からのビジョンやイメージなどをヨーガの行によってコントロールしながらそれに対決していったとは、やはり天才ユングにしてできる凄いことです。

 ユングはその本でインドの人たちはヨーガの行を多くの心の内容やイメージを完全に抹消するために行うのである。とも書いてあります。でも私がヨーガ+自律訓練法をやった結果は一見、まったくその逆の活性化ですよね。

 凡人の私は幸か不幸かユングのような天才の持つイメージ力・想像力や、それを受け止める力は全くなくて、大げさにいうと無意識とは切り離れたところの頭の中だけで(強迫性障害的に)生きていたのでした。ですから私の場合は無意識と切れかかっている、そこをまず回復する必要があったのです。ということは無意識(自己治癒力)の働きを活発化するためにヨーガを取り入れたことになりますね。最終的にはユングも言うように抹消に向かうわけですが、ヨーガが沈静化にも活性化にもどちらにも役立つとても優れたものだということなのでしょう。

 催眠療法から派生した心理技法である自律訓練法にしても、身体の柔軟性を追求していくヨー ガのアーサナ(体位法)にしてもその基本は心身の深いリラクゼーションにあります。ヨーガや自律訓練法でなくとも、深くリラックスする(緩む)ことで、心身の偏りや滞りが緩和されて心的エネルギーが(例えば脳のシナプスの流れなど)正しい道をのびのびスムースに流れやすくなるのです。例えば、足のかかとを入念にマッサージ棒でホグしたり、また他には頭をマッサージ棒で入念にホグしたりして寝たときにもかなり強烈な夢を見て目覚めたことがあります。

 夢は脳内の放電作用のモニター役だけではありません。私の生きる道を濁流の中を泳ぐ大変さで的確に例えて見せてくれたのは、夢が教えてくれるというより叱るつもりだったかもしれませんが。でも夢先生はかなり親切です。何かに真摯に取り組んでいると、そんな人を健気に思うのか、夢先生の対応も顕著になってきます。

 私の知り合いは、高校生の頃に数学の問題が解けずに諦めて寝たら、その問題が解けた感じの夢を見たのでした。それですぐに起き出して、その問題に再度取り組んでみたら今度はすらすらときれいに解けたそうです。大助かりですよね。あなたもそうなれるかも。 ぜひ夢に教えてもらいましょう。慣れるまではちょっと取っつきにくい先生ではありますが、無料で相談に乗ってくれますよ。

★参照ページ:『夢と脳科学と物語の関係』『夢は心の掃除から整理、整頓までしている』『夢は教えてくれる



宮沢賢治の『なめとこ山の熊』のことならおもしろい

宮沢賢治の物語

 宮沢賢治は数多くの物語を紡ぎだしました。でも生前に発刊されたのは一冊の童話集だけです。その貴重な『注文の多い料理店』の序文には「・・・わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」とあります。

 実は私は、この言葉通りに、宮沢賢治が作った透き通った食べものがたりである『なめとこ山の熊』をしょっちゅう美味しくいただいています。一人でぶつぶつまるでお経のように唱えていただくのです。賢治の物語は私にとって、おもしろくておいしくて、おまけに生きるパワーが出てくる「すきとおったほんとうのたべもの」です。そんなことはもうあなたも既にご存知かもしれませんね。賢治の物語がどんなに味わい深くて栄養価の高いものか。

 私は宮沢賢治の物語のほとんどがすきです。とくに『なめとこ山の熊』に関しては、誰よりも私が一番好きでいる者ではないかと思ったりします。ですから『なめとこ山の熊』がどんなにおもしろくて、でもそれがただおもしろいだけに終わらず、どうして生きるパワーになるほどに栄養価の高いものかを、より詳しく云わずにはいられないのです。
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数あるなかでもこの彦一彦さんの絵本が宮沢賢治「なめとこ山の熊」に最高にピッタリだと思います。

残念なことに廃版のようです。

なぜ『なめとこ山の熊』がお経なのか

 『なめとこ山の熊』は文章に独特のリズム感を持っています。物語は『なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日は・・・』といくども、なめとこ山、なめとこ山と繰り返されてはじまります。それを声に出して読んでみると、多くの人がなんか身体がワクワク調子にのって感情が入ってくるのがわかるはずです。たぶん。

 この物語をほんとうに気に入ったものだから、空で語ることができるまで覚えて時々独り言でぶつぶつ物語ってました。「チャンスがあったら誰かに物語って聞かせたい、子供たちに聞かせられたらいいな」と思ったりもしました。でもそんな機会もなく「せっかく覚えたけど聞いてくれるのは公園の木々と私だけか」と少々寂しくありました。そのうちなめとこ山の熊から遠のいて、空で覚えていた物語のあちこち忘れかけていきました。

 近年ブックオフで『ブッダの方舟』という中沢新一、夢枕獏、宮崎信也の三氏による対談本を中古で買いました。その中で三氏は宮沢賢治を傑出の仏教者だと認め合っています。そして宮崎信也さんは「宮沢賢治作の銀河鉄道の夜はお経のようなものだから毎朝読経するってのはいいなあ」と言っています。彼はお寺の住職さんやっているようなので、その対談以後は「銀河鉄道の夜」を毎朝唱えておられると思います。というのは冗談です。

 私はそれ読んだ時に、私がお経にするのなら「銀河鉄道の夜」より「なめとこ山の熊」だなと思ったのです。その後に「よしちょうどいいや、なめとこ山の熊を私のお経にしよう」と思ってそれからは、それまで唱えていた『般若心経』の代わりにしました。お経だったら物語のように他の人に語って聞かせなくとも、一人で唱えて自己完結で終わりです。だから寂しがる必要ないですしね。

 『銀河鉄道の夜』も大好きな物語ではあります。河合隼雄先生が銀河鉄道の夜は臨死体験を書いたようである、と対談本のどこかで言われてました。確かに物語の中では死んでから行く世界のように表現されています。私は銀河鉄道の夜の物語全体は好きなんですが、でもどうも、あの銀河列車の窓から見える世界には馴染めません。死んでないからかしらね。素敵に感じないんです。

 それに比べて『なめとこ山の熊』の、渓谷の描写にはほんとに感動します。これは私が高知の山村の生まれでその田舎と自然が恋しいからです。私の田舎の周りの山々はこじんまりとしていて、なめとこ山みたく「冷たい霧か雲かを吸ったり吐いたり」していたり「まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ」というほどのスケール感はありませんが。(それに私の田舎ではお盆に、山に居るという先祖の霊を迎えるのための儀式を行います。四国の愛媛出身の大江健三郎は「村に生まれた者は・・中略・・森の高みに定められた自分の樹木の根方におちついてすごす」と彼の小説ので度々言っています。そんな死生観の影響もあって余計に『なめとこ山の熊』の方がシックリくるのかもしれません)

 お経については、昔から綿々と続く素晴らしいものが、ほんとにいろいろあるわけです。それらが大切なものであるのはもちろんですね。そして、例えば短いお経で私にも唱えやすい「般若心経」を唱えていると、確かに何かありがたみがあるようだし、格好いいです。悟った人の至り得た、理想のあり方が語られています。でも私は悟りに程遠い人のせいか、正直なところ昔からあるお経はイマイチ面白みを感じないのです。それとも古い言葉遣いのせいでしょうか。すぐに飽きてしまいます。でも『なめとこ山の熊』は違います。とにかく物語としても面白いですから飽きません。それでいて、昔からあるお経と同じく「悟りの世界」「法の世界」が備わっているので二度美味しいわけです。

 こんな経過から「なめとこ山の熊」はお経となったのです。「私だけの」という但し書きが付きますけど(^_^;)。

諸法実相を見事に知らしめる『なめとこ山の熊』

 諸法実相とは『この現実世界において様々な姿形をとって現れているすべての現象(諸法)はそのままで真実のあり方(実相)を現している』という大乗仏教の根本にある考え方です。禅宗では『森羅万象本来の面目』ともいいます。

 私は禅の修行をやってきました。そんな私にとって『なめとこ山の熊』は禅の修行で用いられる『十牛図』の代わりでもあるのです。禅の修行の道程を表した『十牛図』には修行者が悟りに至る様子が十枚の絵で表わされています。その中では七番目と八番目になる絵が、悟り体験のピークとして描かれています。ところが私はいつまでたっても二番目か三番目でうろうろしてるばかりです。煩悩だらけの私の修行では到底『十牛図』にはついていけません。

 宮沢賢治の物語『なめとこ山の熊』には厳しくも美しい山の自然が描かれています。それは禅の悟りの道程を現した『十牛図』に描かれた自然と相通ずるものです。『なめとこ山の熊』の主人公の淵沢小十郎は、もちろん私などより何倍も立派な人物です。でも悟ってはいません。淵沢小十郎という誠実で逞しいけれども弱点も持っている猟師が、それと知らずして仏界である、なめとこ山に包まれて生き抜いた物語です。

 『山では豪儀な小十郎がまちへ熊の皮と胆を売りに行くときのみじめさといったら全く気の毒』なくらいになってしまう淵沢小十郎の生き様を見ると「なんだよ情けないな」と思います。でもヒーローし過ぎていないので親しみが持てます。そんなところからも『十牛図』よりこちらの方がお手本にしやすかったのです。

 殺生しなければ生きていけない年老いたマタギ(猟師)渕沢小十郎のその生き様と、彼が獲物とする熊とのやり取りが、なめとこ山という自然の中で進み深まっていきます。そしてその全てが仏法の世界に包まれているできごとであってそのままに救われている。と物語っているように私には思えるのです。

 悟っているわけでもない淵沢小十郎は『般若心経』や『十牛図』の境地には程遠いかもしれません。でも『なめとこ山の熊』には、この現実(娑婆世界)の殺生や苦悩がより詳しく描かれています。そしてそれが即、涅槃の世界であることが物語られているのです。

 これは、他の生命を奪わなければ生きていけないという人間の業と悲しさを乗り越えようとする大テーマに賢治が挑戦した物語でもあるのです。この世の『生なるものは他を殺さなければ生きていけない』という一大命題を乗り越えていくことができるのか。賢治はこの、熊とそれを殺して生きているマタギ(熊捕り)との物語でそれについて素晴らしい決着を見せています。

 賢治はこの物語で、先に述べた『諸法実相』と云われる『元来この世はそのままで法の世界なのだ』という救いを物語によって法話したのではないでしょうか。『なめとこ山の熊』の物語が進行するに従ってそこに現れる山々の自然は、宮沢賢治のその鮮やかな語り描写によって、より鮮やかに仏法の世界であることがハッキリしてきます。いえ、物語の始まりから終わりまで、全てが法の世界の出来事なのでしょう。

物語『なめとこ山の熊』の五つのプロット

 第一幕は導入部です。一年のうちたいていの日は、冷たい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている神秘性をおびたような、なめとこ山と、その近辺の紹介。そしてその山に棲息する熊どもと、熊取の名人の「淵沢小十郎」の紹介。彼が黄色なたくましい犬を連れて『木がいっぱいに生えているまるで青黒いトンネルの中のような谷』を遡って行くところ。その渓谷の中を登る小十郎と犬を高いところから見守っている熊ども。そしてマタギ「淵沢小十郎」が熊を鉄砲で撃って猟をするところなどが物語られます。

 第二幕は、淵沢小十郎が珍しくも道に迷って山で一夜を過ごすことになります。その時、月明かりの中にまるで後光がさしているかのような熊の母子の愛情あふれるやり取りに遭遇する話しです。
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大きな月が見守るなかに、母子の熊が向こうの谷の白い雪のような花について話し合っています。

私の一番好きなシーン。

 背後の見えない所で、熊とりの名人淵沢小十郎が二人を見守っています。二人に気づかれないようにこっそりこっそり笹小屋に戻っていく小十郎。『くろもじの木の匂いが月のあかりといっしょにスーッとさした』とあります。くろもじの木を知らなかったので、そのことを友だちに話したらその友だちが高級楊枝を持ってきて「コレを作る木だよ」と教えてくれました。くろもじの木の匂いって凄く良いです。

 さて第三幕は、山では主のような熊獲りの名人の淵沢小十郎が、まちに熊の皮と胆を売りに行く時のまったく気の毒な話です。街の中の荒物屋の主人にうまく買い叩かれたうえに、それでも遠慮がちにお酒をごちそうになる場面などが物語られます。でもこのプロットがあることで、只のヒーローでないまことに人間らしい淵沢小十郎であることがよりクローズアップされます。彼が身近になって親しみを覚えてしまうのです。

 第四幕は、ある年の夏に遭遇した熊との不思議なやり取りです。その時、銃を撃つばかりにしながら小十郎は熊と対話するのです。小十郎はぼんやり立っているばかりになって熊を撃てません。そしてその時熊が約束していったように、二年後にはちゃんと小十郎の家の庭でその熊が死んでいます。小十郎は思わず手をあわせて拝みます。

 最後の第五幕は淵沢小十郎の死出の旅です。夏のうちに目をつけておいた熊を獲るために、冬の雪に埋もれた山に、黄色なたくましい犬と出かけますが、山の頂上で休んでいる時にその熊に殺されてしまうのです。それから三日目の晩に雪と月のかりの中の見えたのは、熊どもがたくさん集まってする淵沢小十郎のお葬式の場面です。
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絵本の物語の終わりのページにあるなめとこ山の絵。

 実は物語の中では小十郎が死んで三日目の晩のなめとこ山は、月のあかりに照らしだされる青白く明るい雪に覆われたものなのです。でもこの彦一彦さんの絵は月の代わりに太陽がのぞいていますね。たぶん、物語がおしまいになった後(一晩が過ぎて)の朝日が登るなめとこ山でしょう。空は金色です。

 この絵をあらためて眺めていたら、折口信夫の『山越しの阿弥陀像の画因』という文中に挿入されている阿弥陀像の絵がほうふつとされてきました。うーむ、、でも、なめとこ山の熊の物語からすると、こちらの阿弥陀像のない方の絵でちょうどシックリです。

 ところで、山では淵沢小十郎と常に連れ添っていたたくましい黄色な犬は、淵沢小十郎が熊に殺された後どうなったでしょう。気になりますよね。でも私が思うにきっと一人でいや一匹で家まで帰り着いて、皆に撫でられながらお祖父ちゃんが亡くなってしまったことをそれとなく伝えたんじゃないでしょうかね。

 ほんとにこの素敵な『なめとこ山の熊』の物語、ぜひあなたにも読んでいただきたいものです。

★参考文献:『青空文庫:なめとこ山の熊』『ブログ norimingbook 人々のざわめき、結実するもの-折口信夫 山越し阿弥陀像の画因-』『Twitter:なめとこ山の熊豆辞典