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夢と脳科学と物語の関係

夢は脳内モニターである

 近年脳科学の方から『寝不足を解消しないと脳内に毒素がたまる 神経科学者ジェフ・イリフ氏』との学説が発表されました。脳科学研究で注目されている老廃物アミロイドβの蓄積は、アルツハイマー病などの恐ろしい病気の始まりといわれています。

 カリフォルニア大学の脳科学者たちは、65歳から81歳の健康な人を対象とした実験をしました。その詳細は省きますがその結果、深い睡眠が不足すると脳の長期記憶に影響を及ぼしアルツハイマー病の引き金となるアミロイドβタンパク質が発生することを発見したのです。研究を行った脳科学者のWalker氏は「アミロイドβタンパク質がたくさん蓄積しているほど睡眠の質が低く、記憶力も低下します。さらに、深い睡眠が取れていないと、アミロイドβタンパク質などの有害物質を脳内から追い出すことが難しくなる、という悪循環に陥るのです」と語っています。

 脳内からの老廃物は脳脊髄液(CSF)に吸収され、他の排泄物とともに血液中に排出されます。CSFは目覚めているマウスの脳内ではほとんど動きません。でもマウスが眠ってしまうとCSFが脳内を駆け巡るのが見えるのです。眠ると脳細胞自身が縮み、脳細胞間の隙間動が広がることでCSFが流れやすくなってアミロイドβタンパク質をはじめとする脳内の有害物質を排出させるのです。ようするに睡眠中に脳の浄化作用が行われているわけですね。

 これらのことは心理学の分野では昔から周知のことでした。今から40年以上も前に、カナダの心理学者(生理心理学の研究者)であったW・ルーテは「自律性中和」と言う治療技法を発展させました。その技法の説明の中で彼は、ニューロンに蓄積された物質と機能妨害作用を減少及び段階的解消することを目的とすると言っています。そして睡眠でなく自律訓練法を応用した、より積極的に脳を調整する技法を開発していたのです。

 心の開放、浄化作用は睡眠中だけでなく、リラクゼーションや感情発散によっても起こります。というか守りのある中で、深いリラクゼーション状態になったり、泣いたり笑ったり怒ったりと情動発散したりする。その後に深い睡眠に入る。というのが浄化作業の順当な工程といえるのです。脳科学ではまだ解明されていませんが睡眠だけで浄化作業のすべてを賄うには充分でない場合が多々あります。

 思い出すのは、昔カウンセリングに来談していた若い男性が連れてきた友人女性の見た夢です。その男性クライアントはカウンセリングに興味を持った友達がいたので連れてきたと言って、彼の面接日に音楽仲間の女性を同伴してきました。そこでその回の心理面接は私とその男性クライアントで、彼女のことを中心に話し合いました。そして最後に、私のリードでイメージトレーニングによるリラクゼーションを彼女に体験してもらったのです。彼女はとても感激していました。その次の面接日に来談したその男性クライアントは「彼女は、この前ここに来た帰り道に涙が溢れてきて止まらず、それから4時間位ずっと泣き続けたらしいです」と言うのです。彼女はその夜に、おもしろい夢も見てそれを彼に話していました。それは、

 {夢:仙人とゴキブリ}

トンネルの中に居るとゴキブリがいっぱい出てきた。
そこで彼女が「助けてぇ~」と叫んだら仙人が登場した。
そしてゴキブリを2,3匹残してあとは全部壁に穴を開けて逃がしてくれた。

 というものです。この夢から、彼女の内でかなり大掛かりな浄化作業が行われたのは確かですね。私とその男性クライアントは、彼女を男性二人で相手してあげたから、それで仙人が登場したんだろうね。などと悦に入って頷きあったものでした。彼女が見た夢の中のゴキブリとは、脳科学でいうところの老廃物アミロイドβに相当するといえでしょうか。この彼女の体験からして、心が開放され、感情が発散される。深いリラックスに至る。睡眠も深くなりそこで最後の仕上げが行われる。そしてその工程が夢の物語となってモニターできる。という流れなのがよくわかります。

 脳科学の実験で、アミロイドβの除去速度を、目覚めている時と眠っている時の脳で比較して測定した結果、アミロイドβの排除は睡眠中の脳のほうが、ずっと速いということがわかったようです。でも泣くという行為を含めて心理臨床面ではすでに大切な浄化作用とされている感情発散は脳科学ではどのように位置づけされるでしょうか。そのうちには脳科学で涙の中にもアミロイドβが含まれていたり、また別の老廃物が含まれているのが発見されるでしょうか。他にも脳内物質にはセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどもあるようです。それなどとの関係もふくめたその全貌の複雑さを思うと、その解明は果てしないようにも思えますが。

夢は心の体験を物語にして見せてくれる

 夢分析の第一人者であった河合隼雄氏はある講演会の中で「意識と無意識の間で、さまざまな物語が生まれてくる。その典型的なものは夢だと思っています」と述べています。たぶん、その典型的な物語である夢が、世にある昔話から文学作品などのさまざまな物語のルーツなのでしょう。たしかに夢は現実の体験を不思議に象徴化してうまく物語ってくれてると思います。

 脳科学でいろいろわかってくることは脳の治療に関して非常に役立つ発見となるでしょう。しかし考えてみれば私たちは太古からそれを夢モニターの発する物語として見ていたのです。脳科学による説明や脳画像などはわかりやすいかもしれませんが、夢モニターでそれを知るほうが、自分一人でチェックできて便利です。そのうえ夢は物語形式なので、サスペンスからホラー、ファンタジーまで盛りだくさんでずっとおもしろみがありますね。

 次に紹介する夢も、自分の体験したことを物語ってくれたというばかりでなく夢が物語を紡ぎだすことによって心をまとめあげ、仕上げをしてくれたのがよく納得できるものです。それは「私の父親が息をつまらせて死ぬ」という私が見た夢です。今から12年くらいくらい前に私は「とにかく悟ってみたい!」と思って禅修行に打ち込み、日常ちょっとでも暇があれば坐禅していました。そして細切れでしたが、丸一日で約九時間あまり座禅した次の朝にとても印象的な夢を見たのです。目覚めて床の中でその夢を思いだした時、ちょっとした気づきと共に体感的にとても不思議な感じが起こりました。

 {夢:お披露目会 、父が息をつまらせ死ぬ}

私がプロ野球チームの監督のようになるらしい。
左隣にもう一人同じような立場の人も立っている。
その奥のテーブル席には野球チームのオーナーらしき年寄りもいる。
新任監督のお披露目の場のよう。
私の側に父がいて、私の周りを驚くほどに忙しくグルグルまわり廻って、私の身なり、格好などについてあれこれ世話を焼く。
父親は終いには勢い余って、みずから肩をいからせ息を詰まらせ、ぶっ倒れて死んでしまう。

 朝、目覚めて直ぐにこの夢を振り返っていた時、ふと呼吸に注目したのです。するとこの時だけでしたがいつもと違う不思議な感じで、出る息が長く長く天井の方に向けて空中をズーッと伸びていったのです。不思議な気持ちよさでした。同時に「ああ、ちゃんとやらねば、ちゃんとやらねば、とずっとやってきたんだなあ」との思いが浮かびました。

 この夢を見なくとも、坐禅修行だけでも同様の気づき体験ができたかどうか検証することはできないわけですが。でも私はこの夢で「あぁそうだったんだなぁ、、」と深く頷けたのです。夢は「お前のやったことはこうなんだよ、そしてこうなってるよ」と物語って教えてくれたのです。

 この時の禅修行とその最中に見た夢とで私の強迫性的なこだわりからずいぶん抜け出すことができたように思います。坐禅修行と夢によって私は治療されたのです。私は完全主義的な「キチンと整えたい」との強迫性障害的なところがありました。四国の山村で農業を営んでいた父は手先が器用で、趣味と実用から始まった大工仕事がプロ並みとなり田舎の小さな建設会社で採用され大工としても働いていました。

 そんな几帳面でキッチリとした仕事をする父親からそれを受け継いだようです。坐禅中に、もう極限まで「ちゃんとやらねば、うまくやらねば」とこだわってました。まるで夢の中で忙しくグルグルまわり廻って私の身なりを気づかう父のようにそれをやり続けていたわけです。ところが逆説的に、それをやり続けたために疲れ果て、夢の父のように息を詰まらせ、ぶっ倒れてしまうような形でそれを手放すことになったわけです。

 ところで私の参禅したことのある曹洞宗系の道場では「只管打坐」「ただ坐れ」などというように工夫や努力などの計らいは戒められています。それを何度も聞いている私は、もちろん意識では充分わかっているつもりでした。それなのに坐禅していると、いつの間にか「これでいいのか、間違っているのではないか、もっと良いやり方がほかにあるのではないか」などと頭を使って計らい続け「ただ坐る」というあり方から程遠いことをやり続けていたのです。

 なぜ素直になって計らいを止めることができなかったのか。その理由は「うまく要領よくやろうとする」あり方は私の信条とまでなっていて、一体化(同一化)していたからでしょう。長い間に無意識の癖となってそれが普通となり、おまけにそれが自分となってしまうので容易なことでは気づくことができません。このようなあり方は内省的な心理療法やカウンセリングがなかなか進展しない大きな要因のひとつとなります。というかそもそもそこに向き合ったり取り組む気になれないのです。それが自分であって、それをなくすることは自分をなくする(死ぬ)ことになりかねないのですから。

 おもしろいことに、この私のまぬけな禅修行は曹洞宗とは相反するやり方の、臨済宗系の公案(禅問答)を用いる修行過程に添っていたのでした。臨済宗では例えば「隻手音声」というのがあって「両手を打てば音がするだろ。では片手の音はどうかそれを聞いてこい」などと理屈に合わない問を老師に課せられるのです。そう言われた修行者は真摯に最大限考え尽くすわけです。考えるだけ考え、悩むだけ悩むと最後はその考え悩む機能が働かなくなって止まってしまう。するとそこに答えの方自ら立ち上がってきて解決に至る。見性する。という修行方法なのです。

 私は悟りにはほど遠かったですが、それと知らないででも同じ過程を歩んだのでした。心のことは逆説が多いですが、これも間違った修行だったのに、かえってそれで良い修行ができたというちょっと苦笑気味の逆説です。

 このブログに取り上げた夢は、説明の都合上もあって典型的な夢がほとんどです。全ての夢がこのようにわかりやすいとは限りませんね。でも、そんなわけのわからない夢なのに、なぜか気になる場合があります。そんな時はそれを否定したり、呆れたりするだけでなく「たぶん夢なりには上手に表現しているのだろうから、きっとなにか意味があるはず」と思ってみましょう。そしてもう少しあれこれ検討してみてください。すると、いつもとは限りませんが、時に「ああ、そういうことかぁ」などと眼から鱗で発見があったり、納得したり、心がのびのび解放されたりするようなことが起こったりします。

★参照ページ:『リラクゼーションと自然治癒力』『夢は心の掃除から整理、整頓までしている』『夢は教えてくれる』『夢は全てを知っている



夢は心の掃除から整理、整頓までしている

 今回は夢が教えてくれるというより、夢が私たちを、そくしてくるとでもいうような場合があることをテーマにしました。

 近年になってますます睡眠の重要性がわかってきていますが、脳を含めた心身は日々の睡眠中に自然治癒力の働きによって、心身の調整作業を活発におこなっています。私たちの自我意識にとって、夢はそんな心身(主に脳)の調整作業の働きを、私たちにただモニター的に見せてくれるだけではないようです。どこかで私達がそれを受けとめやすくするというか、川におけるダムのような機能も持っているようです。

 そしてそんな日々の活動以外に、ある時、時が熟するのでしょうか。夢は心身の奥に封じ込められていた「トラウマなどのちょっと大きなものを、そろそろ整理しましょうよ」とか「ちょっとした大掛かりな掃除をするから、ちゃんと準備して受けとめてね」などと言ってくるのです。でもそれは思わせぶりな物語形式の夢表現をしてくるので、なんのことだかすぐにはよくわからないものですが。

 ところで、精神科医の中井久夫氏は、統合失調症の急性精神病状態のはじまりと終わりには悪夢をみることが非常に多いと述べています。といって悪夢を見たからそく統合失調症かと心配する必要はありません。統合失調症の臨界期のはじめに見る悪夢は通常の悪夢レベルのものではありません。 中井先生によると、ついに夢そのものが破裂し、自律神経系を巻き込んで全身が動揺し、最後に睡眠そのものが不可能になってしまうのが悪夢である。と述べているように夢自体が壊れてしまって機能しなくなった状態のもののようですから。

 それにしてもやはり、子供の頃のことにせよトラウマなどは大人になった私たちでも、そうそう簡単には受けとめかねる場合も多いわけです。いきなりさっさと大掃除などとはできないのです。やはりそれなりに、大掃除をするための準備と同じく、心の深層にしまっておいたものを受け止めるだけの準備や器が必要のようです。

 ですから、もし夢に興味を持って夢日記をつけたり、夢の自己分析をする場合には、根を詰めすぎないことをお勧めします。私は場面やストーリーがかなりハッキリしているような印象的な夢だけを書きとめています。自然治癒力(夢)が無意識の内容を一つにまとめて、整理できえたものが印象的な夢となるのだと思います。そんな夢と反対のよくわからない、まとまりのない夢は、夢が心のなかを整理しようとしている途中経過の夢といえそうです。信頼できる夢分析家と共に夢分析に取り組んでいるのでない限り、そんな夢は無理して掘りおこさず、熟成するまで時がかかるのだなと思ってそっとしておきましょう。

 ・・・ここでは、秘密保持のためにごく簡単な事例を趣旨は曲げない程度に変えて紹介します・・・もうかなり古い話ですが、夢と自律訓練法から過去のトラウマを消化できた男性がいました。カウンセリングで、何か狭い所に押し込められるような夢を時々みるという話をした後日、自宅で自律訓練法を行っている時に、その夢の嫌な感じと同じような感覚になったようです。それで「この感じは夢と同じだな」と注意を向けていたら突然、学生時代の思い出が蘇って来たとのことでした。その自律訓練中の不思議な体験の話から続いて、その学生時代の辛かった体験も話してくれ「その時は感じませんでしたが、自分で思っていた以上に辛かった所があったようです」と語り終えたのです。そして「何だか肩が軽くなってスッキリしました」と言って肩をぐりぐり動かし気持ちよさげでした。トラウマが解消されると身体的にもスッキリするところがあるようです。

 座禅に取り組み始めたら、受けとめられず恐怖症的になってる、避け続けていた事柄を最近夢によくみるようになったと言う人がいました。この人は座禅によって心の浄化作業がかなり進んできたのでしょう。自律訓練法に限らずヨーガや瞑想などからくる深いリラクゼーションがそれを呼び覚ます場合もあるわけです。心身が開放的になり、それによって自己治癒力のはたらきが活発化するところに、その動きは登場しやすくなるといえるでしょう。

 先の男性の場合は自律訓練法による深いリラクゼーションと、また私と話し合ったことで、そのトラウマを受けとめる準備が全て整ったのかもしれません。時が熟するなどといいましたが、やはりそのトラウマなどが受けとめかねる程度が強いにしたがって、開放作用がスムースに行えるように体制もしっかり整う必要があるわけです。心理療法の場では、そのためのカウンセリングや催眠療法やフォーカシングやその他のトラウマやストレスの流れをスムースにそくするための、さまざまな心理技法があります。でも何よりも信頼できるカウンセラーの存在があることで、そこは守られ受けとめられるためのより大きな器となるのです。それで一人ではなかなか解消できないレベルのものまで対処できるわけです。

 ところで夢にではなくても身体的な違和感があってその奥にトラウマがひそんでいる場合もあります。急激な人格変化が起こって開放され、のびのびやっていけるようになったは良かったけれど、胸の辺りのなんだか苦しい感じがとれない人がいました。カウンセリングで「何か小さいころに辛いことでもありましたかね」「そういえば長い間・・・してましたが、それでしょうか」などと話し合ったのです。そんな面接の直後に、そのカウンセリングで話題に出た地元の思い出の場所を通っていたら突然いっぱい泣けていろいろ思い出し、それで胸の苦しい違和感も解消したのでした。時は熟してたわけですが、私とのカウンセリングがその流れをそくすようなきっかけになったようですね。

 夢分析に限らずいえることですが、こちら側からそれを分析(意識側から知的に分析)していくのでなくて、ゲシュタルトセラピーのドリームワークみたくそのもの自体になって(語って)みたり、またはフォーカシング的に寄り添いながらも、そのもの自体が語りだすのではないかというような姿勢でいたりしていると、向こう側(夢の方)が勝手に展開しやすくなるというのがこの場合のコツといえます。

 もっと詳しい具体例を見てみます。秘密保持のこともあるので今回も手前味噌でなんですが私の夢からです。

 私がエンカウンターグループやその他のさまざまな心理技法をあさるように体験学習していた遙か三十五年近く前に、通いで四日間の「ゲシュタルトセラピーセミナー」が開催されていました。ゲシュタルトセラピー体験学習にはドリームワークという夢のセッションがあるというので、夢を記憶しておいたのです。といっても、放っておいても忘れることはないくらいにとても印象的な夢でした。

 {夢 : 母、丸いフォルクスワーゲン車、別れ}

母親が前の席で私が後ろの席に乗って、
旧式の丸っこいフォルスワーゲンのような車で走っている。
私は、走っている車から降りようとする。
ドアの鍵の部分は通常のより大きくガッチリできていた。
私はそのドアを開けて半分転がり落ちるように道に投げ出る。
車は母親を乗せていき「ああ、行ってしまった」
という感じ。

 こんな夢でしたがこの夢が言いたかったこと。ゲシュタルトセラピーのドリームワークをやってみて発見したそれには我ながらビックリでしたよ。ドリームワークでは見た夢の一部になったつもりで思いつくまま喋ってみる。という技法があります。でもセミナーのみんなの前でこの夢のワークをした時にはうまくいきませんでした。かなり心残りだったのでセミナーが終わって自分のアパートに帰ってきて、もう一度同じワークを自分一人でやってみたのです。

 部屋にあったクッションを何気なしに抱えながら次第に夢の中に入り込んで少したつと驚いたことに、まるで赤ちゃんが唇をとがらせて「チューチュウ」と母親の乳房を吸っているようにしたくなってしまったのです。一人とはいえかなりの恥ずかしさがありましたが、思い切ってずっと「チューチュウ」と唇をとがらせてやっていると、突然両肩から両腕にかけてかなりの衝撃で電気が走るような感じとともに、幼い頃「もっと母親の乳房を自分のものとしたかった!」「いっぱい、気が済むまでおっぱいを吸いたかった」という思いとそれに絡んだ強い感情が蘇ってきたのです。

 いい大人が、クッションを強く抱きしめ「チューチュウ、チューチュウ」やりながら「誰にも渡さない!二つとも僕のオッパイだ!、、」とか強い口調で言ったりしました。それもかなりの時間。一人だからできたのですねぇ。

 そういえば。私には五歳下の弟がいます。その弟が生まれた頃かもっと上の年齢だったかもしれませんが「もう赤ちゃんじゃあないのだから母親の乳房をあきらめねばならないんだ、男の子だし、我慢しなければ」と思ってその、甘えたくてたまらない欲求を抑え込んだことを思い出しました。衝撃的だった肩から腕にかけての電気の走るような感じは、欲求を我慢することによって固まり滞っていた身体が急に開放されたからでしょう。自分で思っている以上に身体で押さえ込んでいるもののようですね。4~6才の頃のものが30才になっても強く残っていたわけでホントに不思議でした。

 その後数年たってから、同門の先輩にこのドリームワークの体験をおもしろおかしく話したのでしたが、その先輩から「そのフォルスワーゲン(旧型)の車って乳房に似てるじゃん」と鋭く突っ込まれて大笑いしながらも、確かにと納得したのでした。そういえば河合隼雄先生は箱庭療法の勉強会で、箱庭の中に作られた丸い砂の山を、あれは乳房に見えるねなどと幾度かいってましたが。

 それにしても夢って凄いですね。うーむ。あなたも夢の中に「丸くもっこりしたもの」が登場したときはよくよく気をつましょうね。

★参照ページ:『夢と脳科学と物語の関係』『夢は教えてくれる』『夢は全てを知っている



夢は教えてくれる

 何かに真摯に取り組んでいるとそれに関すると思われる夢をよく観るようになります。気がついていない人も多いでしょうけど。 それもありがたいことに、夢はヒントをくれたり、認めてくれたりほめてくれたり、違った視点から知らせてくれたり、導いてくれたり、癒やしてくれたさえしてくれるのです。ほんとに助かります。夢の教えは無料だし。あなたも、困ったときには夢に「なんか教えて下さい」と頼んでから眠ってみてはいかがでしょう。

 今回も手前味噌でなんですが私の夢から、夢の中に私を導いてくれる女性像が現れた夢を紹介してみます。

 2016年正月の朝、ふと今朝方見た夢を思いだした。初夢。

 夢の中に私を助けてくれるというか導いてくれるといってよいような女性が出てきた。それに感動してちょっと涙ぐんでしまった。

 私は長年夢日記をつけてきたせいで夢を見慣れている。そこでだいたいが、目覚めたらすぐにああこんな夢を見たな。と思い出すようになっている。ところが正月朝はそんな感じで思い出したのではなかった。朝目覚めた時は夢を見た覚えがなかったのだ。正月朝なのにちょっと暗いめの気分でウジウジ考えていたら、ふっとこの夢を思い出したのだ。嬉しかった。

 {夢:山道に迷う。女性が道を教えてくれる}

道に迷っていた。私の夢では定番の山旅をしている。川に出ようと思っているのだが。夜が迫っているのによくわからない難しい山道に来てしまった。

 確か凄い遠回りのようだがこちらに行けば行き着くはずと思って、山の奥深い道ともいえないような道を行こうとしている。通り道に山村の民家もあるようだ。その村の人か農家の主婦か、年齢は分からないが中肉中背の女性が「こちらから行くと良い」と道を教えてくれる。

 その後に、いつの間にか山をかなりくだっていて、なだらかになった道を歩く私に、そのうねった道のちょっと高い上側の位置からその女性が 「ユング心理学云々」と私に語りかけてくる。私がユング心理学の知識があることを知っているようだ。私は「ユングは一番初めに子供向けの絵本のような本を作ったらしいよ」と聞いたこともないようなことを彼女に言う。

 今回の夢は、私の日常でのここ最近の心のあり方を、こういうことになってるよと教えてくれた感じです。自分が昔よりずっと素直になっているよ、それがあなたの生きる道行だよ、子供心を持って活き活きできるよ。と教えてくれたのではと夢分析しました。

 私は10歳代後半から20歳代の頃に、親が死んでも泣けないのではと気になるほどに理性的だったり合理的で、感情面が上手く働いていませんでした。強迫性障害といえるくらいだったでしょう。そんな私でしたが、私自身の心理療法的な体験学習や、泣き虫ハーちゃんといわれるくらい良く泣いた河合隼雄先生の人柄や、彼の拡めたユング心理学などの導きによって私もこの歳でようやくすなおな感情を取り戻せたようです。まぁ、今年で65歳なので男でも涙もろくなるのが普通だよということかもしれませんが。

 こんなにはっきりしたユング心理学的にいうところのアニマの導きはこれまでの夢体験ではじめて。夢中の女性がちょっと見上げるような高い位置にいたというのは、女神的な要素も含んだ女性像を現しているのかも。そこで連想するのが、この年末年始にかけて中島みゆきの歌を聞いては泣き続けていたことです。歌の題名は『ヘッドライト、テールライト』。

 この歌の「ヘッドライト、テールライト旅はまだ終わらない。ヘッドライト、テールライト旅はまだ終わらない・・・」というフレーズを聞いていると、旅はまだ終らないとあるのに、なぜか、この世に挑戦して先に逝った人のことがそれぞれに思い出されるのです。河合隼雄先生をはじめ、親父、それほど親しくはなかったが田舎の自死したり病気や酒にやられて死んでいった同級生。 それに今まさに大変な苦労を背負い込みながらも精一杯生きている私の知り合いの人たちも。それらに65歳になって未だ決着しないでジタバタしている私の生き様が重なって泣けてきてしまうのでした。

 この歌はTV「プロジェクトX」の挿入歌なので、日本を世界トップクラスの技術経済大国にした名もなきエンジニアとかビジネスマンのことを想定して作られたのかもしれません。でも歌姫、中島みゆきはこの世を旅する全ての人を想って歌っているのだ。と私は確信します。おまけに近代文明の申し子である自動車の灯り「ヘッドライト・テールライト」と歌われている辺りが、昔のようにのどかとはいかない、孤独な近代人の、旅や生き様をピッタリあらわしているように思えて私の涙腺はますます緩むのです。

 とにかく夢の中に導いてくれる女性像がそれもちょっと人間以上の存在のような女性が登場してくれたことが嬉しいし、心強い。

★参照ページ:『夢と脳科学と物語の関係』『夢は心の掃除から整理、整頓までしている』『夢は全てを知っている



夢は全てを知っている

夢は知っている

 横浜の中区で心理相談室を営んで30年以上になりますが、それに先立つ30才の頃に私は「魂のことをずっとやっていこう」と決心したことがあります。「私の人生は心の修行者でいこう。やってやるぞ!」と意気軒昂でした。岡本太郎の「危険な道をとるか、安全な道をとるか。迷ったら、危険な道をとる」という有名な言葉がありますが、それにも後押しされてそう決めたのでした。無謀にも。自分の器もよく知らないままに。

 ちょうどその頃、河合隼雄先生の書いた深層心理学の本を読んでいました。その本には「無意識はすごい世界である。自己実現の道はとても素晴らしいものではあるが、生易しいものではない大変な道でもある」などと書いてありました。でもやる気満々の私はそれを読んでも「ホウそんなものかね、私なら大丈夫」などと高をくくっていたのです。

 ところがその夜に見た夢は、凄いしんどい夢でした。

台風で増水しすごい濁流となっている広い川。
私はその川の中を向こう岸に渡ろうと必死に泳いでいる。
激しい流れの勢いに私はどんどん川下に押し流される。

 というものだったのです!ビックリして、その夢を見た直後に目覚めました。

 夢は、あまりにも甘く考えている私に業を煮やして「お前はわかってないなぁ。こうなるんだぞ」とばかりに伝えてきたのでした。 その当時はそんな夢を見ても私の「心のことをやっていきたい」という欲求は止まりませんでした。でもその夢から35年近くたってみても、確かにその通りだなぁ、とつくづく思います。 この歳になっても未だに、川下に押し流されながら濁流を泳いで渡っている感があるのです。はたして死ぬまでに向こう岸に泳ぎ着けるかしら。向こう岸に泳ぎ着いたときは死んだ時なのかも。それとも向こう岸にはつかなくてもしぶとく生き伸びて大海に着くという手もありますが。

自律訓練法とヨーガと夢の活性化

 私が夢日記をつけはじめたきっかけは40年ほど前に、自律訓練法の記録をつけ始めたメモ帳に夢を書きとめたのがはじまりです。私はその当時、自分で自分に暗示をかけるという自律訓練法を会得しようとしていました。でもうまくいきませんでした。頭でっかちで思考に頼りすぎていて、 自分の心身が感じ取っていることや発していることに目を向けることができなくなっていたからです。でもなんとか会得したいと、挫折してはまた気を取り直して試してみるというのを繰り返していました。

 そんな工夫の中で、ヨーガのアーサナをやってから自律訓練法をやるという方法を試みてみたのです。すると、夜寝る前にヨーガと自律訓練法をやってから眠りに入って、おおよそ三十分から一時間くらいたたった頃、今までにないビックリするような強烈な夢を見て目覚めたのです。「アレレ~これはなんだ」と、手元にあった自律訓練法の記録帳にその夢をメモったのでした。

 そのはじめて夢の記録には、自律訓練法をやる前にフロイトの本で夢のところを読んだりして、その後に自律訓練法をやって眠ったと記してあります。なんという無意識のノリの良さでしょう。まるで判で押したように、夢の本を読んだらそれをきっかけに今までにないほどに強烈な夢を見たわけです。それは思わず書きとめずにはいられないほどに私の人生ではかつてない強烈な夢だったのです。

 フロイトの精神分析にはそれほど興味が持てなかったのでそれっきりだったと思いますがその後、自律訓練法をやりながら眠ると強烈な夢を見てはビックリして目覚めてしまうことが時々起こるようになりました。そのやり方が私の心身にはマッチしていたようで、私の自己治癒力は夢にも現れるくらいに強く活性化されたのです。何時も、というわけではなかったですが、ヨーガ+自律訓練法をやりながら眠り込んでおおよそ三十分くらいたつと強烈な夢を見て目覚める。という定番パターンです。

 その頃の夢で今でも良く覚えているひとつはこんなのです。

自分が今寝ているベッドで、身体がでんぐり返りはじめる。
それからどんどんどこまでも沈んでいく。死ぬ感じ。
からだがジーンとなって、両手の指先から放電する。
その指先には赤黒く焦げた放電穴ができている。

 面白いことに、どこまでも沈んで行くことが死ぬことなのでは、と不安に思いながらも、どこかで気持ち良さを感じてもいました。

 自律訓練法では、訓練を行っていると脳の放電を必要とする活動部位が活性化されその結果、各種の反応が出現するとみなしています。そのことが書かれていた自律訓練法の本をその当時私が読んだことがあるかどうかは定かではありません。でも私の見た夢はまるでこの「脳の放電」そのままの夢でした。おもしろいことに夢分析の方では、フロイト派の夢分析を受ければフロイト心理学的な夢を見るし、ユング派の分析家にかかればユング心理学的な夢を見ると言われています。私は自律訓練法にかかったので自律訓練法(自律性解放)的な夢を見たといえるのでしょうねぇ。夢って不思議です。

 その後は印象的な夢を見て目覚めた時にすぐに書きとめたり、反復しておいて後で書きとめたりしてきたのです。おかげで私の人生「こんなはずじゃなかった」というのはなくなりました。大事なことは夢なりに、こうだよと教えてくれているので「やっぱりそうだったか」などと納まりがつくのです。そうなんです、私が間抜けでも夢先生が賢いので助けられて何とかやれているわけです。

 ところでその後に知ったのですが、ユング心理学の創始者カール・G・ユングはその著書「ユング自伝1」の中の無意識との対決の章に、フロイトと決別した後に無意識からわき起こってくるイメージに昂奮し激情した際にはヨーガの行を行い、自分を静めたとあります。そして自分が静まったらまたそのイメージや内的な声が語りかけてくるのを許して受け止め観察・対決していったようです。日常に出現してくる統合失調症の幻覚、幻聴に匹敵するような無意識からのビジョンやイメージなどをヨーガの行によってコントロールしながらそれに対決していったとは、やはり天才ユングにしてできる凄いことです。

 ユングはその本でインドの人たちはヨーガの行を多くの心の内容やイメージを完全に抹消するために行うのである。とも書いてあります。でも私がヨーガ+自律訓練法をやった結果は一見、まったくその逆の活性化ですよね。

 凡人の私は幸か不幸かユングのような天才の持つイメージ力・想像力や、それを受け止める力は全くなくて、大げさにいうと無意識とは切り離れたところの頭の中だけで(強迫性障害的に)生きていたのでした。ですから私の場合は無意識と切れかかっている、そこをまず回復する必要があったのです。ということは無意識(自己治癒力)の働きを活発化するためにヨーガを取り入れたことになりますね。最終的にはユングも言うように抹消に向かうわけですが、ヨーガが沈静化にも活性化にもどちらにも役立つとても優れたものだということなのでしょう。

 催眠療法から派生した心理技法である自律訓練法にしても、身体の柔軟性を追求していくヨー ガのアーサナ(体位法)にしてもその基本は心身の深いリラクゼーションにあります。ヨーガや自律訓練法でなくとも、深くリラックスする(緩む)ことで、心身の偏りや滞りが緩和されて心的エネルギーが(例えば脳のシナプスの流れなど)正しい道をのびのびスムースに流れやすくなるのです。例えば、足のかかとを入念にマッサージ棒でホグしたり、また他には頭をマッサージ棒で入念にホグしたりして寝たときにもかなり強烈な夢を見て目覚めたことがあります。

 夢は脳内の放電作用のモニター役だけではありません。私の生きる道を濁流の中を泳ぐ大変さで的確に例えて見せてくれたのは、夢が教えてくれるというより叱るつもりだったかもしれませんが。でも夢先生はかなり親切です。何かに真摯に取り組んでいると、そんな人を健気に思うのか、夢先生の対応も顕著になってきます。

 私の知り合いは、高校生の頃に数学の問題が解けずに諦めて寝たら、その問題が解けた感じの夢を見たのでした。それですぐに起き出して、その問題に再度取り組んでみたら今度はすらすらときれいに解けたそうです。大助かりですよね。あなたもそうなれるかも。 ぜひ夢に教えてもらいましょう。慣れるまではちょっと取っつきにくい先生ではありますが、無料で相談に乗ってくれますよ。

★参照ページ:『夢と脳科学と物語の関係』『夢は心の掃除から整理、整頓までしている』『夢は教えてくれる