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カウンセラーを捜す時に気をつける事

 ある著名な文筆家のカウンセリングに関する著書に、自分に合ったカウンセラーを見つけるには五年かかるとありました。ちょっとビックリですね。五年したら治ってるよ、と突っ込み入れたくなりますが。でも確かに自分に合うカウンセラーを見つけるのはそうそう簡単にはいかなそうです。

 普通はごくシンプルに「こんなカウンセラーが良いなぁ」と思い浮かべるような人を探す事になります。そしてそれに近い人が居ればそのカウンセラーと心理面接に取り組むことになります。けれども、残念なことに力量のあるカウンセラーばかりではないのです。心は見えないせいもあって、一見頼りになりそうな人でも、それは表面的なものに過ぎない場合もあります。

 カウンセラー選びに限らず、他の例えば自分に合う靴や、自分のやりたいことに見合うパソコンを選ぶ際にもよりピッタリしたものを欲しいなら、時間や足をかけて探す必要がありますね。そして靴でもパソコンでも、自分にあったものを選ぶ際には失敗しないようにチェックポイントをわきまえて調べていくべきです。それと同様にここではカウンセラー選びをする際に気をつけるべきチェックポイントを述べてみようと思います。

 まずはじめに、悩んでいる当人に親身になってくれる人でなければ話ははじまりませんね。そして次に話がしやすい人です。特に反論がしやすく、そこをしっかり受けとめ聞いてくれるカウンセラーだったら、もうかなり良いカウンセラーに出会ったといっても良いでしょう。ここで注意しなくてはならないのは、悩み苦しんで「どうしたら良いかわからなくて早く答えが欲しい」と思っている場合は「こうしなさい」などとハッキリしたことを言ってくれる力強いカウンセラーが良いように見えることです。もちろんあまりにも自分が頼りない場合にはカウンセラーにしっかり支えてもうことが必要な時もあります。でも何時までもそれだと自立できなくなってしまいますよね。

 それでなくても私たちはカウンセラーの所に相談に行こう思うと、ちゃんと話しできるかしらなどと気が引けたりするし、ましてや反論など思いもつかないくらいに自分が下に見えたりもしてきます。ですからあまりにもカリスマ性が強いようなカウンセラーだと頼りがいあって良いようだけど、ずっと上下関係のままになってしまってほんとうの意味でよく(自立)なれないのです。

 その逆の、会うと話がしやすくて反論などもできそうなカウンセラーはカリスマ性がなくて普通のただの人に見えたりします。おまけに自分の悩みを早く良くしてもらいたいとの期待が強かったりすると、そのカウンセラーがなんだか頼りなく見えてくる場合さえあるのです。でもそんなカウンセラーの中にも意外に力量のある人がいるのです。ですから「こうしたら良いとか、すぐには答えがでなかったけど、なんかよく話ができたし気持ちをわかってもらえたな」などと思えたなら、そのカウンセラーの所にしばらく通ってみるのが良いでしょう。

 やはりカウンセラーに最も必要不可欠なものは、なんといっても共感能力です。わかってもらえそうな感じがしないカウンセラーや心理療法家は、はなから避けた方がいいと思います。知名度が高くカリスマ性があったりして説得力があるので、カウンセラーとしての力量がとてもありそうに見える心理療法家がいます。でもその中には自分の考えをアピールするには長けていても、悩み苦しむ人の心に寄り添うことはできない人がいるのです。

 なぜかというと、一面的で断定的な物言いをするほうが一見すると説得力がでます。そのような表現をする人は、割り切った考えが身についてもいるでしょう。それで本人は確かに葛藤したり悩んだりすることはないかもしれません。けれどもその分、様々な葛藤を抱えたりして悩み苦しんでいる人をわかることもできません。思慮深くなればなるほど明解な言い方はしにくくなるものです。その意味ではあまりに明解な言いをするカウンセラーもよした方がよさそうですね。

 共感能力をもう少し詳しくいうと「悩み苦しむ人に寄り添ってそこを共にしていける能力」といえます。河合隼雄先生は作家小川洋子との対談本『生きるとは、自分の物語をつくること』の中でそこを「悩み苦しむ人のいる世界の内側にとどまるということが大切」「望みを失わずにピッタリ傍に居れたらもう完璧なんです」などと表現しています。

 河合先生はとてもわかりやすい言い回しで述べていますが、これがなかなか至難の業なのです。カウンセラーは自分の心の器を広げ深めるために、心理学の勉強はもちろん、その他、人の心に関するあらゆる勉強をしなければならないとも河合先生は言っています。ホントの意味で器の大きな人というのでしょうか。「望みを失わずに悩み苦しむ人の傍にいる」というのは結構命がけだったり、フラフラになったりと大変な心の作業なのです。

 昔、カウンセリングに長い間通ってきていたクライアントから「先生は紙のお皿くらいの器だ」と言われたことがあります。その当時、私はそのクライアントが面接の中では全く自分に向き合った話をしないことにイラついていました。そのクライアントを内心では「何で肝心の所を話そうとしないのだろう」と責めてもいたのです。そしたらちょうどそのクライアントが登場する夢を見ました。

 その夢の中で、クライアントは高い高い崖の上の道の、直角に近いカーブの出っ張りの所から崖下の川に向かって釣り糸をたれていました。私はそのクライアントの傍に行こうとしましたが、あまりにも崖が高くて下を見て怖くなりました。みっともないことに、すぐに私は一人で這いずりながら安全な場所に逃げました。

 この夢で、私は意識の上でクライアントを責めていたけど、実は私自身が逃げていたことに気付かされました。ちゃんと釣りをして獲物を得ようとしているクライアントなのにそこは全くわかっていなかったのです。私はそのクライアントの居る、ギリギリの崖っぷちの世界が怖すぎて一時も一緒には居られませんでした。恥ずかしながら、これでは「紙のお皿くらいの器」と言われても当然ですね。

 この辺りの感じは、真摯に悩んでいる状態でしたら「このカウンセラーわかってないなぁ」とかすぐにピンとくるのでそう感じたら「先生の器は紙のお皿くらいですね」とそのカウンセラーに言ってみるか、他を当たるかした方が良いでしょう。後もうひとつ、心理面接にはカウンセラーとの相性も大事です。といっても相性が良いか悪いかなどを深く考えるとよくわからなくなってきますよね。このところは「このカウンセラーは何か感じがいいな」などの閃きというか直感的な感覚の方が当たっている場合が多いようです。


カウンセリングで本当に良くなるの?

話をするだけでなぜ良くなるのか

 話をするだけでは悩みは解決しないのでは、と思われる方は少なくはありません。でもそんな人でも、友達や誰かに自分の話をピッタリわかってもらった時、思わず自分の声が弾み、その後の話に勢いがついてくることを、それと知らずにでも経験したことがあるはずです。その時に心が解放されて、のびのびエネルギーが動きはじめたのです。

 信頼できるカウンセラーにだと話を聞いてもらった時『なるほど』と言ってもらうだけで、今まで不安定だった心がスッとおさまり、落ちついて来たり楽になったりします。このような事からも、カウンセリングがかなり役に立ちそうに思えてきます。

 人にわかって(共感して)もらうことはとても心地よく良いものです。安心感で包まれホッとします。そして立ち向かう勇気が出てきたりもします。共感はすごいパワーを秘めているのです。それが常に基本にあるのがほんとうのカウンセリングといえるでしょう。

 もちろん人の心はなかなか、わからないものです。でもクライエントの身になって、なんとかそれをわかろうと努めるのがカウンセラーの役目です。かといって心あるカウンセラーなら無理矢理人の心に入り込もうとはしません。クライエントの方も話したくないことを無理に話す必要もありません。わかってもらったからこそ、そこで自然に次へと話したくなったり、深まっていったりします。そうして心の整理が進むのです。

 このようにわかってもらえる人(信頼できるカウンセラー)とともに一緒に取り組んでいくところから、心的パワーも強まり、悩みや問題を解決することができるようになっていきます。

 現代ではさまざまな心理技法がありすぎる位にあります。でもそのどれもが治療者側のクライアントへの共感しようとする態度を強調しています。それがあってこそ、その技法の持つ治癒力を最大限発揮できるからなのです。

 心の専門家にカウンセリングで話しを聞いてもらうということは慣れないうちはかなり勇気のいることです。実際にはそんなことはないのですが、面接の前には自分のことが見抜かれてしまうのでは。などと不安になる場合もあります。実際に会って話してみたらそんな心配はどこかに行ってしまって楽に話せるものです。

カウンセリングといっても色々あるそのやり方

 カウンセリングという言葉は、心理療法とは直接に関係のないような、例えば美容関係の案内文の中にも「カウンセリングを行ってから・・・」などと使われていたりします。ですから一口に「カウンセリング」といっても中身は全然違っています。 心の治療分野に限っても様々な派があって、同じカウンセリングといっても、その手法はずいぶんと違っているのです。

 霊感的なものをクライアントの問題解決に用いるというスピリチュアル・カウンセラーもいますね。 また同じ派内においても心理療法家個人個人でそのやり方はかなり違ってきたりもします。

 当相談室で用いている「カウンセリング」は、米国のC.R.ロジャーズの始めた「来談者中心療法とか、パーソンセンタードアプローチ」などと呼ばれる、援助技法を手本としたものです。カール・ロジャーズを手本としたカウンセリングではカウンセラーは聞き役一方になることはかなり多いです。それはカールロジャーズの提唱したテクニック上からそうなる場合もあれば、よくよくクライアントの話を聞いているとそうそう簡単にアドバイスができなくなることも多くなるので、そうなるのもあるわけです。

 でもカウンセラーが聞き役一方でも、本当に気持ちをわかってないで上辺だけで聞いているなら、真剣に話してるクライアントは直感で、あ、この先生はわかってないな、と感じられたり、自然にもう話す気持ちが失われてしまいます。

身体から変化していく

 普通はクライアントはしばらく話しをすれば治療者の良いアドバイスを聞きたくなります。ロジャーズの提唱したやり方にのっとっていない治療者だとそれに対してアドバイスをしてくるか、またはその治療者の依拠している心理技法を用いて解決することを勧めてくることが多いでしょう。

 でもアドバイスというものはどうしても知的になりがちです。カウンセラーから良いアドバイスを聞いてクライアントがそれを用いて良くなったとすれば、それはよほどクライアントに現状を変えていく力があったからか、かなり簡単な問題だったからです。アドバイスが役に立たないからこそカウンセリングをするのだといえそうですよ。

 機械を動かすのなら正しい取り扱い方の載っているマニュアルがあります。でも心の問題はそのような頭で操作するところとは別にあって、その解決も不思議に頭で思い描いていたのとは別の所からもたらされるのです。そのようなハウツウ的なものでないカウンセリングや心理療法での本当の効果は頭(理性)より身体から先に現れてくると言えます。意識で治った!などと思っていても身体は全く変わっていない場合があるのです。

 例えば良くあるのは、カウンセリングを受けていたら、本人はそれほど自覚がないままに前より周りに積極的に働きかけることが多くなっていたりすることです。良い意味でお喋りになったりしている場合もあります。もっと話しするようしましょうなどと、意識してそうなっていったのではありません。自然に身体から変化してそうなっていくのです。

頭で学ぶのではないカウンセリング

 カウンセリングでは話し合いの中でクライアントが自分の感情をより正直に率直に出せるようになることが良くなっていくための基本の作業となります。もちろんその感情や情動は無理やりにでも出せば良いというものではなくて、それはクライアントとカウンセラーの二人で受け止め消化できる範囲でなくてはなりません。

 そのような点から、一番シンプルなカウンセリングの効果としてよくあるのが「話を聞いてもらいたくて来た。そして話してわかってもらったらスッキリしました」とサッパリすることです。自分の内面を深く掘り下げることなどはそれほどしないでも当面の心の苦しさが解消することでスッキリして「また困ったら来ます」などと一回の面接だけで済む人もいるのです。

 ところがそうでなくて「どうしたら良いか・・」などと問題を解決しようとして「頭で考える」方向に話しが向かってしまう場合があります。頭で考える作業も必要でとても大切なものです。でもそれはカウンセリングの本流とは違います。もちろんカウンセリング場面でも理性でシッカリと考え理解することがとても役立つ場合はたくさんあります。でも頭ばかりで考えてしまうと「~すべきだが、わかってもできない」などと感情や体感と離れて堂々巡りになってしまいがちです。

 他の心理療法機関で心理療法を受けていたというクライアントがよく来談されます。その中で私もよく知らないような難しい心理学用語を使って話しをされる方がいます。心理学用語は心の状態を表すのにピッタリの場合も確かにあるわけで、その言葉によって気づきが促進される場合もあります。けれどもそれとは違って知識だけが一人歩きしているふうな、実際の体験や感情とはほど遠いような話しっぷりなのです。

 これはその方の相手をしたカウンセラーに問題があります。カウンセリングや心理面接で話し合うさいに、理屈中心で直そうとしたのでしょう。頭だけが治ってしまったといえるかも。

 心理面接場面では、クライアントの本音や、シックリくるこないなどの「体感的な納得感」を大切にします。それによって上滑りにならない心理療法が進められるからです。それを怠ったのでしょうね。たぶん治療者が頭で学んだだけで心理療法を行っているのかも。または元々頭でっかちで生きている人だったのかも知れません。

 カウンセラーが、豊富な心理学の知識でクライアントの相手を(例えば心理分析や解釈などを)することがカウンセラーの主な仕事であると勘違いしている危険性が考えられます。心理面接場面でカウンセラーがそのような接し方を中心としていいると、熱心なクライアントほど同じように知的になろうとしてしまいます。その結果、こころとからだとがそれまで以上に複雑に乖離してしまうのです。

 またカウンセラーが「こうすればよい」とアドバイスをした場合でもクライアントが腹から納得できるものでなければ、実行する気になりませんから無駄なアドバイスに終わります。しかしもっと良くないのは、アドバイスされた言葉のようにしなければと自分のペースを無視してまで頑張ってしまうことです。

 この危険性の本質は、元々人が苦悩してしまう根本の原因でもある『心とからだがバラバラになって一体になれなくなってしまっている』こと。言いかえると知性で学習したことと、からだや心の深いところとが切れてしまって引き起こされる問題と同じなのです。

 とても皮肉なことですが、実は心と身体がバラバラになってしまっているがために悩み苦しんでいたわけなのに、その治療に行ったら、それに上乗せしてより複雑に心と身体をバラバラにされてしまう場合があるということです。

 悩んでいる人が今後をより良く生きていくようになるために、本物のカウンセリング(心理療法)ではクライアントが今まで顧みなかった自身の「こころやからだ」と良い関係が持てるように、そこと繋がることを目標にします。そのためには、すぐに治そうなどと、自分をコントロールしようとすることは一旦置きます。そして自分の心と身体をもっとよくわかろう、感じとろうとするのです。不思議なことにその方が急がば回れで、かえって早く良くなるのです。

カウンセラーはなぜ聴くばかりになるのか

 もう30年以上前の話ですが、催眠教室に勤め始めて催眠療法士としてクライアントに接するようになった私は、催眠療法だけでは心理療法として不十分なところがあるのがわかったのです。そこをなんとか克服しなければ、と模索する中でこれだ!と見つけたのがユング分析心理学派の河合隼雄氏の著書でした。

 その『カウンセリングの実際問題』という河合先生の本はその内容のどれもが素晴らしくて、その後私が本格的な心理療法の世界に入っていくきっかけになったのです。タイトルに、カウンセリングの実際問題とあるようにこの本は理論について書かれたものではありません。そしておもしろいことに日本で最初のユング派分析家であった河合隼雄氏のおはこであるユング心理学については全く触れていないのです。

 その当時ロジャーズ派のカウンセリングは全国規模で流行り、様々な人が学んでカウンセリングを実践するようになっていました。でも、カウンセリングを学ぶにあたって、形や理屈から入って学んでいくためか、実践でなかなか役立たないカウンセリングに終始してしまう人が多かったのでしょう。たぶん河合先生はそんな人たちにもっと実力をつけてもらいたいためもあってこの本を書いたように思えます。心理療法の先駆けとして、とにかく実際にクライアントに役立つことを一番に書かれた本です。

 私は河合隼雄氏の『カウンセリング実際問題』という著書に接して、二律背反の考え方(ものの見方)を学びました。そして物事をハッキリ断定できないで、弱いと思いこんでいた自分をかなり救えたと同時に、それまでより広い視野から物事を見れるようになったのでした。

 一面的な考え方やステレオタイプ的なものの見方に対して、うまく言葉にできませんでした。でも、どうもシックリこないなぁ、などと感じていたのです。例えば「テレビなどでは曖昧な言い方は視聴者受けしないので良くない。コメントは断定的に言う方が良い」という意見を聞いたことがあります。確かに時間の制限の中で場面を切り取っていくテレビ的には、ジックリ話しを煮詰めていく時間がないので単純なハッキリ断定した物言いが一見わかりやすいし、そのように表現する人物がまかり通ってもいますね。

 ところが『カウンセリングの実際問題』には、再三再四、二律背反性に関して書かれてあって「カウンセリングは二律背反性が多いのだから単純に物事を割り切って考えてしまうと失敗することが多い」といっているのです。そうなんです、カウンセリングでは断定的にものが言えない方が普通だったのです。

 傾聴などというように、正当なカウンセリングではカウンセラーは話を聞くだけに終始することが多く、断定的なことはほとんど言わないわけです。それには「本当にクライアントの気持ちが分かれば分かるほどに簡単にはものが言えなくなる」という深い理由があったのです。また可能性をより多く考えられるほどに、ひとつにハッキリ決めることもできなくなるのでさらに言えなくなるわけです。これは葛藤だらけ状態の中に身を置くということです。

 河合先生は他の本の中で「その子(クライアント)のいる世界の内側にとどまるということが大切」とも言っています。そこからすると、例えば沈黙に耐えられなくなった時など、クライアントの世界に寄り添うためにカウンセラーが話しをすることは必要なことではあります。でも下手なカウンセラーほど自分が早く了解して安心したいために自ら考えをつくり出してそれを話してしまうのです。

 同じ話をするにしてもそこには大きな違いがあります。クライアントの世界にとどまるための話は端的で短い場合がほとんどです。カウンセラー側が早く安心したくなっている場合の話は、理屈中心だったり、お説教ぽくなったりなど、話が長くなる傾向があります。

★参照ページ:『心理療法』『心の悩みや問題を乗り越えて行く道の地図と心理療法の実際


心の悩みや問題を解決する道の地図と心理療法の実際

はじめに

 このページは心理療法やカウンセリングに興味はあっても、まだ実際に体験したことがない方や、カウンセリングや心理療法に通ってはいるが、今一つシックリこない方。また過去にカウンセリングやその他の心理療法を受けたがあまり良い結果が得られなかった方などに読んでもらえたら、と思って書き出しました。でもかなり長文になってしまったので目次をつけました。

 目次をクリックすればその項目に飛びますので、良かったら興味があるテーマからすぐ読むこともできます。

1,心理療法と心が旅する道の地図
2,心の問題や心からくる症状はどのようにしてよくなって行くのか
3,一面的な解決策の問題点
4,理性で自分をコントロールするというやり方の問題点
5,あちらも立てて、こちらも立てる 多面的なあり方

1,心理療法と心が旅する道の地図

 心理的な症状や問題に悩まされている状況は、知らない土地で道に迷ってしまっている場合と似ています。道に迷った時に地図があれば大いに助かります。そこで心からくる悩みや問題を乗り越えたいと願っている方に、参考になる地図のようなものを作ってみようと思いつきました。目的地にたどり着くために地図を参考にするのと同じように、自分がどのように変化していけばよいかを把握できれば、心からくる問題解決の一助となるはずです。

 心からくる悩みや問題に苦しむ時、そのどうしてよいかわからない大変さは、知らない土地で道に迷うよりさらに大変かもしれません。なぜかというと、心が目に見えないものであることで道に迷った上に、暗闇の中を暗中模索で歩いているのに等しくなるからです。うつで苦しんでいたクライアントで「包帯を巻いている人がうらやましい」と語った人がいました。包帯を巻いていれば一目瞭然でその大変さが他の人にも伝わります。けれども心理的なものは、とても苦しく不安ではあっても自分自身でいったいどうなっているかよくわかりません。そのため、それを家族や親しい人にさえ、伝えたり解ってもらうことが至難のこととなるのです。何事も、解決に向かう道のりは、常に暗中模索から始まるものであることには違いないでしょうけれども。

 どうしてよいかわからくて行き詰ってカウンセリングに来談されたクライアントが、その解決の道を歩まれる過程は、それぞれに独特で一つとして同じものはありません。それもあってか、他の人が、こうしてうまく悩みを乗り越えたというやり方が、他の人の解決策としては役立たない場合が多いのです。おまけにこのテーマの後半で述べることになりますが、心の問題には二律背反が常に付きまとうためにハウツウ的な解決策がなかなか通用しないのです。

 アドバイスが役立たない理由は他にもあります。例えばよくあるのが親が子にするアドバイスがほとんど役立だたないことです。 時代の変化の影響で昔との価値観のギャップは大きく違っているのでほとんど役立たないといっていいでしょう。他にも友達や会社の先輩などに悩みを相談して「そんな場合は私だったらこうするな」とか「私はこうして解決したよ」などとアドバイスをもらっても、なかなかその通りには行かないし、役立たない場合が多いものです。それは人それぞれ、その人を支えとする価値観を持って生きているために、その価値観をなくしかねないものは簡単に取り入れるわけにはいかないからです。

 また人は、ある価値観を持って頑張って生きてきた場合、必ずその価値観の器では受け止めかねるような、ギリギリの感情や情動を体験したり、それらを受け止めかねて、心の奥にしまいこんでおかねばならなかったりします。そんな時には、いくら他に良い考え方や価値観があっても、それを新たに受け入れる余地はないのです。今までの自分の生きざまにまつわるさまざまな感情や、受け止めかねていた、不安や、怒り、悲しみなどの感情が表出され、それらを他者にちゃんと受け止められて、整理、解消がなされることによってはじめて新たなものを取り入れらるようになるのです。

 そんな自分の存在を根底から揺るがしかねない変化は、人によって、またタイミングによっても違ってきます。カウンセリングの場においてさへも、かなりの大仕事です。信頼できるカウンセラーとの協力体制によってようやくそれが可能になる場合も少なくありません。そんな心の作業が本格的な心理療法といえるでしょう。

 ところで先に価値観の器と述べましたが、物事を受け止めるさいに、受け止める側に強い思い込みや観念の偏りがあると、柔軟に物事を受け止めにくくなります。これの一番大きいのが先に述べてきた、人それぞれが持つ価値観です。この部分が変化すると、今まで認めることができなかったり受け止めきれなかった様々な感情や価値観を統合していくことが可能となったりもします。

 今回私のお勧めしたい心の地図はこの辺りを切り口にしています。そのキーワードは「価値観の変容」「心の成長」「一面的な思考から多面的な思考への転換」です。近年ビジネス界で言われ始めているマインドセット的な思考への転換です。マインドセットというのは「人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表している」というところから来ているようです。

 この地図は実は最近流行ってきた認知行動療法の認知に当たる部分と重なります。ただ実際の認知行動療法のように、思考の方から考え方を指示的に変えようとはしません。もちろんクライアントがそこに気づき、自ずから思考が変化して解決に向かうことは大歓迎ですが。

 地図はあくまでも地図なので、それを見ているだけではいつまでたっても目的地に着きません。目的地に達するには地図ではない、山あり谷あり雨、風ありの、実際の地を歩んでいかねばなりませんね。それと似ていると思うのですが、心理療法の実際では心の奥にしまってあった不安や怒りや悲しみなどの感情を解放することによって、一時的に心身の大きな揺らぎが起こる場合があるのです。それに取り組むのは慎重にも慎重でなければなりません。またそのエネルギーを受け止め象徴化していくという作業は根気もいるものです。そんなふうな理屈通りにはいかない実体験の中を、問題解決という目的地まで歩んでいかねばならないのです。

 旅をするさいには地図を見て、目的地までの道のりをまず頭で理解し目安をつけてから出発します。また、旅の途中で方向喪失感に至った時には、自分のいる所と目的地を再確認するために地図を役立たせます。それと同じに、目に見えないことから倍増する心の不安や、暗中模索の状態から少しでも抜け出て、心の旅(本格的な心理療法)を歩んでいけるように。そんなふうに、この心の歩む道の地図を役立たせてもらえたら、と願っています。

2,心の問題や心からくる症状はどのようにしてよくなって行くのか

 心からくる問題や症状が解消する過程をまず大枠から見ていくと「環境を変える」か「自分を変える」かの二つに大別できます。劣悪な環境にあることで心の悩みや症状が立ち起こってくるのは間違いありません。例えば、うつ病で休職していて、良くなったので仕事に復帰したらまた再発してしまった。という場合は、職場という環境にうつにさせる要素が大きくあることは確かで、職場を変わったらスッキリ良くなったという人はもちろん多いわけです。

 けれどもそれだけでなく、当人の職場などでの人間関係の築き方に無理がある場合もあって、そんな場合は部署を変えたり、仕事自体を変えてもまたうつになる可能性があります。うつは再発を繰り返しやすくて、良くはなってはまたひどく落ち込んで、と悪循環に嵌ってしまって抜け出せないで苦労している人が多い症状でもあります。うつ状態は心と身体が度を越して疲れた様子ですから、心身共に深く休息すれば必ず回復します。投薬も心身の深い休息を誘うきっかけのためのものといえるでしょう。けれども、無理な人間関係の築き方などのような、そうなりやすい癖というか、そうなりやすい心のあり方の部分が変化していないままだと再発してしまう可能性は高いのです。そこで「自分を変える」必要が出てきます。

 うつ以外の症状を持った方でも同じに、薬だけでは本当の解決にならないと考えて心理相談室に来談される方がいます。カウンセリングなどで、投薬とはまた別に「自分を変える」ことに取り組むわけです。その取り組み方は、個々人でそれぞれに違っていて千差万別ですが、あえて分けてみると、これも二つになります。一つはできるだけ「心身ともに深く休息できるようになる」ことともう一つは「そうなりやすい自分のあり方の部分を変える」ことです。この二つができれば再発は繰り返さないでやって行けるようになります。…心理療法は自分を変えるためにあるわけですが、その中にはもちろん自ら環境を変えていく力である、交渉力を育てることも含まれています…

 良くなっていく順番からいけば、まずは「前より深く眠れる」とか「心もホッと休まるようになってきた」などというようになる必要があります。悩んでいる最中は「とにかく、この問題が解決したらゆっくり休める」と、休むより先に問題解決をと思っているのが普通です。でも疲れが強すぎると、身体も脳も十分働かないので、空回りや悪循環から抜け出せることに取り組む力がでませんね。それに、より悪化しないためにも、いったん身体をリセット、リフレッシュすることは必要です。深い安らぎやリラクゼーションは心身の健康にとって必須のものです。ここでは割愛しますが、もう一つの方のホムペに『リラクゼーションと自然治癒力』というテーマのページがありますのでよかったら参考になさってみてください。

 そして休息して余裕ができてから、どのようにあれば、そうならないで良い感じでやっていけるようになるのかを、考えたり工夫していけば良いでしょう。しかし事はそれほどスムースにはいきません。まずちょっと休憩することができたなら、そこからあえて今ある自分の存在の根幹を揺るがしかねないような心の大仕事には、取り組む気がなくなる場合もあるのです。カウンセリングの中で、この問題は根が深すぎることに気づいて、とりあえず安定したところで終了された方もいます。基本的にはクライアントの自己治癒力の働きと「時が熟する」などというような流れに沿うことが大切ですから、それはそれで良いのかもしれません。

 けれども「窮すれば変ず、変ずれば通ず」という言葉があるように、今の自分が、問題や症状に切羽詰まって必死だからこそ、今までの在り方を変えようと動きやすいのです。いよいよ追いつまって来談されたクライアントで、カウンセリングの中でそれまでの逃げの気持から「やるだけはやってみよう」などと、立ち向かう気持ちに切り替わって何とかなった人は意外に多いです。

 自分に向き合い、本格的に変化させようとする時には、ユング心理学などで「死と再生」ともいわれるような象徴的な心の体験をする場合もあります。しかし本格的な心理療法にはやはり、それを受け止め処理できるだけの器がなくてははじまりません。それは心理療法の場では、カウンセラーとクライアントの相性にもよりますが、基本的には心理療法家やカウンセラーの力量いかんにかかってくるところが大きいのです。

 実際の心理面接やカウンセリングの場では逐一このように型にはめて取り組むものでもありません。どんな良いと言われる方法でも、それによって当人の自然治癒力が良く働くようにならなければそれは役立たないからです。 時には初回の心理面接をしただけで、その後に眠気がどっと出て一日中寝ていた。などと、身体がかってに深い休息に入るようなこともあります。また、カウンセラーに話を聞いてもらうとスッキリするので、只それだけを続けていたら、いつの間にか良くなっていた。ということもあります。 カウンセラーにわかってもらったことによって今までの緊張が急にほぐれたり、心が次第に開放的になっていくことなどで、知らぬ間に自然治癒力が良く働くようになって良くなっていったといえるでしょう。

3,一面的な解決策の問題点

 実際にカウンセリングや心理療法などを受けようとする時に気をつけねばならないのは、レベルの高いカウンセリングとレベルの低いカウンセリングがあることです。例えば「~すればよい」などのアドバイス的な解決策は、一見わかりやすく、専門家の意見だと思えば説得力がありそうに見えます。でもこれは低レベルの解決策となる場合が多いのです。「もっと自己主張をした方が良い」とのアドバイスを指示されたクライアントがそれを実行するとします。もちろんそれでうまくいく場合もあります。けれどもかえって反発を招いて、当人の人間関係をこじらしてしまう場合も起こりえますね。

 また素直なクライアントの中には、常にアドバイスされたやり方でやり通さねばと頑張ってしまう人もいます。すると柔軟性がなくなるために自分自身のペースとズレが生じてきて、ここでもうまくいかなくなります。このように書き出してみるとよくわかる話ですが、カウンセラーにアドバイスされてそれでしばらくやってみるが結局はうまくいかなくて、また他のアドバイスをもらって、などというようなパターンを繰り返しているカウンセリングも実際あるのです。特にカリスマ性のある権威的な心理療法家や治療者との関係において、本当には役立っていないこのような悪循環がよく起こりがちです。

 極端化した例えですが、今までは人に合わせる方でやってきていた人が、自己主張をした方が良いということで、今度は自分の方ばかりを優先しようとしてしまうというような、一面的な変化では本当の解決にはならないのです。一面的なやり方の失敗例はたくさんあります。例えばよくあるのが、親に厳しくされたから「ああはなりたくない、自分の子供にはとにかく優しくしよう」とし過ぎて時に厳しくせねばならない時にもそれができずに結局は子育てに失敗する場合などです。

 そのような一面的な解決策が通用しなくて行き詰っているからこそ、それを打破するためにカウンセリングや心理療法があるといえるのです。この一面的解決策の問題点と、それを乗り越えるための解決策は後半に詳しく検討します。

 カウンセリングや心理療法の成否は、カウンセラーや心理療法家の力量のあるなしにかかっているのです(もちろん時にはクライアント自身に力量があるので下手なカウンセラーでも何とかなったという場合もかなりあるようですが)。それはそうなのですが、他に知っておいた方がよいのは、心理療法の中で用いられる様々な心理技法は、そのどれもが必ず限界があるので、その影響も否めないというところです。いくら良い方法でも、その時々の心身のあり方に則したやり方でなくては役立ちません。

 私は心理療法は「カウンセリングに始まりカウンセリングに終わる」といえるくらいに話を聴くことをが一番大切と思っています。でも例えば、ボクシングの試合において選手が戦いにしり込みしているので、セコンドのコーチが彼を立ち直らせようとするとします。そのさいには、カウンセリングなどのように内省によって「いったいどうしてこんなに気弱になったのかふり返ってみよう。何か思いつくこと話してごらん」などと悠長なことをやっている暇はありません。それよりも「何を弱気になっているのだ、お前はすごい奴なんだ!私が言うから間違いない!」などと強く支持する言葉をかける方がずっと適切ですね。このような場面ではカウンセリング的な手法は全く役立たないのです。この例えでわかるように一番重要なカウンセリングさへ限界があります。

 その他の良いとされる心理技法もやはり万能ではありません。また、しばらく自分にマッチしたやり方(心理技法)であっても、心の方が変化したために、その心理技法のやり方はもう卒業となってしまうことも起こります。心の変化・成長過程によってその人に必要なものが違ってくるのです。

 最初はうまくいっていたカウンセリングなのに、堂々巡りになって深まらずマンネリ化したり、またカウンセリングに長く通っているのに、途中で収拾できない不安や混乱などが生じて、他のカウンセリング所を探すはめになったりする場合があります。それはまず、クライアントとカウンセラーで、心の問題を受け止め消化する器が充分でない場合が考えられます。そして最初うまくいっていたカウンセリングだったのにそうなった場合などには、先に述べたような、心の成長過程に沿った次へのステップアップが滞ってしまっている場合が意外に多いものです。クライアント(の自然治癒力)の方は(それと知らずして)次へのより良い変化に取り組みたい時期が来ているのに、カウンセラーの力量の足りなさと、その時用いている心理技法の持つ限界によって、深まりや進展が生じずにいるのです。

 話は変わりますが「心の成長」などというと何かおもはゆいですね。でも「自分が未熟だからこのようになるのかもしれない。何とか少しでも自分を成長させることで、この問題を乗り越えられるのではないか」と、今ぶつかっている問題を自分への試練として受け止めることは良い解決への第一歩です。もちろんこの場合の、自分が未熟というのは自分に価値がないと否定することとは全く違います。そのように思って自分自身に目を向けてみると、思った以上に偏った思い込みがあったり、狭い価値観にとらわれていたことなどに気づけたりします。するとそれらから解放されるとともに、楽になって等身大の自分でのびのびやっていけるようになります。

4,「理性で自分をコントロールする」というやり方の問題点

 一面的な解決策の問題点の所で述べたところと重なるのですが、ここでは少し視点を変えて、自分自身との関わり方を中心に考えてみましょう。

 学校では「よく考えて答えを出しましょう」と、それが人間の用いることのできる、最上の手法であることを強調します。確かによく考えて答えを出すというやり方の最たるものである科学技術の恩恵によって、人は昔に比べてずっと便利に、安全に暮らせるようになりました。そこで人は、科学によって地球の自然をコントロールしてきたのと同じように、自然の一部である自分の心と身をも科学的にコントロールできると思いこんでしまうのです。

 けれどもはたしてそうでしょうか。よりよくコントロールしてきたはずの地球環境をかえりみても、加速度を増す温暖化の兆候に伺われるように、自然破壊はすでに後戻りできないゾーンに入っているやもしれないのです。それと同時進行で、デジタル化による心身への浸食も進み続けています。いやしかし、人間は科学がそれほど発達していなかった古代においても、突き詰めると言葉と想像力というものを持った時点で、自然の一部である心身とは矛盾する生物となったのです。言葉のもつそんな二律背反性の理解は現代においても未熟なままです。人はそんな盲点などつゆとも知らずに言葉を使い続けています。そして時には言葉や想像したことの方こそが、あたかも大切であるかのように勘違いしてしまうのです。

 「よく考えて答えを出す」のはとても大切なことに違いはないのです。違いないのですから更に、よく考えて良い答えが出るように知性を洗練させていく必要があります。そこでまず「よく考えて答えを出す」という手法自体を、よく考えてもっと洗練させていくことを以下に試みてみましょう。

 例えば、何々すれば良い、と決めて自分をコントロールしようとして、一面的なやり方で頑張りすぎると、体のリズムやペースとのズレが必ず起こってきます。非常にまじめな人で、夜ベッドに入ってから明日の仕事などの計画をする人がいます。そして朝早くに仕事が入った場合には「明朝は早く起きなければいけないな」などと思います。そのさいに自分(の心身)が信じられないと目覚まし時計をかけるくらいでは安心できなくなります。身体に委ねられないぶん眠りが浅くなったり、寝過ごさないようにとどこかで頑張ってしまいます。心底休めなかった心身の疲れは蓄積して心身の不調となっていきます。

 自分を理性でもってコントロールすることは人として時に必要です。でもそれが極端になると「からだに任せきると、怠けてしまう」などと自分の心身を信用できない、性悪説や自己否定感が潜んできます。すると、まるでいつも一緒にいる友人なのに実は嫌い、というのと同じに、本当の意味で自分自身と良い関係を持てなくなります。それが高じて疲れた馬に鞭打って倒れるまで走り続けるのと同じような生き方になってしまう場合もあります。

 身体にはからだのリズムやペースがあります。その身体を信じて任せておけばスムースに行くものを、うまくやろうと意識しすぎると、からだが本来身につけている実力の発揮をさえぎって努力逆転します。また理性による思考は、アナログ対デジタルで分ければデジタル(合理的思考)になりますが。そこでは効率よく結果を出すことが全てとなります。途中はなるべく省いてでも目標に到達すればよいという、情や遊びのない手法を自分自身にも当てはめて、よい結果が出せなければ全てが駄目、無駄という救いがないものになるのです。

 レベルの低い解決策の説明のところで述べた「こうすれば良い」というアドバイスは、この理屈(理性や頭)でもって自分の心身をコントロールしていく手法に属するわけです。そのため、アドバイスというものはその根底に、ここに述べてきたような、自分の心身との不調和という問題もはらんでいるわけです。確かにアドバイスをもらってそれでうまく解決する時もあります。しかしそれば一時的な解決にとどまりがちで、根底からの解決にはなりえなかったりするのです。

 「よく考えて答えを出す。という手法自体をより洗練させていく」というのはどんなことなのか。今度はそれを具体例をあげながら試みてみましょう。

 「自分は話が下手で会話が続かず、人と話すのが苦手です」という人がいます。当人は「他の人のように会話をうまく進められない自分は人より劣っている」と劣等感を抱いています。けれども話し下手なのは事実としても、そんな自分が他人より劣っているというのは勘違いなことが多いのです。むしろ逆に人より頭がよくて良くいえば思慮深かったりします。

 例えば子供が大勢遊んでいる中に一つのボールにさまざまなお菓子を一緒に入れて「皆で食べてね」と大人が置いて行ったとします。すると、周りに気を使わない自分中心な子供は、さっさと自分の好きなお菓子を取って食べます。けれども、周りに気を使ったりなどと、いろいろ考えが回る子供はそんなことはできません。「幾つくらい取れば多すぎず、少なすぎず平均になるかな…大きさとかいろいろあるから他の人と取り合いになったらまずいな…」などといろいろ考えてしまいます。いろいろ考えている分、迷って、言葉にしたり行動することは遅くなります。その結果、それほどの考えのない子供たちが自分の欲しいものを我先にと取った後の、残りのお菓子から自分の分を選ぶことになってしまうのです。

 よくよく考えてみると、いろいろ考える「能力」があるからこそ迷ったり悩んだりが多くなるのは確かなのです。話が苦手な人や人の中で気を使って楽に動けないで悩んでいる人は、ハッキリ物を言ったりする人や、すぐ行動できる人の方が賢くて、自分は劣っていると思い込んでいます。しかし本当は逆だったりもするのです。そうでなくても自分のことを優先するか、他を優先するかの違いだけだったりします。…この「能力がある」というのは、精神療法に精通した精神科医である神田橋條治先生が、一見否定的なことがらでも「~能力がある」と付け加えると肯定的なものに変化させることができるよと提唱したものです…

 この辺りのことがよくわかってくると「なんだ、自分は他人より劣っているわけではないんだ。自分はいろいろ考えているから迷うし、言葉にするまでに時間がかかるんだな」と思えてきます。「話をするにしても行動するにしても、早くしないと、と思うのはいろいろよく考える自分のペースに合ってないのだな。これからはそんなふうに、いろいろ考える自分の持ち味にあった会話術を身につけていこう」と思えれば、自分の持ち味を積極的に生かしていけるでしょう。

5,あちらも立てて、こちらも立てる 多面的なあり方

 さてここで先ほど、子供たちが大勢いる所へ大人がお菓子を置いて行った時、自分の気に入ったお菓子を取り損ねてしまう子供の例え話しをしました。次に、その子供がどうあれば良い感じでやれるようになるかを考えてみます。子供のことに例えてはいますが、このテーマは心理面接でクライアントが行き詰った壁を乗り越えよとする場合のテーマと同じです。人間関係に絞っていえば、心の問題の内容や症状の違いに関係なく、ほとんどの人がこれと同じテーマ苦しんでいるといえるでしょう。

 子供たちが大勢遊んでいる所へ大人が、一つのボールに盛ったお菓子を持ってきて、みんなで食べなさいと言った。そこにいた子供の中で、いろいろ気づかったり考えすぎて行動が遅れてしまい、残り物のお菓子から自分の分を選ぶはめになりがちな子供。彼はどのように変わればよいのか。そのさい「自分一人でお菓子を独占してしまう」その逆に「もう自分は残り物で良いと諦めきる」という手もなくはないです。でもこの二つの方法は現実的でないので除外します。

 わかりやすい解決策としては、自分も他の子供と同じように積極的にお菓子を取るようなれば良い、というのがあります。確かに現実にたくましく生きて行くには弱肉強食ではないですが、自分中心のやり方を身につけるのも必要かもしれません。でもせっかくいろいろ考えられる人なのだから、より思慮深く考えて、より良い解決策を身につけたいものです。それに自分中心のやり方は「一面的なやり方の問題点」のところで取り上げて検討したのと同様の問題をはらんでいてベストな解決策とはいえません。

 「あちらを立てればこちらが立たず」という言葉がありますが、やはり「あちらも立てて、こちらも立てる」のでなければ本当に良い解決とはいえないのではないでしょうか。けれども二者択一の方が解りやすいために心理療法の場面でさえ、先の章で述べたように、ただ自己主張すればよい。などとレベルの低い一面的な意見がまかり通ったりしています。

 理想的な解決策として思いつくのが、勇気のいることですが皆を制して「みんなで平等に分けるようにしようよ」などと発言して自分の考えをアピールすることです。それが通れば、全員に平等に行き渡るようにお菓子を分けるとかできて自分も満足できます。こちらの方はリーダーシップ能力まで発揮した素晴らしい解決策です。一人では発言できなくとも傍にいる友人に自分の考えを話して協力し合って、そうなるように工夫する手もあります。

 このやり方は消極的な子供にはハードルが高いでしょう。この点からも「あちらを立てればこちらが立たず」というテーマがいかに難問であるかが見えてきます。でもそうはできなくても「相手のことや周りのことなどを、いろいろ考えられるのは良いことだし、それで行動が遅れるのは自然なことなんだ」などと、自分の持ち味を大事にできるようになったなら一歩前進ですね。そしてそんな自分の持ち味を生かした解決案を工夫していけるようになってほしいものです。

 ところで一面的なあり方を多面的なあり方に変えて行こうとするさいに、とても厄介な問題があります。それは同一化(一体化)などといわれている心の状態のことです。等身大の、長所も欠点もある人間としての自分と、こうあるべきという理想像との区別がつかなくなっているのです。生まれ育ってくる過程にあって、等身大の自分で居ることが許されなかったのか、それともあまりにもまじめに、人はこうあるのが良いのだと自分で思って、そうなろうと頑張り続けたのか。それがまるで自分の全てとまでなっている場合もよくあります。

 そうなるとその価値観から一歩でも外れるとか、その在り方に反してしまうと存在意義をなくすることになるので、それらをつゆとも認めることはできなくなります。また「私はこういう考えを持っているけど、あなたはどんな考えなの」などというような共存共栄的な態度も持てなくなります。自分も他人も含めてその理想像にそぐわなかったり、他の価値観をよしとすることは自分の死に値するのです。そこでどうしてもありのままの自分も、他者も否定せざるを得なくなります。また一体化しているので、それ以上客観的に見ることはできなくなり、カウンセリングなどで内省すること自体が困難となります。でもだからこそというか、自分がどのような価値観で生きてきたのか、それに縛られていたのかが明確になるだけでも、自分を救えたり楽になったりもするわけです。

 さて、どのような心のあり方が人として健康的なのか、神田橋條治先生は著書の中で「心の健康の理想形は混沌に酷似している」とか「葛藤能力を具えた健康な人格の育成…」などと多面的なあり方をよしとして述べています。冒頭でも述べましたが、ビジネス界で近年注目されいるマインドセットという考え方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから来ているようです。これは神田橋先生のいう混沌的あり方と同一のものといえるでしょう。

 また河合隼雄先生は、ある本の中で「人間性の中に必ずこういう二律背反的なダイナミズムがある。そのダイナミズムを通じてこそ、われわれは、そのれよりも高い次元のものを創り出すことができるのです。ひとつの状態に安閑としているのでしたら、これは別にカウンセリングを受けにくる必要はありません」と述べています。この意味をちょっと言い換えると「人が様々な問題にぶつかって悩んでいること自体に、すでに高い次元のものを創り出すための下地がある」と言っているように思います。河合先生はそののちに、人生で遭遇する様々な受け止めがたい災難なども含めて、それらをクリエイティブ・イルネス(創造の病)として受けとめることを提唱しています。それは、問題を抱えて悩んでいる一人ひとりが、その人の持ち味を発揮(創造)して問題を乗り越え心豊かに生きて行く可能性を持っているのだということのようです。

 心からくる悩みや問題を乗り越えたいと願っている方に、参考になる地図のようなものを作ってみようと思って書き出してみたら随分と長文になりました。その分、読み取りにくい地図になってしまったかもしれないですが。また、これはあくまでも地図なので、実際にこのように変化していくための心理療法は時に大作業となります。旅にあっては、たとえ順当な旅であっても山あり谷ありと、地図とは違う実際の地を行くことになりますね。

 一時的にですが自己主張がとても強くなった時期に、そんな自分を「私は今鬼です」と言って、怒りでいっぱいな自分を悲しげに語りながらも、しっかりと決着をつけて行かれた、純粋で心根の優しい女性を思い出します。心の問題解決までの旅では特に、感情の嵐などの悪天候に遭遇することも多々あります。でもそんな大作業に取り組んで、ほんとにのびのび爽やかになって行かれるの方もいて、何か、おごそかな気持ちになることさへあります。

★参考ページ:『当相談談室でおこなっている心理療法