「今を生きる」とは カウンセリング マインドフルネス 禅

私の在り方

私は、小さい頃から頭で合理的に計算して操作コントロールすることで物事を成し遂げていく近代科学主義による考え方を取り入れ、理性的であらゆることを、コントロールできる人間にならねばと頑張ってきたのでした。ここには私の父親が農家兼業の大工であったというような「物をうまくキチンと仕上げる職人」だったことの影響が加味されたので、その完全主義のこだわり具合は何倍にも増幅されたようです。

要するになんでも合理的にうまく要領よくやることが癖づいていました。自分を表現する時は常に、他人が感動するようにうまくやらねば、とそこが一番の目的となってしまっていたのです。いわゆる良い格好しいですね。

このような生き方を突き詰めていくと、例えば絵を描くにしても自分の描きたいように描くことは下手の極みだからもってのほか。となります。例えば高校時代に思いついて書き始めたラブレター。それは素直に相手に対する自分の気持ちを書き現すことなのに。うまくやりたい私は、自分の気持ちから遙か離れて「彼女がこの文章を読んで感動しするには?自分を好きにさせるにはどう書いたらよいだろう?」などと考えながら書くわけです。これでは筆が進むわけありません。一ページ書き上げるのにどんだけの時間がかかったことか。

ところで私は昔し、催眠療法士になりたてのころ催眠療法だけの治療方法に飽き足らずに外部にカウンセリングを学びに出かけました。実際にカウンセリングを学びに行こうと捜して見つけたのは、カール・ロジャーズのカウンセリングで日本で一番古くからある神奈川カウンセリング研究会でした。暖かく迎え入れてくれたそのカウンセリング勉強会で私は大きく自分に役立つことを学べたのです。そのことはその後、今も、そして死ぬまで深め追求していかざるを得ないような課題ともなるものでした。

それは「今、ここ(Here and Now)」での経験です。「今ここにあること!」それまで全く知らずにいた今の大切さをカウンセリングを学びはじめて知ったのでした。

カウンセリング勉強会に参加し始めのころ、先輩達が目の前のメンバーについて「今ここに居ない、居る」という話しをしているのです。私は内心「え?そこに居るじゃん、なんで居ないになるの?わかんないよう、、」と不思議にも不思議だったのです。・・・それが何かと聞くのは話しの流れを止めるようだし、第一格好悪いからニコニコと笑顔だけでやり過ごしたのでした。 その後しばらくたってようやく気づいた「身体はここにあっても心は宇宙の果てにある人もいるのだ」ということ。これは大発見でした。こんな大事な事をなんで学校で教えないのでしょうね。

ロジャーズのカウンセリングで強調されるこのHere and Nowの考え方はパールズのゲシュタルトセラピーでも基本概念です。「クライエントの今の存在(client’s being)に正確に敏感であることが、 セラピィという瞬間瞬間の出会いのなかで最も重大なことである」とも言い「このようにして、クライエント中心のセラピストは、クライエントの今ここでの現象の世界 (immediate phenomenal world) に集中することを目指している」とも書いてあります。

「今、ここ」これは自分のあり方の基本に戻ることでもあります。それは人がイメージすることによって今を離れて過去の思いにとらわれたり未来の想像に惑わされたりすることから目覚めることでもあります。今に立ち返りそこから始めることは自分を取り戻すことでもあるので、よって立つ自分の基軸を得たことにもなるのです。逆に今を離れることはバーチャルの世界に住むことであってこの世を本当に生きたことにはならないのですね。それに気づくまでは私は地図の方を大切にして、理屈・概念の世界中心に生きているつもりでした。

そんな私でしたがカウンセリングの学びの場で「今」の大切さを知ってから、今の瞬間の思いや感情からはじめて自由連想ふうにノートに書きとめてみたのです。「あぁ、今、文を書こうと思いついて書き始めたけどどう書いたらいいだろう、書くの嫌になってきたな、、」てなわけです。面白いことにこのように今の自分を実況中継するようなやり方で書き出していくと気持ちがスッキリしてくるのです。

私はこのことによってようやく意識的に自分の感情を表に出す言語化ができるようになりました。またそれは、今現在のありのままの自分を受け止め、それら繋がるようになるための突破口ともなったのでした。その後、窮地に立ったり追い詰まる感じになるたびに、この「Here and Now」を基準として自分の気持ちを書き出しながら整理していくことを度々試みたものです。それはその時々の苦しい状況を切り抜ける大きな一助となったのでした。

その頃からずいぶん時がたって今現在、カウンセラーとしての仕事の時に「今どんな感じ?」と(自分やあなたに)問いかけて耳を澄ませてみる。このように言葉に出さなくても、これがカウンセリングや心理面接などの場において通底して流れているようになったと思っています。

「今」とは、意識で問題として取り上げて何とかしようなどとできるようなものではない

私は「今」が本当に大切と知ったわけだし、今、今、瞬間をより充実して生きていけるようになりたい!どうせなら行き着く所まで行ってみたい。それには悟らなければならない。と思いました。そして幾度も禅の修行に取り組んでみては「雑念・煩悩多いなあ、無理かなぁ、、」と飽きて諦めてしまう。しばらくたつとまた、よし悟ってやるぞと頑張ってみる。というのを繰り返してきました。そして最終的には諦めの境地に到達しました。今現在は「今」は意識で捕まえられないのだ、捕まえようとするのも、自分を良くしようと思ったり、動いたりすること自体が、今の自分から離れている。仕方ない諦めよう。今の自分、ありのままいれば良いのだ。というような感じでいます。

こんなふうに私は、催眠やカウンセリングや心理学から禅修行まで体験学習してきました。そんな中で次第にわかったこと。それはカウンセリングの「今、ここ」は実は本当の今ではないということです。今ここに集中すると言ったら、もうとっくに本当の今は過ぎ去っていますよね。本当の「今」は禅でいう只今(ただいま)とか即今(そっこん)との言葉でいう辺りになります。日本にはカウンセリングや心理療法よりもずっと古くから「今」を強調した禅があります。禅での「今」の追求はカウンセリングなど心理療法の比ではなくずっと過激です。 禅問答で問うているのは言葉以前、意識化以前のところなので、言語化が命であるカウンセリングや心理療法よりずっと先の、手をつけられないところにあるのです。

今には手出しできない 諦めの境地

今を生きるとは、言葉以前なのですね。今を生きようと思った時にはもう今はなくて次の(今を生きようと思ったという)今が来ているということになります。意識に持ってきた時、言語化、文章化などした時にその「今」はすでに過ぎ去っているわけです。ということは言語化、意識化することが主たる作業であるカウンセリングや心理療法では本当の今は過ぎ去っているわけです。

禅では、今を生きるためには「意識を動かしてはならない」と言います。ということはマインドフルネスやフォーカシングの手法のように今に集中しようとすることさへ間違っていることになります。その在り方を強いて言葉でいえば「何もしない。ほったらかし」ということになります。それはどちらかというとお手上げ状態に近い感じです。下手すると「何もしないようにしよう」として、またそこに動きが出てしまうのです。

私はハッキリした悟り体験はありません。ただ、問題を取り上げようとか、上手くやってやろうとかの意識的な動きは、諦めの境地からなくなりました。今のありのままの自分で行くしかない。というか、ありのままの自分で良いのだ。と決着はつきました。禅修行をはじめた当初の、坐禅で悟って立派な人格者やカリスマとなって皆に賞賛されたいとの目標とは真逆の所にたどり着いてしまったわけです。

一般には禅修行が深まると落ち着きが出てより理性的になるようなイメージがあると思います。ところが私の場合は真逆で(歳のせいもあるかもしれませんが)カウンセリングの体験学習と坐禅修行で感情が出やすくなって喜怒哀楽が強くなって子供心が強くなった感じがします。なので苦しい時は以前よりずっと苦しいくらいになります。そんな時はフーフーハーハー苦しいまま座ったりしています。苦しくても頭使って楽になろうとはしないでいます。以前より精一杯生きてる感じです。するとそれなりに納まりがついたり、なるようになったり、ふと閃いたりもあります。中国の易経にある「窮すればすなわち変ず、変ずればすなわち通ず」ということが起こりやすくなったようです。

★参考ページ:『自分を知るための心身相関図 催眠・禅・意識の勘違い』『心全体の構造図 フロイト・ユング・マインドフルネス・禅


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