カウンセリングで本当に良くなるの?

話をするだけでなぜ良くなるのか

 話をするだけでは悩みは解決しないのでは、と思われる方は少なくはありません。でもそんな人でも、友達や誰かに自分の話をピッタリわかってもらった時、思わず自分の声が弾み、その後の話に勢いがついてくることを、それと知らずにでも経験したことがあるはずです。その時に心が解放されて、のびのびエネルギーが動きはじめたのです。

 信頼できるカウンセラーにだと話を聞いてもらった時『なるほど』と言ってもらうだけで、今まで不安定だった心がスッとおさまり、落ちついて来たり楽になったりします。このような事からも、カウンセリングがかなり役に立ちそうに思えてきます。

 人にわかって(共感して)もらうことはとても心地よく良いものです。安心感で包まれホッとします。そして立ち向かう勇気が出てきたりもします。共感はすごいパワーを秘めているのです。それが常に基本にあるのがほんとうのカウンセリングといえるでしょう。

 もちろん人の心はなかなか、わからないものです。でもクライエントの身になって、なんとかそれをわかろうと努めるのがカウンセラーの役目です。かといって心あるカウンセラーなら無理矢理人の心に入り込もうとはしません。クライエントの方も話したくないことを無理に話す必要もありません。わかってもらったからこそ、そこで自然に次へと話したくなったり、深まっていったりします。そうして心の整理が進むのです。

 このようにわかってもらえる人(信頼できるカウンセラー)とともに一緒に取り組んでいくところから、心的パワーも強まり、悩みや問題を解決することができるようになっていきます。

 現代ではさまざまな心理技法がありすぎる位にあります。でもそのどれもが治療者側のクライアントへの共感しようとする態度を強調しています。それがあってこそ、その技法の持つ治癒力を最大限発揮できるからなのです。

 心の専門家にカウンセリングで話しを聞いてもらうということは慣れないうちはかなり勇気のいることです。実際にはそんなことはないのですが、面接の前には自分のことが見抜かれてしまうのでは。などと不安になる場合もあります。実際に会って話してみたらそんな心配はどこかに行ってしまって楽に話せるものです。

カウンセリングといっても色々あるそのやり方

 カウンセリングという言葉は、心理療法とは直接に関係のないような、例えば美容関係の案内文の中にも「カウンセリングを行ってから・・・」などと使われていたりします。ですから一口に「カウンセリング」といっても中身は全然違っています。 心の治療分野に限っても様々な派があって、同じカウンセリングといっても、その手法はずいぶんと違っているのです。

 霊感的なものをクライアントの問題解決に用いるというスピリチュアル・カウンセラーもいますね。 また同じ派内においても心理療法家個人個人でそのやり方はかなり違ってきたりもします。

 当相談室で用いている「カウンセリング」は、米国のC.R.ロジャーズの始めた「来談者中心療法とか、パーソンセンタードアプローチ」などと呼ばれる、援助技法を手本としたものです。カール・ロジャーズを手本としたカウンセリングではカウンセラーは聞き役一方になることはかなり多いです。それはカールロジャーズの提唱したテクニック上からそうなる場合もあれば、よくよくクライアントの話を聞いているとそうそう簡単にアドバイスができなくなることも多くなるので、そうなるのもあるわけです。

 でもカウンセラーが聞き役一方でも、本当に気持ちをわかってないで上辺だけで聞いているなら、真剣に話してるクライアントは直感で、あ、この先生はわかってないな、と感じられたり、自然にもう話す気持ちが失われてしまいます。

身体から変化していく

 普通はクライアントはしばらく話しをすれば治療者の良いアドバイスを聞きたくなります。ロジャーズの提唱したやり方にのっとっていない治療者だとそれに対してアドバイスをしてくるか、またはその治療者の依拠している心理技法を用いて解決することを勧めてくることが多いでしょう。

 でもアドバイスというものはどうしても知的になりがちです。カウンセラーから良いアドバイスを聞いてクライアントがそれを用いて良くなったとすれば、それはよほどクライアントに現状を変えていく力があったからか、かなり簡単な問題だったからです。アドバイスが役に立たないからこそカウンセリングをするのだといえそうですよ。

 機械を動かすのなら正しい取り扱い方の載っているマニュアルがあります。でも心の問題はそのような頭で操作するところとは別にあって、その解決も不思議に頭で思い描いていたのとは別の所からもたらされるのです。そのようなハウツウ的なものでないカウンセリングや心理療法での本当の効果は頭(理性)より身体から先に現れてくると言えます。意識で治った!などと思っていても身体は全く変わっていない場合があるのです。

 例えば良くあるのは、カウンセリングを受けていたら、本人はそれほど自覚がないままに前より周りに積極的に働きかけることが多くなっていたりすることです。良い意味でお喋りになったりしている場合もあります。もっと話しするようしましょうなどと、意識してそうなっていったのではありません。自然に身体から変化してそうなっていくのです。

頭で学ぶのではないカウンセリング

 カウンセリングでは話し合いの中でクライアントが自分の感情をより正直に率直に出せるようになることが良くなっていくための基本の作業となります。もちろんその感情や情動は無理やりにでも出せば良いというものではなくて、それはクライアントとカウンセラーの二人で受け止め消化できる範囲でなくてはなりません。

 そのような点から、一番シンプルなカウンセリングの効果としてよくあるのが「話を聞いてもらいたくて来た。そして話してわかってもらったらスッキリしました」とサッパリすることです。自分の内面を深く掘り下げることなどはそれほどしないでも当面の心の苦しさが解消することでスッキリして「また困ったら来ます」などと一回の面接だけで済む人もいるのです。

 ところがそうでなくて「どうしたら良いか・・」などと問題を解決しようとして「頭で考える」方向に話しが向かってしまう場合があります。頭で考える作業も必要でとても大切なものです。でもそれはカウンセリングの本流とは違います。もちろんカウンセリング場面でも理性でシッカリと考え理解することがとても役立つ場合はたくさんあります。でも頭ばかりで考えてしまうと「~すべきだが、わかってもできない」などと感情や体感と離れて堂々巡りになってしまいがちです。

 他の心理療法機関で心理療法を受けていたというクライアントがよく来談されます。その中で私もよく知らないような難しい心理学用語を使って話しをされる方がいます。心理学用語は心の状態を表すのにピッタリの場合も確かにあるわけで、その言葉によって気づきが促進される場合もあります。けれどもそれとは違って知識だけが一人歩きしているふうな、実際の体験や感情とはほど遠いような話しっぷりなのです。

 これはその方の相手をしたカウンセラーに問題があります。カウンセリングや心理面接で話し合うさいに、理屈中心で直そうとしたのでしょう。頭だけが治ってしまったといえるかも。

 心理面接場面では、クライアントの本音や、シックリくるこないなどの「体感的な納得感」を大切にします。それによって上滑りにならない心理療法が進められるからです。それを怠ったのでしょうね。たぶん治療者が頭で学んだだけで心理療法を行っているのかも。または元々頭でっかちで生きている人だったのかも知れません。

 カウンセラーが、豊富な心理学の知識でクライアントの相手を(例えば心理分析や解釈などを)することがカウンセラーの主な仕事であると勘違いしている危険性が考えられます。心理面接場面でカウンセラーがそのような接し方を中心としていいると、熱心なクライアントほど同じように知的になろうとしてしまいます。その結果、こころとからだとがそれまで以上に複雑に乖離してしまうのです。

 またカウンセラーが「こうすればよい」とアドバイスをした場合でもクライアントが腹から納得できるものでなければ、実行する気になりませんから無駄なアドバイスに終わります。しかしもっと良くないのは、アドバイスされた言葉のようにしなければと自分のペースを無視してまで頑張ってしまうことです。

 この危険性の本質は、元々人が苦悩してしまう根本の原因でもある『心とからだがバラバラになって一体になれなくなってしまっている』こと。言いかえると知性で学習したことと、からだや心の深いところとが切れてしまって引き起こされる問題と同じなのです。

 とても皮肉なことですが、実は心と身体がバラバラになってしまっているがために悩み苦しんでいたわけなのに、その治療に行ったら、それに上乗せしてより複雑に心と身体をバラバラにされてしまう場合があるということです。

 悩んでいる人が今後をより良く生きていくようになるために、本物のカウンセリング(心理療法)ではクライアントが今まで顧みなかった自身の「こころやからだ」と良い関係が持てるように、そこと繋がることを目標にします。そのためには、すぐに治そうなどと、自分をコントロールしようとすることは一旦置きます。そして自分の心と身体をもっとよくわかろう、感じとろうとするのです。不思議なことにその方が急がば回れで、かえって早く良くなるのです。

カウンセラーはなぜ聴くばかりになるのか

 もう30年以上前の話ですが、催眠教室に勤め始めて催眠療法士としてクライアントに接するようになった私は、催眠療法だけでは心理療法として不十分なところがあるのがわかったのです。そこをなんとか克服しなければ、と模索する中でこれだ!と見つけたのがユング分析心理学派の河合隼雄氏の著書でした。

 その『カウンセリングの実際問題』という河合先生の本はその内容のどれもが素晴らしくて、その後私が本格的な心理療法の世界に入っていくきっかけになったのです。タイトルに、カウンセリングの実際問題とあるようにこの本は理論について書かれたものではありません。そしておもしろいことに日本で最初のユング派分析家であった河合隼雄氏のおはこであるユング心理学については全く触れていないのです。

 その当時ロジャーズ派のカウンセリングは全国規模で流行り、様々な人が学んでカウンセリングを実践するようになっていました。でも、カウンセリングを学ぶにあたって、形や理屈から入って学んでいくためか、実践でなかなか役立たないカウンセリングに終始してしまう人が多かったのでしょう。たぶん河合先生はそんな人たちにもっと実力をつけてもらいたいためもあってこの本を書いたように思えます。心理療法の先駆けとして、とにかく実際にクライアントに役立つことを一番に書かれた本です。

 私は河合隼雄氏の『カウンセリング実際問題』という著書に接して、二律背反の考え方(ものの見方)を学びました。そして物事をハッキリ断定できないで、弱いと思いこんでいた自分をかなり救えたと同時に、それまでより広い視野から物事を見れるようになったのでした。

 一面的な考え方やステレオタイプ的なものの見方に対して、うまく言葉にできませんでした。でも、どうもシックリこないなぁ、などと感じていたのです。例えば「テレビなどでは曖昧な言い方は視聴者受けしないので良くない。コメントは断定的に言う方が良い」という意見を聞いたことがあります。確かに時間の制限の中で場面を切り取っていくテレビ的には、ジックリ話しを煮詰めていく時間がないので単純なハッキリ断定した物言いが一見わかりやすいし、そのように表現する人物がまかり通ってもいますね。

 ところが『カウンセリングの実際問題』には、再三再四、二律背反性に関して書かれてあって「カウンセリングは二律背反性が多いのだから単純に物事を割り切って考えてしまうと失敗することが多い」といっているのです。そうなんです、カウンセリングでは断定的にものが言えない方が普通だったのです。

 傾聴などというように、正当なカウンセリングではカウンセラーは話を聞くだけに終始することが多く、断定的なことはほとんど言わないわけです。それには「本当にクライアントの気持ちが分かれば分かるほどに簡単にはものが言えなくなる」という深い理由があったのです。また可能性をより多く考えられるほどに、ひとつにハッキリ決めることもできなくなるのでさらに言えなくなるわけです。これは葛藤だらけ状態の中に身を置くということです。

 河合先生は他の本の中で「その子(クライアント)のいる世界の内側にとどまるということが大切」とも言っています。そこからすると、例えば沈黙に耐えられなくなった時など、クライアントの世界に寄り添うためにカウンセラーが話しをすることは必要なことではあります。でも下手なカウンセラーほど自分が早く了解して安心したいために自ら考えをつくり出してそれを話してしまうのです。

 同じ話をするにしてもそこには大きな違いがあります。クライアントの世界にとどまるための話は端的で短い場合がほとんどです。カウンセラー側が早く安心したくなっている場合の話は、理屈中心だったり、お説教ぽくなったりなど、話が長くなる傾向があります。

★参照ページ:『心理療法』『心の悩みや問題を乗り越えて行く道の地図と心理療法の実際


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