あがり症克服のコツ(1~9)

 このブログページには、電子書籍として作成した「あがり症克服のコツ 1~17」の前半部「その1~9」までを無料でアップしてあります。 1ページ内にまとめてありますが、読みたいところだけ読むこともできるように、目次にリンクを貼りました。興味ある目次をクリックして、そこを読んで頂いたりしながら入り込んでいただければ取っ付きやすいかと思います。

その1 はじめに
その2 なぜあがってしまうのか
その3 どうすれば良いかを先に言うと
その4 具体的な葛藤事例
その5 慢性化したあがり症の場合
その6 よいアドバイスが全く役立たない場合も
その7 真面目で正直な人ほどあがる
その8 本来の目的を見失ってしまう 1
その9 本来の目的を見失ってしまう 2

その1 はじめに

 私の営んでいる横浜心身健康センター心理療法室には心から来るさまざまな問題で悩んでいる方がその解決のために来談されています。そしてその中にはあがり症やスピーチ恐怖症で悩んでいる方もかなりの数にのぼります。

 人前であらたまってスピーチをしたりすると、ひどく緊張して動悸が強くなり、赤面したり体が震えたり、頭が真っ白になったりして、人前でこうありたいと思う理想の半分くらいもできない。そして終わった後は人目が辛くて穴があったら入りたいような恥ずかしさにおそわれてしまう。そのために人前で何かすることが苦手意識や恐怖にさへなってしまって、その場面を想像するだけでも動悸がしてくるというまでになっている人もいます。その苦手意識の強さの程度は違えども、このようなあがり症、対人恐怖症の問題で悩んでいる人はとても多いのです。

 こんな悩みを他人や家族にさえも相談できずに一人で長年悩んできたという人も少なくありません。学校の授業で本を読まされた際にあがってしまって、スムーズに読めずにクラスのみんなに笑われてしまった。その後も似たような経験をしてそれらが大きなトラウマとなってしまった人もいます。また、電車の中や家の近所の人の目も気になるので気軽に外に出かけられない。夜みんなが寝静まった頃に外に出たら、誰もいなくてとても楽な感じがしたことがあると言った青年もいました。

 私はそのような問題で悩んでいる方々と個別の心理面接でその解決に長年取り組んできました。その内容や解決に向かう道はひとりひとり千差万別です。でも、そんな個別の作業を地道に積み重ねていくうちに次第に他の人にも通底するような、あがり症やスピーチ恐怖に共通の心のパターンやその特徴というものが見えてきたのです。実は、この見えてきたものは、あがり症やスピーチ恐怖症に限らず、人が行為、行動するときには全てにおいて陥りやすい問題でもあるのです。それは心とからだがバラバラになってしまったがために起こってくる問題であるのです。

その2 なぜあがってしまうのか

 こころとからだがバラバラになってしまっているからあがってしまう。というのをより詳しくいうと『人前に出ていざスピーチしようという段階に至っているにもかかわらず、心はまだ葛藤し迷っている。そこでそれに連れてからだも迷うままになり身動きが取れなくなっている』つまりあがった状態にあるといえます。この所をよくふまえた上で対策を立てていくことで真に適切なあがり症の克服方法が必ず見いだせるのです。

 人前に出たということは行為すべき時がきているのです。それなのに、いろいろ相反する考えが思い浮かび、心と身体がバラバラになり一丸となって事に当たれなくなってしまっているのです。このような状態を競泳で例えてみましょう。もし泳ぎがあまり上手でない人でも、競泳に参加して「用意ドン」とプールに飛び込んだら後はもうゴール目指して一生懸命泳ぐしかありませんね。ところでプールに飛び込んだ後に「・・・自分は上手に泳げるんだったっけ。泳ぐの止めたいな、でも泳がないと、どうすれば上手く泳げるかしら、、」などと考え葛藤してしまったとしたら、手足はまともには動きません。 悪くすれば水中にズブズブと沈んで溺れてしまいます。このように競泳に例えるとあり得ないようなおかしな状態が、実は人前に立ったとき、あがってしまっている人の内面で、それと知らぬ間に起こっているのです。

 水の中なら、とにかく手足を動かさないことにはおぼれてしまいますから一生懸命泳ぐことひとつ(心身一如)になるしか手はありません。でも人前では溺れて死にそうになるまでいかないからでしょうか、心身一如でない葛藤したままのあがり状態に終始してしまうのです。

その3 どうすれば良いかを先に言うと

 あるやり方を他にも役立てようとマニュアル化するときには表面的なものを見ていくのではなくて、その根本(本質)を見抜いてそこから普遍化、一般化しなければ万全ではありません。ここでは、個別のあがり症や対人恐怖症に関する心理臨床を重ねる中からわかってきた『あがりとは、心の葛藤によって心とからだが一体でなくなっている状態である』というのをその根本にしてそこからどうすればよいかを探っていきます。

 繰り返しになりますが、この根本にある状態をきちんと把握しないままに、自分がこれであがり症を解決できたので他の人にも役立つだろうなどと、そのテクニックだけを紹介しても、それは表面的なものであるために、ある人には役立つけれども他の人には通用しないというようなものになってしまうのです。そうならないためにもまず基本の『人前に出るとはどういうことなのか』を再確認しておかねばなりません。これが第一のテーマです。

 あがり症の人は人前が怖いために、嫌々、中途半端な気持や思いで人前に出てしまいがちです。人前に立ったばかりなのにもう「早く終わりたいな」などと思ったりしてしまうのです。また逃げの気持から、人前で何をやるかを明確に持っていません。またありのままの自分に自信がないせいで、人前に立ってから「みんなの反応がおかしい、私の話をしょうもない話と思っているのではないか」などと思えて焦ってきます。そうなればもし準備してきたものがあっても、他のやり方が良いのではないか、などと迷ってもきます。頭があれこれ考えはじめいそがしくなってくるのです。

 この状態を今度はファミレスで食事を注文するときに例えてみましょう。人前に立ってから、頭があれこれ考えてしまう。それはファミレスで食事を頼むさいに呼び出しチャイムを押して、ウェイターやウェイトレスを目の前に呼んでから、食事を何にしようかとメニューを見はじめるのと同じようなことなのです。場にそぐわない、おかしなことをやってしまっているのがわかるでしょうか。よほどの図々しい人でない限りはそんなことできませんね。ウェイターやウェイトレスを呼んだら選んだ食事を注文という行為をする時がきているのですから。そこで実際には食事を注文する時はウェイターやウェイトレスを呼ぶ前に今日はカレーにしようなどと決めておくわけです。

 それと同じに人前に立ったさいにも、すぐ行動に移れるように前もって心を一つにまとめておかねばならないのです。よほど人前が慣れている人でない限りは人前に立ってからいろいろ思考をめぐらしてそこで何をしようかなどと考えているゆとりはありません。けれども多くの人が思考を巡らす時と、心を一つにして行為、行動する時との区別をハッキリと自覚していないがために人前に立ってからも、頭がいろいろ考えはじめてしまうのです。

 あがり症の原因(本質)は心が葛藤して心身が一体になって物事に向かう状態(心身一如)になっていないということですから、それを克服するには人前に出たときに『心身一如になるように工夫』すればよい。ということになります。これが第二のテーマです。このための工夫として一番効果的なのは『人前で表現したいもの伝えたいと自分の気持のこもるハッキリしたものを持っておく』ということです。このことはまた後の章で詳しく具体的に取りあげます。

 例えばイメージトレーニング技法やプラス思考などは、それによってより強い心身一如の状態になることをねらっているから、それができた人には役立つのです。また例えば自信がつけばあがらない、というのも自信があれば迷ったり葛藤しないからあがらないということです。また時には、今から大事な試合に臨む直前にコーチから強い言葉で叱咤激励されて、それで迷いが吹っ切れ心身がひとつになったために、あがらないで試合がやれた、ということも起こるわけです。これら以外にも様々なあがり症克服の手法があるわけですが、それら全てが心身一如の状態に持って行くための工夫であるとみてよいでしょう。逆に言えばどんなに良いといわれる方法でも心身一如になれないとしたら役立たないのです。

その4 具体的な葛藤事例

 ある青年は絵を習っていましたが、絵の教室の少々厳しいその先生が見ている前だと手が震えて絵が描きづらくなってしまいました。カウンセリングしたりイメージ面接をしてみて解ったことは、自分はまだ先生の期待するほど充分な絵は描けないなぁ、と思っている部分と、でも先生の前ではその自分の実力以上にうまく描かないと怒られるのでは。と思っている部分があるということでした。 先生の前だとその二つの心が「怒られるのでは、、そんなに上手には描けないし、、な んとかうまく描けないものか、、でも無理だ、、」と葛藤してしまい手はそれに連れて震えるしかなくなってしまうというわけです。

 そこで彼と二人で考えたことは、絵の先生の期待通りに上手く絵を描くという、今の自分にできそうもない所はあきらめよう。自分のできる範囲で精一杯描けばよいのだ。と心を決めることでした。そして催眠療法でも、それを自分に強く言い聞かせるように暗示したのです。彼には他にも対人恐怖症などの課題がありましたが、それによってとりあえず絵の先生の前で手は震えないで絵が描けるようになったのでした。

 また、ある壮年男性は研修会においてふと皆の前で発言してみようと思いつき、手を挙げて発言をはじめたのでした。ところがすぐに自分が意見を明確にまとめていないことに気付いてしまったのです。「自分の考え意見を早くまとめなければ、でもすぐにはできない、もう発言を止めようか、いやなんかまとまったことを言わなければ、」などと葛藤し、焦り、口がこわばり中途半端なままに発言を終えたのでした。

 この壮年男性の人前での心の葛藤状態はまさに、その2の章のところで述べた水泳競技の例えと同じです。すでにプールに飛び込んでいるにもかかわらず、泳ごうか止めようか考え込んで溺 れてしまう人と全く同じ状態であるのがわかりますね。

その5 慢性化したあがり症の場合

 あがり症で長年悩んでいる人は「私は話し下手だ」との苦手意識が強くなっていて、人前であがってしまうことが劣等感となっています。また過去に人前でとても苦しかったり恥ずかしい思いをしたトラウマがそのつどよみがえり、それを思い出すだけでも、体がこわばり心臓の鼓動が早くなったりすることも起こってきます。このような場合には、その4の章で述べたようないうような葛藤は隅に追いやられてしまいます。それよりも人前に出ることが怖くて大嫌いになっているので「なんとか人前に立たないで済ませられないか、なるべく早く終わらせたい、でもちゃんとやらねばならないし」などの葛藤が前面に出てきて悩んでしまいます。

 人前であがっている時に当人の内面でたち起こっている心の動きをちょっと振り返ってみましょう。あがり症の大変さは、あがって緊張してしまう苦しさだけではありません。それを人に知られたくないので隠さねばならず、ますます緊張がエスカレート悪循環してしまう大変さです。そんなあがり症で悩むすべての人がこの通りとはいえませんが、まず人前であがることが劣等感となり、早く逃げ出したい思いと、そうはいかないという葛藤に心は支配されます。それがために人前に出てからみんなに伝えたいものを用意することをうっかり見過ごしてしまいがちなのです。人前で行為するさいの一番のかなめが盲点となってしまったのです。これだというはっきりした伝えたいものを持たないで、そちらを忘れたまま人前に出てしまって、その点でもどうして良いかわからず、全くのお手上げ状態に陥ってしまうのです。

 人前に出るということは、そこで何かを表現したり伝えたり訴えたりするということです。それは前にその2の章で述べたように、ヨーイドンでプールに飛び込んだらとにかく手足を動かしてゴールまで泳ぎ切ることと同じなわけです。まず人前に立つということは何かを表現したり伝えようとするという(プールに飛び込んだらとにかく手足を動かしてゴールを目指す)ことだと、再確認して良くわかっていなくてはなりません。その心構えをまず持って、逃げないでそれに前向きになるというような基本の所から立て直して行く必要があるのです。それがないままに中途半端な心持ちで人前に立てば、あがってしまうのが当然なのです。逃げたい気持ちが強いなら人前に立つことは諦めるべきでしょう。そうでないと必ず、逃げたい気持とやらねばならないという思いとの間で葛藤してしまうのですから。

その6 よいアドバイスが役立たない場合も

 あがり症でも症状が重い対人恐怖症を伴うようだったりする場合には個別の心理療法でその克服に取り組むべきです。何事もですが、問題が難しくなればなるほど簡単なアドバイスや「こうすれば良くなる」というようなハウツウ的な解決策は通用しなくなります。なぜかというと頭に知識を得て、それで外界や自分の心身をコントロールするという事ができないレベルにあるからです。神経症でも重くなればなるほど心と身体の亀裂が強く複雑になっているといえます。心と身体がうまく繋がっていなければ、いくら良い知識を頭に入れたとしても頭で思うことと心身のエネルギーやその動きとが噛み合わないので「努力逆転の法則」などと言われるような空回りに終始します。時にはそれでより心が複雑になって、ますます心と身体の繋がりが遠のいてしまう場合さえあるのです。

 この本では心理療法の説明が主ではないので詳しくは述べませんが、気持ちをよく解ってくれる信頼できるカウンセラーに共に歩んでもらい支えられることではじめて心身まるごとが変化していける場ができあがります。その中で次第に心と身体が繋がる事を体験し、治癒が起こり、その個人の個性にあった心身一如を会得できるわけです。

その7 真面目で正直な人ほどあがる

 真面目で正直であればあるほど自分に厳しくもなりますから、人前に出たと きにも「自分の内面にはみんなに表現するほどのものや自信を持って見せるようなたいしたものがないなぁ、、」と弱気にならずにはいられません。

 そのうえに、日本ではその場での一体感を優先しますから、みんなの前にひとりで立つ時にさえ、その場の一体感を壊さないようにしようと気をつかいます。冠婚葬祭などは粗相のないようにふるまわねばなりません。また個人的にも「恥をかきたくない、みんなに良く見られたいしそこまでいかなくても普通くらいには見られたい」などとと思えば、ありのままの自分とはかけはなれた理想的な言動か、または常識的な無難な発言をしなければならないとプレッシャーがかかります。

 でも真面目で正直で誠実だと、嘘がつけませんから格好だけうまくやらねばならないとか本音や自然体と違うところを見せなければならないという状況に耐えられなくなったりして、その葛藤であがってしまうのです。逆に他人がどう見ているかは関係なく「自分は凄いんだ、天才なんだ」などと思いこんで反省することのない人はあがらないわけです。極端な例えですが、どこかの政治家やプレイボーイのように、自分は口がうまくて何とでも誤魔化せる、などと思っている人は自分の内面がどうあろうとそこの反省はしないので、葛藤も起こらずあがりもしないのです。

その8 本来の目的を見失ってしまう 1

 その5の章で「人前に出るということは、そこで何かを表現したり伝えたり訴えたりするということです」と言いましたが人前であがっている時にはこの基本の部分がどこかに行ってしまいがちです。

 それは例えばラブレターを書くときに時に陥ることのある心理状態と同じなのです。ラブレターは好きになった人への自分の愛する思いや、気持ち伝えるのが本来の目的です。ところが「その手紙を読んだ時相手にガッカリされたくない。嫌われないようにしたい。できればこの手紙を読んで自分を好きになってもらいたい、、」などと思いが膨らんでくるとします。すると次には「相手が自分を好きになるように書くにはどうしたら良いだろう、、」などと考えます。この時にはもう元にあった自分の素直な思いや愛情とは分離したところで文章を考えるようになっています。そしてもちろん恋愛小説家ではないのだし、ましてや相手が自分を好きになるような文章なんてわかるわけないので筆はいっこうに進まず、行き詰まってしまいます。

 これと全く同じに、人前で「みんなに変に思われたくない、良く見られたいし認められたい、最低限普通に見られたい」などと思えば、見た目の格好がどうなのか気になりだします。またより緊張が強くなってくると今度は焦りの中であがっていることを知られたくない、バレないようにしなければとそちらが気になってきたりさえしてしまうのです。

その9 本来の目的を見失ってしまう 2

 その7や8の章で述べたことと重なるのですが、ここでは少し違った側面から考えてみます。

 あがり症が癖となってしまって長引いたり、その症状が強くなったりしてくるとそれが劣等感となります。そして人前を避けるようにもなってきます。そうなると自分自身に自信がないことが悩みとしてクローズアップされてきます。そこで見過ごされがちになるのが第二のテーマの方である『表現したり伝えたり訴えたりするその内容の方に自信がない』という点です。

 考えてみれば人前で何かやる時、伝えたいもの(内容)に自信がなければ、よほど嘘が上手で誤魔化すことに自信があるか、逆に自信がないことを正直に告白するのでなければどうして良いか分からなくなってしまうでしょう。そんな時には葛藤して身動き取れなくなったり、焦ってしまって当然なのです。この側面から考えてみても、人前に出たらそこで自分が何を表現するのか、みんなに何を伝えたいのかなどをハッキリ持っていなければなりません。そしてその中身を人に伝えたい!と逃げの気持でなく前向きになっていることが最低限必要なのです。人前に出た時には、まずもって人に聞いてもらいたい見てもらいたい!と思えるような伝えたい気持ちがこもった中身がなければ始まらないのです。

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★電子書籍版:『あがり症克服のコツ:Kindle本:500円
★参照ページ:『当相談室の心理療法


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