人間関係に働く自我の防衛機制の具体例

 人は自分のことが一番わからないといいます。確かにそうです。例えば他の人から見たら一目瞭然なその人の特徴でも、当人は全く気づいていないで盲点となっている場合が多々あるのです。

 例えば、とても繊細で心根が優しい人で、でもシャイなために人と接するときに緊張する人がいます。その緊張している硬い表情やしぐさは一見すると、ちょっと怒っていそうに見えます。近寄りがたく感じられ、それによって当人は人の中で孤立しがちとなります。その逆に、とても人が良い感じで、親しみを持たれやすい人がいます。何を言っても怒らないような人に見えるために、言いたいことをズバズバ言われたり、時にはなめられたりします。いじられキャラになりやすかったりします。でも内心とても傷ついていて、私は虐められやすい人間なんだ、とまで思ってしまっている場合もあります。

 どうして自分には人が寄ってこないのか、どうして自分は人に嫌なこといわれたりいじめられるのか、などとその原因を考えてみても先に述べたような盲点には気づけません。考えに考えた挙句に「私に価値がないからそうなるのだ」と勘違いしてしまうのです。

 私もあきれるくらいに自分自身のやっていることに気づいていませんでした。でも、エンカウンターグループの体験学習の際にグループの世話人から率直に言ってもらったことをきっかけにして、次第に自分が盲点としていた側面に気づくことができたのです。そんな体験談を述べながら、人の心が人間関係でどう働いているか(自我の防衛機制)を具体的に解明してみます。

 実は私は若いころ人と接する時、少しでも脅威を感じたりする人や集団の場で、極端なくらいに愛想笑いをしたりペコペコしたりして、相手に合わせうまくやっていこうとしていたのです。ところが自分がそんなことをやっているとはつゆにも知りませんでした。あきれることにその逆に内心では「私は男らしい」方であると思っていたのです。

 三十代に入ったころエンカウンターグループのワークショップに幾度か参加した私は、今度は少し遠出をして山梨大学関連の主催する三泊四日のワークショップに参加したのです。場所は富士山麓のなだらかな斜面の平地に緑が心地よい山荘でした。ファシリテーターは、それ以前に一度エンカウンターグループでお世話になった山梨大の古屋先生と、同じ大学の山口先生という男性二人が世話人でした。グループは少人数制ではじめから12名。会議室のような部屋で一人がけのソファーでみんなで輪になってセッションが始まったのです。

 私はそのころにはエンカウンターグループに少し慣れてきていました。それとも、そのグループの雰囲気のせいだったのか以前よりグループの中で行動しやすくて、他の人の話が長引いた時など、率直に話しを止めようとするような発言をしたりしました。でも基本的にはまだまだ初心者というか人間関係にも未熟で、人との関わりがよくわかってなかったのです。で、とにかく動けばよいのではないか、などと思って無理して頑張っていたのでした。そんな私はグループ全体からは少々浮き気味だったといえるでしょう。そのグループで何が起こっているかなどを充分にはわからないままに動いていたのですから。

 このエンカウンターグループで私はかなり酷い言われ方をしたのです。世話人の山口さんが「あなたは女々しい感じがする、太鼓持ちのようだ」と率直に言ってきたのです。それを言う時には私が傷つくのではとかなりの心配があったでしょう、少し言いよどむような感じもありましたから。

 その言葉に私がショックを受けてひどく落ち込んだりしたと思いきや、全くそんなことはありません。そんなにズバリ言ってもらっても、当の私はなんのことだかさっぱりピンときませんでした。内心では「こんな男らしい私に向かっては何でまたそんなことを言うのかしら」と思っていたのです。イヤほんとに。太鼓持ちだとか女々しいとか言われてもそれは私ではありません。だって私は空手もやっていた時期があるくらいに男らしい男のはずなのですから。人間あまりにもわかってないことはピンと来ないので傷つきようもないのですね。

 でも私の内心の思い込みとは裏はらに私はその時、ニコニコ、ペコペコ愛想振り撒き状態だったのです。

 後日、別個の通いのカウンセリング勉強会の時にメンバーの一人から「駅を出た所でNodaさんが一人で歩いているのを見かけたら、怖いような顔つきをしていた」と言われたことがありました。そのグループにいる時も愛想を振りまいていたのですね。不思議なものでその時の言われ方の方が「自分には人に対して裏と表があるのかぁ、、」とちょっとショックでした。

 私はそんなにまでも愛想したりしながら人と接していたなんておかしいなあ。と次第に内省しました。そういえば先輩のカウンセラーで、あんなにはなりたくないと思うタイプの人がいました。「何だかウンウンと直ぐに頷いてばかりで軽い人だなあ。ちょっとカウンセラーとしてどうかしら」などとその人を見てほんとにイヤーな感じになったりしました。でもあれは私自身を嫌っていたのですね。ごめんなさい。自分にある、でもそれと認めたくないところをその先輩カウンセラーに投影していました。

 投影という防衛機制は「実は私がそうだったんだ」などと投影の引き戻しがあってのちにはじめて、投影していた相手がそれまでとは違って見えてきます。でも、投影して見ている時は相手が持っている特徴として全く事実に見えるのです。そしてほんとに嫌に感じてしまうのです。人間関係においてこの心の防衛機制の作用によるトラブルにはとても多いのではないでしょうか。

 私ほどに自分に気づいていない人も少ないでしょう。でも、もしかしたらあなたも、自分の内面の認めがたい要素を抑圧したり、見ないようにしているうちに、いつの間にかそれを周りの誰かに投影しているかもしれませんよ。なんかあの人嫌だなあ、虫が好かない。などというような人がいる場合はちょっと気をつけて内省してみた方が良いかも。

 さて、ここが素敵なところなんですが。正直になって自分の認めがたいところを認め受け入れ投影を引戻すことができると、投影していた人が嫌でなくなりますね。またその否定し押さえつけていた部分を生かして、今後はよりいきいきと生きていけます。さらに、このような場合、ありのままの自分を受け入れ認められるようになることが同時進行しています。ですから自分の中に立てていた、かっこつけたり無理していた壁が取り払われてしまいます。その結果、生きていくこと自体がとても楽にもなるのです。

★参考文献:『ジョハリの窓』『人間関係の理解と改善に役立つ「投影」という自我の防衛機制



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