人間関係の理解と改善に役立つ「投影」という自我の防衛機制

 人間関係で立ち起こる問題やトラブルの原因は意外に奥深く、わかりにくいものです。客観的に見れば良い人同士なのに、なぜかうまくいかない関係が多々あります。トラブっている両者の間に立って、互いの話を聞いてみると、両者ともに正当な理由を持っていたりして、一体どこに根本原因があるのかすぐには見つかりません。

 人間関係で悩み込むとか、トラブルまでには発展していなくても「なぜかあの人にはイライラさせられる」とか「どうもあの人は苦手だ」なとどいう人は必ずいるものです。そんな時に、なぜそうなのか説明しきれなくて最後は、あの人とは相性が悪いとか、馬が合わない、虫が好かないなどと言って済ませたくなったりします。

 けれども、そのような場合でもその原因は必ずあるのです。通常の意識ではわからない無意識的な心理が、人と人との関わりの背景にあって、知らぬ間に働いています。ここではそんな深層心理を理解するために超おすすめな「投影」といわれる考え方を紹介します。私は過去にこれを学んで「あぁ、こうなっているのかあ!」と目から鱗でした。人間関係で問題となる深層心理のメカニズムは、この「投影」という考え方を知れば、その大半を理解できるといっても過言ではないくらいです。

 この心理機制は、ただの机上の心理学ではありません。悩みの解決のために心理相談に訪れたクライアントがカウンセリングで自分に向き合い内省するなかで気づきや洞察、発見が生まれます。それによってクライアントは成長し、それまでの行き詰まりを乗り越えていくのです。そんな貴重な洞察の中には、同じ悩みを持つ他の人の参考になるだけにとどまらないで、広く一般にも役立つような素晴らしい卓見があります。そのひとつがこの「投影」という心理規制なのです。

 精神分析学の後継者でもあったフロイトの娘のアンナ・フロイトがまとめたこの心の防衛機制とは、自我が自分のあり方(アイデンティティ)を守るために、心の自然な動きや事実を自分の都合の良いようにねじ曲げて思い込んでみたり行動したりする無意識的な働きのことです。人の心の動きをみごとにとらえている「投影」はその中の代表格といえる考え方です。

ルビンの壺

『ルビンの壺』 白色に注目すると壺に見える。黒色に注目すると二人の横顔に見える。両方一度に見ることはできない。

 投影とはどんな考え方なのかを、喩え話ふうにいうと『人はそれぞれに自分独自の色眼鏡(価値観)で世界を見てしまっている。でも長年の経過によってその色眼鏡は肉体の一部と化してしまいそんなメガネをかけていることは忘れてしまう。そして、他者を見る時にも疑うべくもなく、これがホントの事実だと思って見ている』となります。

 私自身の実体験(人間関係に働く自我の防衛機制の具体例)からも、後に投影していたのかと気づくまでは、まるでそれが事実でした。あなたは「まさか私は違う。色眼鏡などかけてない」と言うでしょう。でもこれは「夢から覚めてようやく夢だったのに気づく」のと同じ体験なのです。それに人は、ある思いや感情でいっぱいになっている時には、他の思いがあってもそれは心の片隅に追いやられてしまいます。他からの良い考えも入り込む余地はありません。そんないっぱいの思いや感情から他人に接している時はやはり色眼鏡をかけて人と接しているといえるのです。

 「何か、あいつを見ているとイライラ来る!」などという時に、この投影が働いているわけです。それは無意識的なものですから「何だか虫が好かない」などというように本当の理由はすぐにはわかりません。この時、無意識に蠢いた心をあえて言葉にしてみると「せっかく私が我慢したり押さえこんだりしていることを、なんでお前は平気でやっているのだ!」などといえるでしょう。自分は真面目に「こういうことは我慢しないと」と頑張って我慢していることを、あからさまに体現されてしまっているのでは確かに腹も立ってきます。

 苦手な人や馬が合わない人との関係で苦しんだり、家族関係でのいざこざなどの背景に、この「投影」と名付られた心の動きがあるのです。

 否定的な投影はその相手にイライラや怒りを感じたり、攻撃心がでてきます。よりやっかいなのは、価値がないと否定したものを映した相手はデフォルメして見えるので、その相手全てをダメな人と見下してしまうことです。親密な関係などでの、長期的な上から目線は相手をとても傷つけます。見下された当人はそれに対抗せざるをえなくなり、関係はますます悪化していくという構図に陥ります。

 大恋愛で結婚したのに「こんなはずじゃなかった」などと言って呆気なく離婚に至るという話を時々聞きます。「こんなはずじゃなかった」と発言するということは、自分に都合のいい理想像を相手に投影して、期待や予想以上に、まるで事実そうであると思い込んでしまっていたからです。この場合、もちろん相手も元々少しはその傾向を持ってはいます。でもそれと自分の内の投影したものが重なると、そのイメージは肯定的にも否定的にも倍加してしまうのです。

 「投影の引き戻し」というのがあります。相手への強い怒りの感情が収まったりしたさいに洞察が起こるのです。ふと「・・・随分イラついていたな。でも、もしかしたら私はあいつのやっているようにやりたかったのかもしれない。私は今までずいぶん我慢してやってきてたんだな・・・」などと相手に見ていたものを、自分のこととして引き受けられるようになります。すると嫌っていたり苦手だったりした他者に対しての引っ掛かりがなくなり楽に接することができるようになるのです。もちろん自分の内面との軋轢もなくなるのでその点でも楽になります。

 例えば働き者で、朝早くから忙しく家事に動き回っている母親がいるとします。そんな時、自分の娘がゆっくり朝食をとったりしているのを見ると「この忙しいのになんでさっさと食べないの!」とイライラしてきます。それでつい叱ったり、お前はノロマでダメ、などとなじったりせずにはいられなくなるのです。…自分の内面の否定したい部分を子どもに見てしまって、それで必要以上に怒ってしまい、ついには幼児虐待までエスカレートすることもよくあることです…

 そんな母親が子どもに怒るのは良くない、やめようと無理に我慢しても長続きはしません。でも「・・・実は私こそがゆっくり、のんびりしたかったのだ」などと気づき、子供への投影を引き戻すことができたなら、その時にこそ、子どものゆっくりペースも認められて自然にイライラしなくなります。また「私は働き者である」などという頑張るだけの価値観も緩んでくるので、疲れたらじっくり休むことも余裕でできるようになるでしょう。

 井戸端会議や飲み会の席で、その場に居ない人をやり玉にあげて噂したり批判し合う時には「私はあの人とは違うわ、ちゃんとした人よ。ちゃんとした者同士で仲良くやりましょうね」などというような心理が裏で働いているのです。また例えばホモセクシュアルを極端に嫌う人は、自分の内の誰にでもあるレベルのホモ的要素まで「あってはならないい」と抑圧している人なのです。相手がどうあろうと自分の側にこだわりがないのなら響き合わないし無関心でいられるものです。

 イジメや差別、村八分、戦争などの暴力行為にまで至ってしまうような悲惨な出来事や事件の背景にも、この投影の心理がある場合が多いのです。特に、自分の持った価値観との一体化が強くなればなるほど、自分自身までその価値観と同じに絶対で居なければならなくなってきます。…「このような人であらねばならぬ」というような価値観に一体化(同一化)するということは、長所も欠点もある人間的な等身大の自分と、こうあるべきという理想像との区別がつかなくなっている状態ともいえます。育ってくる過程にあって、等身大の自分で居ることが許されなかったのか、それともあまりにもまじめに、人はこうあるのが良いのだと思って頑張り続けたのか、まるでその価値観であることが自分の存在価値の全てであるかのようになっているようです…

 すると自分の価値観が一番良いという段階にとどまらず、他の価値観を持っている人間はすべてダメ、価値がないとまでになります。そこまでいくと「私はこういう価値観(考え)を持っているけど、あなたはどんな価値観(考え)なの」などというような共存共栄的な態度は持てなくなります。一体化によって自分の価値観を外に置いて客観的に見るというような距離感がなくなるために、他の価値観やそれを持った人をも認めることができなくなってしまいます。他の価値観を認めることは自分の持っている価値観がダメになるだけでなく自分自身がダメになる。それは死を意味するのです。

 …あくまでも本当のところはわかりませんが。2016年に起きた障害者施設大量殺傷事件の犯人の深層心理に、例えば「優秀で、強くあらねばならない」などというような価値観への、ある意味純粋すぎる一体化したあり方があったのではないでしょうか。でも、彼はいくつかの挫折から、それを保てなくなったのでしょう。そんなアイデンティティの危機を回避するために、あまりにも行き過ぎた行動をとってしまったのではと推察されます…

 ナチスのユダヤ人虐殺のさいには、ナチスの優秀性を絶対化したいがために、自らの劣等性を引き受けることなく、それを全てユダヤ人に投影して見ていたのは確実でしょう。そして(劣等生を体現している)ユダヤ人を抹殺することで自らの優秀性が証明され、ひいては自らの存在価値が高まるかのように思い込んだのでしょう。

Rorschach1

インクのしみテストともいわれる。ロールシャッハ・テストの中の一枚。「何に見えるか」と問うていくと全く同じしみなのに人それぞれに違ったものに見える。その言語表現を分析すことによって性格傾向などを読み取ろうとする心理テスト。

 幕末から明治に生きた原担山という禅僧の有名な逸話があります。担山が雲水時代に禅友と二人で旅をして歩いていると、小川の手前に、洪水で水かさが増したので渡れなくて立ち往生している若い女性がいました。担山はその女性を抱えてさっさと向こう側に渡してやりました。

 その後、夕暮れ時になって担山が友人の雲水に、そろそろ宿を取ろうかと話しかけると友人の雲水は「出家の身なのに、女と接した生臭坊主とは一緒に泊まりたくない」と言ったのです。仏教には女性に触れてはならないという戒律があったからですね。すると担山は「なんだお前はまだあの女を抱えていたのか、わしは川を渡した時にすっかり降ろしてしまったよ」と言ったのです。

 担山和尚ズバリ。相手の投影を見抜いてうまいこと言いますね。彼の友人の雲水は、元々まじめに「出家者は女性に触れてはいけない」と思っていた事でしょう。そして女性に触れたい気持ちを押さえ込んでいるうちに、ついには女性に触れたい気持ちが時々湧いてくることさへ認められなくなってしまったのです。ところが、それをいとも簡単に破っている担山の姿を目の当たりにしました。それによって、彼の内で押し込めたそれが揺さぶられて不安定になってしまったのです。自分が不安定になった理由として「相手がそれだけ酷いから」そうなったのだとすれば都合良く納まりがつきますね。

 そんな彼には担山が、まるでひどい女たらしに見えたことでしょう。さらに「女性には触れない、まじめな出家者としての自分」を守るためには、そんな自分を不安定にさせるものは切り捨てるに限ります。そこで大義名分として「女と接した生臭坊主とは一緒に泊まりたくない」と言うことになったわけです。

 投影という心理機制の考え方。あなたも、もし何かに対して声を大きくして文句言いたくなった場合など「あれ?自分はもしかして、ああなりたいのかしら?」などと思ってみると、自分を成長させる良いきっかけとなるかもしれませんよ。

 でもあなたの家族や友人が、嫌いな人を批判したり愚痴を言ったりしている時に「それはあなたが、自分の内面をその人に投影しているのだよ」などと決して言わないでくださいね。「そうか、わかったありがとう」などと言ってくれる人なんてまず居ません。逆に、あなたまで嫌いな人の仲間入りとなる危険がありますので。

 ところで、より自分を深く知りたい。と思うならやはり心理療法の場で、信頼できるカウンセラーに手伝ってもらいながら取り組むのが一番確実です。心理面接の場では、カウンセリングなどによって洞察が進むと、自然に投影の引き戻し作業がおこなわれます。そして自らの弱さや不完全性に気づき、そんなありのままの自分をあらためて愛おしく感じて再生していくクライアントも居ます。それは根気のいる作業ではありますが、心が次第に楽になっていく過程でもあります。もちろん「投影の引き戻し」ができると人間関係も楽にスムースになります。

★参考ページ:『当相談室の心理療法について』『人間関係に働く自我の防衛機制の具体例』『個別の心理療法に学ぶ 自分に自信を持つための方法



「人間関係の理解と改善に役立つ「投影」という自我の防衛機制」への2件のフィードバック

    1. コメントいただいて嬉しいです。
      確かに心理的にはその通りですね。
      ただ、立場が対等なら良いのですが、強者と弱者の関係の場合には、実際問題として弱者の側がやられっぱなしになりがちなのでお互い様ですまなくなりますね。

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